第183話 頑張り過ぎたクマちゃんの白いブーメラン。飛来する優しさ。
「クマちゃ……」と頷いているもこもこを腕に抱えたリオが、ケーキを持ったまま小さなクマちゃんの周りをウロウロしている女性達に、
「クマちゃんが席作ってくれたみたいだから、そこ座ったら」
若干お疲れ気味のかすれ声をかけていた頃。
美しいが恐ろしい、死神のような男が引き連れている、顔色の悪い男の中の一人が、ふらふらと集団から外れ、反対方向へ歩き出した。
気付いているはずの死神は、振り返ることも引き留めることもしない。
表情と雰囲気が冷たく恐ろしいせいで誤解されているが、クライヴは彼らを無理やり連れていくつもりはなかった。
項垂れた人間を引き連れているのは、死にそうな人間の命を巨大な鎌で刈り取るためではない。
元々体調が悪そうだった人間が、彼が『おい――』と声を掛けた瞬間目を見開き『し、死ぬ……』と呟くのは良くあることで、しばらくすると何事もなかったように『あの、寒いんですが……』と冷え性の相談をしてくるのも良くあることだ。
心優しい癒しの獣の作った菓子を食べれば、妙な顔色も良くなるだろうと思い、
『死にたくなければついてこい――』
良いものがある、と誘いを掛けたが、何か用事でも思い出したのだろう。
クライヴの方を見ながら肉球をペロペロしていたクマちゃんは、ハッと気が付いた。
大変だ。
一番ふらふらしていた人が、道に迷っているようだ。
ナマコだからだろう。
うむ。クマちゃんが担架で優しく運んであげよう。
癒しの力を持つ白衣――白毛の天使が肉球を布の中へ戻し、鞄をごそごそと探る。
目的の物を見つけたクマちゃんは、バッ、と格好良く外套を脱ぎ捨て、ブーメランのようにそれを構えた。
意外と真面目で警戒心の強いリオが、片手でもこもこを優しく撫でつつ、然程優しくない態度で女性達に席を勧めていたとき、彼の腕の中のもこもこがもこもこもこもこと動き、ふんわり巻いていたおくるみを落としてしまった。
「あれ、クマちゃん暑い?」
生まれたばかりの子猫に掛けるような、優しいかすれ声がもこもこに尋ねる。
新米ママリオちゃんはもこもこが落としたおくるみに視線を向け、我が子が可愛い肉球で何かを投げようとしていることに気付いていない。
彼がもこもこを抱えたまま白っぽい石畳に落ちた水色のおくるみを拾い、上体を起こした瞬間――。
腕の中から幼く愛らしい「クマちゃ!」という声が聞こえ、何かがシュッ――、と飛んで行った。
「え」と驚く、かすれた声の金髪。
勢いを増し、回転しながら飛んで行く、真っ白な何か。
小さなそれが項垂れた集団の横をヒュン――と通り過ぎ、ふらふらな男の背後に迫る。
小さなおもちゃに警戒を緩めるリオ。
直後大きくなる真っ白な長方形。
「え!」驚愕する金髪のかすれ声が響く。
ド――。男のもも裏を打つ担架。
ガシャン――。広場に響く悲し気な音。
クマちゃんの頭の中で、白い服を着た誰かが言った。
『――この筋肉をまとめてハムストリングと呼びます』
クマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ!」と悲鳴を上げた。
『ハムストリング!』
急に賢くなってしまったクマちゃんは、ふわふわの両手で口元を押さえ、もこもこもこもこと悲し気に震えている。
「クマちゃん! 担架投げちゃ駄目でしょ!」
新米ママリオちゃんが悪い子な我が子を『メッ!』と叱る。
賢い赤ちゃんクマちゃんが「クマちゃ……」と頷いた。
『ハムちゃん……』と。
担架で運ばれてきた男を介抱するクマちゃん。
ピンク色の丸いベッドにのせられた男のまぶたを、小さな白毛の天使が両手の肉球で「クマちゃ……」と、上下にパカパカ開いている。
「クマちゃん! 顔に乗っちゃ駄目!」
色々忙しい新米ママ。
リオは『ミィ……私は悪いことなんて一度もしたことがありません。本当です』と瞳を潤ませている子猫のように、愛らし過ぎて叱りにくいもこもこを男の顔から回収し、「あ……クマちゃん……」と寂しそうな声を背に、もこもこ遊具から降りた。
クライヴとウィルが連れてきた顔色の悪い男達も、全員もこもこ回転遊具へ収容された。
健康そうな人々は遊具の側に設置された可愛らしいお花や果物のテーブル席に座り、ざわめいている。
男達のことを知っているらしい彼らは『美少女クマちゃんが奴らを治療するらしい』『あー、あの人達ね』『酒の飲みすぎだろうに』『ほんとそれ。昨日も昼間っから飲んでたよ』『私あの人知ってるー。ずっと寝不足らしいよぉ』『何で?』『夢見が悪いんだってぇ』『あ、その話聞いたことあるかも』『俺の知り合いにも一人いるな』『あたしんとこで働いてる子もなんだよ。いつも元気な子なんだけどねぇ』と情報交換をしているようだ。
最初にケーキを受け取った女性達は「美味しい……!! 口の中でとろける……こんな凄いケーキ食べたの初めて……」「なんだろ……美味し過ぎるし、優しくて泣ける……」「ね。何かうるっとくるよね……クマちゃんの優しさが胸をギュッと締め付けるっていうか……」顔色の悪い男達が謎の遊具に収容されていったことにも気付かず、ひたすら天才パティシエが作った素晴らしい高級ケーキに感動し、讃えていた。
新米ママリオちゃんが、
「クマちゃんもう悪いことしちゃ駄目だからね」
優しく『メッ!』と叱り、クマちゃんが愛らしく
「クマちゃ……」
と神妙に頷いている背後で、木馬の代わりに食器やベッドがのせられている回転木馬が、シュン――と静かに回り出した。
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