第164話 学園の彼ら。もこもこした暗号。考察するクマちゃん。「クマちゃん――出てるよ」

 クマちゃん達が水のもこもこ宮殿ですやすやと幸せに休んでいた頃。

 学園の彼らは、暗号の解読に成功していた。


 肉球模様をなぞると聞こえる、愛らしい『クマちゃ』を聞き取り、一文字ずつ人間の言葉に置き換え、五枚の便箋から読み解いたのは、


『クマちゃんの きゅうでんは かんせい しました かい』


という驚くべきものだった。


「……完成してねぇな」


 美形だが野性的な副会長が難しい表情で呟く。

 完成どころか、着工すらしていない。


「……私の可愛いクマちゃんはこの森にお家が欲しかったんだね……ごめん……気付いてあげられなくて……」


 繊細な美形の生徒会長は長いまつ毛を伏せ、悲し気に、クッションの肉球模様を見つめた。

 クマちゃんは子猫のようなクマだが、人間のようにお洋服を着て、学園にも通っているお上品なクマちゃんだ。

 森の中の穴で暮らしている野性のクマとは格が違うのだ。何故、そのことに気付かなかったのか。

 クマちゃんは赤ちゃんなのだから、自分でお家を建てられない。

 聖クマちゃんが頑張って陰気な森を浄化し、彼らのために聖なる泉までつくってくれたというのに、自分は一体何をしていたのだろう。

 ――風呂に入っていたのだ。


「美クマちゃん……俺たちは整地すらしてなかったのに……」


 手紙の可愛い肉球模様をしつこく、とにかくしつこく見ていた会計は、自身の横に立てた白っぽい綺麗な丸太に視線を移し、眉間に皺を寄せた。

 彼らのために愛情のこもった贈り物まで用意してくれた美クマちゃんは、彼らが何もしていないのを見ても、悲しそうな表情すら見せなかった。

 まだ赤ちゃんだというのに、なんて気遣いの出来るもこもこだろうか。

 心優しい天使な美クマちゃんらしいが、それに甘えているわけにはいかない。

 すぐに可愛いお家を建てなくては。

 小さなもこもこだけでなく、長身の守護者の方たちも休める大きさにする必要があるだろう。

 美クマちゃんのおかげで生まれ変わった、神聖で美しい森を傷付けずに、広い場所を確保しなければ。


「あー、まずは建てる場所探さないと……って感じっすよね。聖なる泉の近くで」


 片腕でクッションを抱え、花びらのタイルの上であぐらをかいている副会長は、薄いピンク色に輝く、もこもこの癒しの泉へ視線を向け、生徒会長に言葉を返した。


「そうだね。落ち込んでる場合じゃない。……三十分後、もう一度ここに集まろう」


 大事な宝物たちを持って立ち上がり、きびきびと動き出した生徒会長は、広場の隅のテーブルに手紙と、その上に――風で飛ばされないよう――そっとクッションをのせ、優しい手つきで撫でながら彼らに指示を出す。

 愛しのもこもこに素敵なお家をプレゼントするため、彼らは視線を合わせ、頷き、互いに背を向け、夜の森へと入って行った。



 色々大変らしい赤ちゃんクマちゃんをあやすように撫で、「ごめんってクマちゃん。もう『クマちゃんあんまり大変なことない』とか言わないから機嫌直して。……なんかめっちゃ鼻の上皺寄ってんだけど」とかすれた声で話しかけつつ、水のもこもこ宮殿に戻ったリオ達。


 皆がベッドとして使っていた巨大クッションは、もこもこが両手の肉球をテチテチ、テチテチ、と打ち鳴らすと、簡単に元の大きさに戻った。


 もこもこを抱っこしたリオは、片手で集めたクッションを巣のように快適に整える。


 完成した場所に腰を下ろした彼は、愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言うもこもこと一緒に、昨夜マスターが運んできてくれた、美少女クマちゃん宛ての贈り物の確認をする。

 妖美なお兄さんはクッションに凭れながら、水底のような宮殿のなか、紫色にも見えるワインを飲んでいたが、もこもこで片手が塞がっているリオへ視線を流すと、ゴリラちゃんを操り、彼らを手伝った。


 ゴリラちゃんがクマちゃんに可愛らしいお菓子を見せ、もこもこは「クマちゃ」と頷き、後で仲良く一緒に食べる約束をする。

 それを見ていたリオはゴリラちゃんの食事風景を思い出し「えぇ……」とかすれた声を出したが、もこもこ達の耳には届かなかった。


 大量のお菓子を貰ったクマちゃんが、もこもこの両手をサッともこもこした口元に当て、感動したように「クマちゃ……」と呟く。


『おやつちゃ……』と。


「すげー。このチョコ中々手に入んないやつじゃん」


 ふわふわで快適な巣に上体を預け、もこもこを片腕で抱えたリオが、黒地に金色のリボンが掛かった箱をもこもこの前に掲げ「ほらこれ」という。


「あ、でもこれ酒入ってたかも。クマちゃん食えないやつじゃん」


 そして余計なことを言った彼は、猫草を嚙む猫のような顔をしたクマちゃんに、再びあぐあぐ、ニャシニャシ、クマクマ、と手を嚙まれた。


 噴水の音がザァ――と広がる美しい宮殿内に、かすれた「ごめんて」が響く。


「ごめんごめんクマちゃんもう『このお菓子クマちゃん食えないやつ』とか言わないから」「クマちゃ……」とすぐに仲直りをした仲良しな彼らは、お返しは何がいいかと話し合う。


「赤ちゃんのクマちゃんからお返し貰おうとかみんな考えてないと思うんだけど」


 クマちゃんを両腕でゆるりと囲うように抱っこしたリオは、茎と葉っぱのついた可愛い頭巾を見下ろしながら『お返ししなくていいんじゃね?』と遠回しに言うが、忙しいもこもこは当然聞いていない。



 うむ。どれも心のこもった素敵な贈り物ばかりである。お菓子を眺めているだけで、街の人々の温かい愛がふわふわと伝わってくる。

 クマちゃんはお菓子を貰ってとても嬉しい。

 これをくれた街の皆も、お菓子が好き、ということで間違いないだろう。

 お返しをするのなら、街で買えないお菓子のほうがいいのでは。

 うむ。

 クマちゃんの素敵なリゾートの雰囲気が楽しめるものがいいかもしれない。

 素敵な温泉がたくさんある、クマちゃんの素敵なリゾート――。

 ふんふん、ふんふん、と考え込んでいたクマちゃんの頭に、ふと、聞き覚えのない言葉が思い浮かぶ。


 ――温泉まんじゅう――。


 不思議な響きの言葉である。お菓子のことを考えていて思い浮かんだのだから、きっとお菓子の名前なのだろう。

 温泉で食べるお菓子だろうか。

 なんとなく、丸いような気がする。

 丸くて、甘い。

 うむ。良く分からないが、丸くて甘いものに、クマちゃんのリゾートっぽいものを組み合わせればいいのではないだろうか。

 クマちゃんの目の前には、真っ白なクッションがある。

 ふわふわのクッションが、たくさん。

 うむ。――甘くて、丸くて、ふわふわで、真っ白なものがいいだろう。

 ふわふわということは、クマちゃんの大好きなケーキのような食べ物。

 そして真っ白ということは……、おそらく白くてふわっとした甘いクリーム。


 クマちゃんはチャチャッ、とお上品に舌を鳴らし、高級感について考えてみた。


 高級感とはなんだろうか。難しいことはよくわからないが、とにかくすごい、ということだろう。

 とにかくすごいお菓子――食べても無くならないのだろうか。

 無くならなければずっと食べていられるが、それだとごはんが食べられなくなってしまう。


 お菓子はご飯を食べてから、なのである。残念だが、お菓子は食べた分だけ無くなった方がいいのだろう。


 とにかくすごい――食べたらルークになれる、というのはどうだろうか。

 皆は喜ぶかもしれないが、クマちゃんの大好きなルークは一人だけなのである。うむ。これも却下である。

 

 しかし、食べるだけで足が速くなったり、少しのあいだ変身できたりするのはいいかもしれない。

 うむ。とにかくすごいお菓子っぽい。非常に高級感がある。


「クマちゃん鼻水出てるよ」 


 水が出ているね、と風がささやいている。

 誰かがクマちゃんのお鼻の周りをふわふわした布でくすぐった。ふわふわ、ふわふわ――。


 美しい広間に、噴水のザァ――、と流れる心地好い音が響いている。


 茎と葉っぱの付いた赤い頭巾の中で、もこもこした耳をピクッとさせたクマちゃんは、ハッと思い出した。

 大変だ。イチゴの水やりをしなければ。

 農場長クマちゃんとしての大切なお仕事である。

 うむ。リオちゃんの種蒔きのお手伝いもしてこよう。



 ふんふん、ふんふんと小さな黒い湿った鼻を鳴らし、考え込んでいたクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と呟き、頷いた。


『イチゴちゃ……』と。


「あー、もしかして畑? どうせみんなまだ帰って来ないし、丁度いーんじゃない?」


 クマちゃんの頭巾に付いた葉っぱをツンツンと引っ張り遊んでいたリオは、愛らしいもこもこを抱えたまま立ち上がり「おにーさんクマちゃん畑行きたいらしいよ」と、赤ワインを飲みゆったりと寛ぐどこかの王族のような彼に声を掛けた。

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