第140話 クマちゃんと仲良しなみんなの、ゆったりとした美しい午後。

 リオの『クマちゃん早くお外出てどっかでジュース飲もー!』という強い希望により雑貨店を出た四人と一匹とお兄さんとゴリラちゃんは、現在カフェに来ていた。


 店に着いた彼は『絶対外の席のが良いって!』と、まるで狭い室内を嫌う野生動物のように激しく主張した。

 他の保護者達はもこもこが『クマちゃ……』と言わない限り、座る場所に拘りはない。


 真っ白な日除けのある入り口から、少し離れた場所に設置されたいくつものテーブル席。

 人の出入りが可能な段差のない大きな窓はすべて開けられたままで、外からでも店内の様子が良く見えた。

 昼時を大分過ぎたせいか、店の中も外も、客はまばらだ。

 ゆったりと広く作られた道路や歩道に、急いだ様子のない通行人達が見える。

 大雑把な性格の彼らは空いているなら乗り物の通る場所でも気にしない。テーブルが並ぶ店の周りを歩く人間はほとんど居なかった。


 森の街らしい木製のテーブルと椅子。店の周りに生えた数本の大きな樹が強くはない日差しを遮り、白く塗られたテーブルに美しい木漏れ日を落としていた。


 いつものように三人と一匹、一人と一お兄さんと一ぬいぐるみに分かれ、席に座った彼ら。

 おしゃれなカフェに合うよう、ルークに着せてもらったクマちゃんのお洋服は、白のレース付きの真っ赤なリボンだ。

 真っ白でフワフワなもこもこに落ちた木漏れ日が、愛らしいクマちゃんの愛らしさをより一層際立たせている。


 大好きなルークの膝に座り、彼に甘え、「クマちゃ」と彼の手にじゃれていたもこもこが、ハッと何かに気付いたように動きを止めた。


「何クマちゃん。どしたの」


 何故か動きを止めたもこもこに気付いたリオが、不思議そうに――やや警戒し――かすれた声を掛ける。

 


 おしゃれなカフェよりおしゃれなクマちゃんは考えていた。

 そうだ。先程買った素敵な商品『幸せになるグラス』を使うのは、今が一番良いのではないだろうか。

 大好きな彼の膝の上、仲良しな皆と、素敵なカフェで、『幸せになるグラス』を使う――。

 うむ。何も飲まなくても幸せそうである。

 そして天才なクマちゃんはハッと気が付く。


 幸せな瞬間に『幸せになるお面』を使ったら、もっと凄いことになってしまうのでは――。


 うむ。これは大変な発見である。


 大好きな彼の膝の上、『幸せになるお面』を装着し、仲良しな皆と、素敵なカフェで、『幸せになるグラス』を使う――。


 幸せが爆発して大変なことになりそうである。

 早く確かめてみなくては。



 動きを止めていたもこもこが、何故か興奮したようにキュ! と強く鳴き、下を向いてごそごそしている。

 もこもこの頭がテーブルにぶつかっていることにも気付いていない様子だ。

 テーブルと頭の隙間に大きな手が差し込まれ、ルークがもこもこの可愛いおでこを保護したのが見えた。


 チャラそうな外見のわりに警戒心の強いリオは、クマちゃんに怪しいもこもこを見るような視線を向け、白い獣が問題を起こさないよう見張っている。

 もこもこはすぐに目的の物を見つけたらしい。

 短くて可愛い猫のような両手で買ったばかりのグラスをキュッと掴み、真っ白な木のテーブルへ載せようと頑張っている。

 微妙に届いていない。非常に危なっかしい。


「クマちゃんそんなにぐいぐいしたら落とすよ」


『パリーン』がいつ聞こえてもおかしくないと思ったリオが、行動を中止するようもこもこに伝える。

 すぐにルークの手がグラスに伸び、肉球がムキュッと掴んでいるそれを受け取った。

 彼はそれをテーブルの上にコト――と載せると愛らしいもこもこの頬を優しく擽った。

 その手を感謝を伝えたいもこもこに「クマちゃ」と捕まり、小さな黒い湿った鼻にしっとりと濡らされている。


 そして再びハッとしたもこもこが下を向きごそごそし始め、ルークがもこもこの可愛いおでこを保護し――。


 愛らしいもこもこを眺めながらゆったりと過ごす彼らのもとに、飲み物が届けられる。

 木製トレイの上から、コト――、コト――、とテーブルに置かれていくグラス。

 表面をうっすらと覆う水滴が、ツ――、と白いテーブルに流れた。


「ごゆっくりどうぞ」


 立ち去ろうとした店員が何かに気付き、ビクッ――! と妙な反応をする。

 しかし彼は『何か』に触れず、何故かもう一度「ごゆっくりどうぞ」と言うと、サササッ――と逃げるように去って行った。


「何いまの」


 リオはやや首をそちらへ傾け視線で彼を追ったあと、すぐに愛らしいもこもこ観察へ戻ろうとし――、先程の店員と同じように、体をビクッ――! と跳ねさせた。


「こわっ!! ……クマちゃん何で今それ被るの。飲み物飲めないでしょ」


 ルークの膝の上にいたはずの愛らしいもこもこは姿を隠し、代わりに木彫りのクマのお面を被った何かがいる。

 もこもこした赤ちゃん用ではないお面は目の位置が全く合っておらず、くり抜かれた二つの穴から白い毛が覗いていた。

 おそらく、あれはクマちゃんの額の毛で、くり抜かれた穴の下辺りにつぶらな瞳があるのでは――と彼は冷静に推測する。


 リオが観察を続けていると――森の魔王様のようなルークの膝の上の、森を護るクマの像のようなものから、幼く愛らしい「……クマちゃ……、……クマちゃ……」という、若干息苦しそうな声が聞こえてきた。



『……クマちゃ……、……幸せちゃ……』と。



 リオは思った。

 それよりも早く外したほうがいい。


「クマちゃん何か苦しそうだし今んとこ幸せそうに見えないんだけど。つーかそれ重いんじゃないの?」


 親切なリオは顔の部分がやけに硬そうなもこもこに優しく助言をした。

『それを外せば幸せになれる』と。


 しかし、森を護る木彫りのクマ像様はかすれた人間の言葉など聞きたくないらしい。



 ――サァ――はは、それでさぁ――え、なにあれこわっ――ふんふん……ふん……ふん……――あれって――噓、あれ買う人……――。



 気持ちの良い風の音と、通行人たちの声に混じり、クマ像様の苦し気な息遣いが聞こえた。


 妙に静かなテーブル席では、もこもこの保護者達が硬そうなもこもこを静かに見守っている。

 ウィルはテーブルに肘を突き、軽く組み合わせた両手に顎をのせたまま、愛らしさがほとんど隠れてしまっているもこもこの、ふわふわの耳を見ていた。

 愛らしいもこもこの可愛いお顔が見えないのは残念だが、お耳もとても愛らしい。


 腕を組み視線をやや伏せ、機嫌の悪い殺し屋のようにも見える格好で座っているクライヴは、美しい顔を不愉快そうに歪めていた。

 美しく険しい冬の支配者のような男は、彼の大事な穢れ無き白き生き物を心配していた。

 雑貨屋の怪しげなお面に愛らしいもこもこが苦しめられている。

 ――気に入らない。

 しかし、白き生き物は妙にお面とグラスに執着している。

 割ったり凍らせたりするわけにはいかなかった。


 森の魔王のような男ルークは自身の腿に片足を引っ掛けるようにのせ、脚の上に座らせているもこもこがテーブルから顔を出せるよう、高さを調節してやっていた。

 彼は愛らしいもこもこの後頭部を見つめながら、愛しのクマちゃんの丸くて可愛いもこもこの頭を指で擽ったり、もこもこの耳の後ろをそっと撫でたり、いつも通り周囲を少しも気にすることなく、思う存分可愛いもこもこを愛でている。

 

 テーブルに片肘を付き、その手に顎をのせ、長いまつ毛を伏せている美しい人外のお兄さんは、そよそよと心地好い風とやわらかな木漏れ日に当たり、うたた寝をしているようにも見えた。

 今のゴリラちゃんはお兄さんに操作されていないらしい。テーブルの上に乗ったまま、普通のぬいぐるみのように静かに座っている。



 カラン――。グラスの中の氷が解ける音が聞こえる。

 クマちゃんはなんだか息苦しいお面の中で考えていた。

 苦しい。とても木の匂いがする。

 このお面はクマちゃんのお目目のところとお鼻のところに穴が開いていないようだ。お面の裏側しか見えない。そして苦しい。


 クマちゃんのふわふわのお顔に、硬い木が当たっている。

『幸せになるお面』はとても重いようだ。

 うむ。――幸せとは、重いものなのだろう。


 洗ったばかりでふわふわのクマちゃんの髪が、少し湿ってきているような――。


 しかし、今はそれどころではない。

 クマちゃんは先程のリオちゃんの言葉をしっかりと聞いていたのだ。


『クマちゃん――今――飲み物飲め――』と。


 クマちゃんが『幸せになるお面』を被った『今』『幸せになるグラス』で『飲み物を飲め』ということだろう。

 少し難しそうだが、やってみるしかない。

 クマちゃんはしっかりと頷き、彼に返事をした。


 分かりました。クマちゃんのグラスに今すぐ飲み物を注いでください、と。



 リオが森を護る木彫りのクマ像様にもう一度『クマちゃん、それ外してジュース飲みなよ』と声を掛けようとすると、クマ像様は頭部を少しだけ揺らし、幼く愛らしい「……クマちゃ……、……クマちゃ……」という苦し気なお声をお聞かせ下さった。


『……クマちゃ……幸せちゃ……、……ジュ、チュ……グラス……』と。


「えぇ………………」


 森を護るクマ像様を幸せにしてあげたいリオの口から、思わず肯定的ではない声が漏れる。

 意味が分からないフリをしたかったが、幸せそうではないクマ像様の言いたいことが分かってしまった。

『幸せになるグラス』にクマちゃんのジュースを注げと言っているのだろう。



 ――サァー――……ふん……ふんふん……ふん……――サァー――。



 心地好い風が吹き、クマ像様の苦し気な息遣いが微かに聞こえるなか、通行人が無言で通り過ぎてゆく。


 雑貨屋で棚に置かれたままになっていた曇ったグラスに、指の長い大きな手が翳され、一瞬で透き通り、光を反射するようになった。

 膝にクマ像様を乗せている魔王のような男が、魔法で浄化したのだろう。


 ガタ――。

 

「…………」


 やや身を乗り出しそれを掴んだリオが、無言でコト――と自分の前に置き、先程店員が運んで来たグラスから、チョロチョロ――と少しずつクマ像様のリンゴジュースを注ぐ。



 ――チョロチョロ――サァー――……ふんふん……ふん……ふん……――チョロチョロ……――。



 キラキラと煌めく美しい木漏れ日、足早に通り過ぎる無言の通行人、サァー――ふんふん……ふん……――と心地良い風が吹き、チョロチョロ――という水音が響く――。


 ――……ふん……ふんふん……チャ……チャ……――。


 森の街のおしゃれなカフェには、クマちゃんが仲良しな皆と過ごす静かな時間が、美しくゆったりと流れていた。

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