第68話 クマちゃんの美しい解釈
「ここって、マスターがクマちゃんの家で見たっつーか言われた? 『探して』って遺跡と関係あんのかな」
クマちゃんのスコップ――音と煙はもう出ていない――を拾い、ルークへ手渡したリオが、土の下に隠されていた文様を見ながら考えるように呟いた。
「どうだろう。クマちゃんの占いで見つけたのだから無関係ではないと思うけれど。森はとても広いからね。隠されている遺跡がいくつあるのかも分からないし」
ウィルはリオへ答えるが、はっきりした判断を下すには情報が足りない。
遺跡の中には何の気配もなかった。
たとえ洞窟が広くても、ルークに感じられないのなら、ここに少女がいるという単純な話ではないのだろう。
湖でマスターは『森、探して、少女、遺跡』そしていくつかの言葉が読み取れなかった、と言っていたはずだ。とにかく今はクマちゃんの占いを信じ、この遺跡で新しい情報を得る必要がある。
◇
今後の調査についての話をしつつ、洞窟内の通路を引き返す五人と一匹。
クマちゃんはルークの腕の中で皆のお話を聞いている。
「ここ調べるのって、洞窟消さないままやんの?」
通路の壁に張り付いている蔦へ視線を向けたリオが、かすれ気味の声で言う。
「白いのの爆弾を使っても消えたのはごく一部だ。人間の使う魔法でこの規模の幻影をすべて消すのは不可能だろう」
クライヴはここに入ったときから一度も、植物に覆われたこの洞窟が本物かどうかなど疑わなかった。遺跡がいつから存在するのか分からないが、少なくとも千年以上、この規模の幻影を本物の洞窟にしか見えない状態で維持し続けているのだから、おそらく通常の攻撃魔法があたった程度では消えないだろう。
可愛らしく心優しい生き物が爆弾を使う前、蔦のランプと鈴、可愛い掛け声、スコップからの光であの床は何度も浄化されていた。そこまでしてやっと一部の幻影を消すことが出来たのだ。
もしかしたら白いのはすべてを計算していたのだろうか。
可愛らしいもこもこの一連の行動は、人間達に幻影の存在を気付かせるためのものだった、ということか――。
「そうだね、本当は穢れた人間の造ったものなどすべて消してしまったほうが良いと思うけれど。普段は使わない攻撃魔法で幻影を消すことが出来るのか試すよりも、先に調査をしたほうがいいだろうね」
森での戦闘では使用できない、周囲が焦土と化すような危険な攻撃魔法も、碌でもない人間が造った遺跡でなら試せるだろうと考えたウィルは、透明感のある涼やかな声で物騒なことを言った。
ルークの腕の中で彼の長い指にじゃれたり、くわえたり、甘嚙みしたりしていたクマちゃんは考えていた。
クマちゃんは難しいお話はよくわからないのだが、綺麗なものが好きなウィルは、この洞窟の汚いものを消して、綺麗にしたいらしい。
そういえばクマちゃんと初めて会った時、ウィルは『僕は綺麗な物が好きだから真っ白な君も嫌いじゃないよ』と言っていた。
ウィルは綺麗な物が好きで、クマちゃんみたいな真っ白も好き。
洞窟をつくったひとは汚かった。
汚れは消したほうが良い。
――――洗えばいいのではないだろうか?
そうだ。
洗おう。
そうしたら、ウィルも洞窟が綺麗になって喜ぶはずだ。
リオはクマちゃんの占いで部屋が明るく見えるようになって喜んでいた。
ウィルにも喜んでもらいたい。
皆と共に汚れているらしい洞窟から出たクマちゃんは、ルークの腕を肉球でキュムっと押し、地面に降ろしてもらった。
「何クマちゃん。今度は何すんの」
先程爆発に巻き込まれかけたばかりのリオは警戒している。
しかし当然、作業を開始してしまったクマちゃんに風のささやきは届かない。
自分達に背を向け、洞窟の入り口で何かをしようとしている。
黄色い頬っ被りをしたクマちゃんが、ルークに可愛らしいピンク色の肉球を見せた。
何か欲しい物があるのだろう。
ルークから何かを受け取ったクマちゃんは、洞窟の入り口にそれを置き、もう一度肉球を見せる。
リュックの中を見せてもらったクマちゃんが、可愛いもこもこのお手々をリュックに突っ込み、取り出した物をまた入り口に置いた。
それを見ていたルークが可愛いもこもこに魔石と杖を渡す。
「魔石多すぎじゃね? マジで何すんの?」
ルークが袋ごと渡した魔石は、いくつ入っていたのだろうか。
しかしリオの質問に答えてくれる者は誰もいない。
皆に丸いふわふわのしっぽと可愛い後ろ姿を見せたまま、蔦のランプに囲われ、フワリと光の舞う洞窟の入り口に、お供え物のように素材を置いた黄色い頬っ被り姿のクマちゃんが、もこもこのお手々で杖を振った。
深い森の中、濃い緑に混じり、クマちゃん専用高級石鹼の香りが漂う。
ほのかに混じる牛乳の匂い。
ぶくぶくと白い泡が膨らみ、地下洞窟に流れ込んでいく。
真っ白な泡はもこもこ、もこもこと増え続ける。
もこもこの泡で入り口が塞がり、洞窟内の様子は全くわからない。
そして、汚れていたらしい洞窟は、綺麗な泡で完全に封鎖された――。
「なんで?」
それまで黙って見ていたリオの心の声が、思わず口から漏れる。
初めから何をするのか解らなかったが、クマちゃんの魔法を見てさらに解らなくなった。
目の前で全く消える様子のない泡がぶくぶくもこもこしている。あれでは誰も中に入れないだろう。
本当にどういうことだ。
臭いからいい匂いにしたいだとかそういうことか。自分は洞窟でそんな匂いは嗅いでいないが。
背の高い樹に囲まれた森の中、美しい、南国の鳥のような彼の鮮やかな青い髪に、葉の隙間から射す光が当たる。
ウィルが、何かに気が付いたように呟いた。
「もしかして…………」
クマちゃんは、自分が洞窟内で言った、『碌でもない』や『穢れた』という言葉を、しっかりと聞いていたのではないだろうか。
人間の汚い欲の話などわからない、純粋で幼いあの子は、綺麗な物が好きな自分の為に、汚い場所を綺麗にしようと考えてくれたのかもしれない。
ウィルは幼く可愛らしいクマちゃんの優しさに感情がこみ上げ、目頭が少し熱くなった。
先程まで洞窟の方を向いていたクマちゃんが、こちらを振り返り、つぶらな瞳でウィルを見つめている。
きっと、『きれいになった? 嬉しい?』と言っているのだろう。
「――ありがとう。クマちゃんの魔法でとても綺麗になったね。凄く嬉しいよ」
幼いクマちゃんが自分の為に一生懸命考えてくれたことが嬉しくて、装飾品をシャラと鳴らし、ウィルは可愛らしくこちらを見つめるもこもこを抱き上げた。
ウィルが心から喜んでいることが伝わったらしく、黄色い頬っ被り姿の愛らしいクマちゃんも喜んでいる。
手触りが気持ちいいもこもこの頬を撫でると、指にふんふんと湿った鼻が当たった。『クマちゃんも嬉しい』と言っているような気がする。
あまりに可愛らしくて手放したくなくなってしまう。
ずっと抱いていたい。
今日はもう洞窟の調査をする必要はないだろう。
それに、せっかくクマちゃんが泡で綺麗にしてくれているのだから、あの洞窟はもうあのままで良いのでは――。
「いやいやいやマジでどういうことか解んないんだけど」
リオは何故かとても喜んでいるウィルを見て、更に解らなくなった。
自分がおかしいのだろうか。
ウィルもあの洞窟が臭かったのか。もしかして、自分の嗅覚に問題があるのか――。
「良かったな」
ルークは愛しいクマちゃんの優しい想いが、ほぼ正確にウィルに伝わったことを見取り、喜び合う一人と一匹の様子に表情を変えぬまま、安堵した。
彼は洞窟が泡で封鎖されようと気にしない。
細かいことを気にしない男が細かく気にするのは、可愛らしく愛おしいクマちゃんのことだけだ。
「ああ。白いのの魔法は本当に素晴らしい」
クマちゃん専用高級石鹼と、それにほのかに混じる牛乳の匂いが漂う中、クライヴは感動していた。
愛らしく心優しいあの生き物は、人間の醜さを固めたような、気味の悪い洞窟を綺麗にする魔法を使ってくれたようだ。
仲間のウィルがあの洞窟から感じる悪意に反応し、暴言に近い言葉を吐いていたのを心配したのだろう。
綺麗にするだけでなく、魔法の泡で洞窟を封鎖したということは、もしや、今あの洞窟の調査をするのは危険だということか――。
「あの、靴の調査がまだ終わってないんですけど…………」
ぼーっと洞窟がクマちゃんの泡で封鎖されていく様子を眺めていた、外見は普通だが足の速いギルド職員が呟く。
しかし、その言葉は誰の耳にも届かなかった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます