第50話 勝利に貪欲なクマちゃん

 現在クマちゃんは謎の道化師と激しい戦闘を繰り広げている。

 うむ。お家の外に出て行ってもらったらいいのではないだろうか。



「クマちゃんてカードゲームとか出来るんすか?」


 クマちゃんという生き物がなんなのかよく分かっていない若手冒険者の一人が、マスターに尋ねる。

 

「こいつは文字も読めるし書ける。簡単なやつなら、すぐ覚えるだろ」


 クマちゃんを溺愛しているマスターは、可愛いもこもこの字が独創的で大変読みにくいことを伝えなかった。


「へぇー。薬も作れるし、演奏も出来るし、魔法もすげーし、クマちゃんて何でもできるんすね」


 若手冒険者はマスターが少し話を盛ったことに気付かない。


 彼の中のクマちゃんは、出来ないことなど何もない完全体クマちゃんに進化した。


 無害に見えるもこもこは、宣伝カーによる自損事故など、時々結構な問題を起こしている。

 だが、目撃者が少ない上、被害者が皆クマちゃんを訴えず許してしまうのだ。


 何も知らない人間の目に映るもこもこは、ただの可愛らしく能力の高い凄い生き物だった。


「クマちゃんすごいね」 

「うん。すごい」


 若手冒険者達全員が、素晴らしいクマちゃんを褒めたたえる。

   

「そうだ。白いのは可愛くて優しくて賢い」


 マスターは膝の上でカードの絵柄を対戦相手に見せつけているクマちゃんを撫でるばかりで、誤った情報を訂正することをしなかった。



「じゃあ簡単なやつでいいすか?」 


 若手冒険者はそう言って、道化師のカードをマスターとクマちゃんに見せた。


 手札に同じ数字のカードが揃ったら捨て、最後に道化師のカードを持っている者が負け――という、手に肉球がついている者にも優しいカードゲームだ。


 ――森の街の人間はその遊戯を、『簡単なやつ』『一番簡単なやつ』『最後にあれ持ってたら負けるやつ』『道化師のやつ』と呼んでいる。


「ああ、それでいい」


 マスターは若手に返事をすると、もこもこの手元を見て言った。


「一旦、配り直すから離そうな」


 肉球を持つ者がキュム、と持っている二枚のカードを抜き取ろうとして、何故か抵抗にあう。


「すぐに返してやるから一旦手を離せ」


 もう一度そう言って、ようやくそれを取り返すことに成功した。



「この、道化師のカードを最後に持ってたやつが負け、だ。わかったか?」


 ルールを説明し、マスターが最後にそう言うと、膝の上の可愛いクマちゃんが深く頷いた。

 ちゃんとわかったらしい。


 配り直されたカードは、もこもこの肉球には多すぎた。

 上手く持てないクマちゃんのお手々をマスターが横から支え、見守る。


 彼は参加者ではなく、幼いもこもこのお手伝いだ。


「じゃあ、目の前のカードから好きなやつを選んでみろ」


 クマちゃんがカードを引く番になり、マスターが優しく教える。

 もこもこのクマちゃんの手が、目の前のそれに掛けられた。


「いやいやいや、クマちゃん手首押すのやめて! マスター、クマちゃんがズルしようとしてくるんすけど」


 狡猾なクマちゃんは若手冒険者の手首に肉球のついた手を掛け、手札を全部見ようとしている。非常に悪質な初心者である。


「ああ、説明が足りてなかったか……。これはな、相手がなにを持ってるか分からない状態で遊ぶものなんだ。手首は駄目だ」


 可愛いもこもこが、初めてのカードゲームでズルなんてするはずが無いだろう。

 疑わぬマスターがルールの説明を付け加え、手首禁止令を出す。


 素直な初心者クマちゃんは、今度は大人しくカードを選び、カードの絵柄を見て、また相手の手札に戻した。


「いや、今一回見たよね。それもうクマちゃんのだから」


 若手冒険者は、道化師のカードを自分に返してきたクマちゃんに、冷静に対処した。


 

 嫌な絵柄のカードを始末したいクマちゃんは、他の若手冒険者の手がクマちゃんの嫌いなカードに近付くたび、口元がもふっと膨らんでしまい、結局負けてしまった。


 可哀想なクマちゃんがマスターの膝で丸くなり、彼が落ち込むもこもこを慰める。


「お前は初心者なんだから、いきなり勝つのは難しいだろ。――ほら、他の遊びにするか?」  


 マスターは優しく声を掛け、ふわふわで愛らしいもこもこの頭を撫でた。

 が、クマちゃんは膝の上で丸くなったままだ。


 絶対に負けたくなかったらしい。

 苦笑した彼が――仕事に戻らず――優しい手つきでクマちゃんを撫で続けていると、家のドアが開いた。


「あれ? クマちゃんどうしたの? マスターなんかやった?」


 入ってきたリオが丸まるもこもこを見て尋ねる。


「やるわけねぇだろ」マスターは雑な口調で返すと、眉間に皺を寄せた。「――それより」


「お前ら。いくらなんでも休憩には早すぎるだろう。何かあったのか?」


 一時間も経たずに戻るとはどういうことだ。

 休憩は数時間後ではなかったか。


「問題ではないと思うけれど、リーダーがいつもより張り切ってモンスターを倒してくれたからね」 


 涼やかな声がマスターの疑問に答える。「周りに敵がいなくなってしまって」


 ウィルはなんでもないことのようにそれを言うと、シャラ――と装飾品を揺らし、一人掛けソファに腰を下ろした。


「……そうか。じゃあ異変が起こったわけでは無いんだな」 


 マスターが顎髭をさわり考えているあいだに、ルークの大きな手が、膝の上のもこもこを攫っていった。


「どうした」


 低く色気のある声が、普段と様子の違うもこもこに尋ねる。


 いつもはまん丸の可愛らしい瞳が、悲しげに潤んでいる。

 ルークは慰めるようにもこもこの顎下を擽ってやった。


「あー。そいつは、さっき初めてカードゲームで遊んだんだが、……負けて少し、落ち込んでるだけだ」


 マスターは言葉を探そうとして、もこもこの耳に優しいそれが浮かばず、結局そのまま事実を伝えた。



 敗北者クマちゃんは、大好きなルークに初勝利の報告が出来なかったことを悲しく思っていた。


 しかし、クマちゃんはハッと気が付いてしまった。

 今自分を撫でてくれているルークは何でも強い、ということに。


 何でも強いルークと一緒にカードゲームをすれば、クマちゃんの嫌いなあのカードを引かずに済むのではないだろうか。


 クマちゃんはルークの腕の中からクマちゃんに苦しみを味わわせたにっくき絵札を、肉球つきのお手々でス――、と指した。



「遊びてぇのか」


 森の魔王のような、絶対に他人と仲良く遊ぶタイプの人間ではない風貌のルークは、おねだりするクマちゃんを抱えたまま、若手冒険者達の輪に加わった。


 後ろでかすれ気味の声が何かを言っている。「えぇ……リーダーの遊ぶってなんか違う意味に聞こえるんだけど」


「え!! ルークさんカードゲームとかやるんすか?」


 突然増えた参加者を見た若手冒険者は心底ビビった。

 視線の先に、可愛いクマちゃんを抱いた最強の男がいる。


 白い何かと魔王様の来襲である。


「なんかカードで真っ二つにされそう」

「わかる」


 若手が緊張のあまり失言をしているが、聞こえているはずのルークは反応しない。

 カードを配れということだろう。


 指の長いルークが片手でカードを持ち、クマちゃんがその手に肉球をのせる。

 一緒に持っているつもりらしい。


 ルークとクマちゃんの前に、複数のカードを持つ手が差し出された。

 もこもこのお口がもふ、と膨らむ。時は来た――。


 彼は膝の上の可愛いもこもこに、

 

「好きなのを選べ」


と無駄に色気のある声を掛けた。


 そして、ピンク色の肉球が、お好みのカードを選ぼうとしたときだった。


 ルークの指先が、クマちゃんのお手々の位置を、ス――と隣にずらした。


「リーダー……それクマちゃん全然好きに選んでないじゃん」


 目撃者リオが彼らの心に呼び掛ける。スってやったよね――。

 かすれた風のささやきは、白き者と魔王のもとには届かない。


 若手冒険者達が口々に述べる。


「……今めっちゃずらされたんだけど。ていうか何でわかるんすか。なんか怖いんすけど」

「今普通にずらしたよね」

「見た」


 難を逃れたもこもこは、遊びも最強な男の膝に座り、つぶらな瞳で前を見ていた。


 クマちゃんが好きに選んだことになったカードが、問題なく手元のカードとペアになり、すみやかに場に捨てられる。


 そして当然その後も、もこもこの肉球は何でもお見通しの男に助けられ、にっくき絵札をス――、と躱した。

 ルークはゲームが終わるまで、クマちゃんの可愛いもこもこのお手々を、堂々と動かし続けた。



 こうして操り人形クマちゃんは、目論見通り、初勝利をもぎ取ることに成功したのであった。



 大喜びのクマちゃんが興奮でふんふんと鼻をならし、何でも最強の男ルークの手を甘噛みしている。


「えぇ……。クマちゃんそれでいいの?」


 リオはもこもこの心に訴えかけた。不正行為で手に入れた勝利で本当にいいのか、と。

 しかし偽りのそれに酔いしれているクマちゃんには届かない。


「初めて遊んだんだから勝ちたくて当然だろ。そのうち自分で勝てるようになる」


 可愛いもこもこの喜びに水を差すリオに、マスターはまるでクマちゃんが『もう二度と不正行為をしないクマちゃん』であるかのように擁護した。


 リオは思った。


 あの獣は、勝ちたければ何度でも操り人形になるだろう、と。

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