第45話 クマちゃんの破壊と創造

 展望台の淡い光に照らされた湖。

 そこから少しだけ森に入った場所につくられた、葉に隠された広場。そして、その中央には先程完成したばかりの青く輝く露天風呂があった。



 現場職人クマちゃんは考えていた。

 露天風呂が完成したら、次はやはり寝る場所が必要だろう。

 クマちゃんのようなふわふわの、もこもこした物をたくさん用意しなければ。 


 布や綿が欲しい。別荘の中にあるのではないだろうか。

 自分を抱っこしてくれているルークへ気持ちを伝えようと、彼の瞳をみつめると、森と同じ色の目を微かに細めてくれた。

 喜んでくれているのが嬉しくて、もこもこの頬をくすぐる手を捕まえ人差し指をくわえ、ハッと気付く。違う。指をくわえている場合ではない。

 危うく目的を見失うところだった。

 大好きなルークと一緒にいると、つい気分が高揚していつもよりも子供っぽく振る舞ってしまう。クマちゃんはもういい大人だというのに恥ずかしいことだ。

 普段は大人で格好いい自分から、微かに残っている幼い部分を引き出してしまう頼りがいのある彼に、うむ、と感服した。


 

 クマちゃんはルークの指をくわえたまま、肉球のついたもこもこの手をスッと別荘へ向ける。


「何、クマちゃん今度はあの家入るの?」


 温泉に手を突っ込んで「めっちゃ適温」と言っていたリオが、視界の隅にいる一人と一匹の動きに反応しクマちゃんに尋ねた。

 もこもこの手が指している方向から推測したのだろう。


「そういえば、まだ誰も入ったことがないのではない? 展望台へ入る時、マスターから『魚が欲しかっただけ』というようなことを聞いた気がするのだけれど」


 日が落ちる前、皆で展望台へ昇った時のことを思い出し、ウィルが言った。

 視線が露天風呂の不思議なツボに固定されたままなのは、仕組みが気になって仕方がないからだろう。


   

 クマちゃんを抱っこしたルークと仲間二人、そしてマスターとクライヴは展望台の横の可愛らしい白い建物を調べるため、濃い木の色のドアの前に立っている。

 他の冒険者達はまだ露天風呂の見学をしている。そこに彼らを残す際、マスターが『まだ入るなよ』と注意していたのはクマちゃんが今から何をするか分からないからだろう。


「なんか普通の家っぽいけど」


 リオが右手で濃い木の色のドアにふれると予想通り、自動でそれは開いた。

 彼が外観を見て言った通り、入り口から見える部分も普通の家に見える。

  

 ルークがクマちゃんを抱いたまま中へ入り、他も順番などは気にせず、ドアに近い場所に立っていた者から適当に中へと入った。

   

「普通の家っていうか、すげー避暑地っぽいっていうか。……なんだろ。くつろぐ場所ってかんじ?」

 

 真っ白なふんわりとした絨毯のような、それよりもやわらかい質感のものが床に敷かれ、敷物の上にはたくさんのクッションが置かれている。

 部屋のあちこちにある観葉植物と思しきものは、よく見ると植木鉢ではなく床や壁から直接生えている。

 壁を含めほとんどの物が白いが、ドアや床の一部、家具に使われている木は、やはり自然の色のままだ。

 たくさんのクッションと布の中には真っ白だけではなく、緑がかった水色、ターコイズのような涼し気な色のものもある。リオが『避暑地っぽい』と言っていたのはこれのことだろう。

 白い壁を見ると、展望台の一階と同じく窓はクマの形だった。


「本当に、クマちゃんのつくるものはどれも可愛らしく、美しいね。展望台で見張りをする人達が交代で休むための場所なのかもしれないね」

  

 ここの隣にあるのは観光目的の呑気な展望台に見えるが、危険な森の中に建てられたのだから、あれの本来の用途は観光ではなく見張りだろうと推測したウィルがいう。


「ああ」


 相変わらずクマちゃんの賛辞にだけは肯定を返す普段はほとんど話さない男ルークが一言答え、床の何かが気になっているらしいクマちゃんを降ろしてやった。

 

 マスターは鉢に入っていない植物が気になるらしくそちらへ視線を向けている。そしてクライヴはクマちゃんの形の窓や、所々に置かれているクマちゃんの形の置物を恐ろしい顔で見ている。


 床に降りたクマちゃんは、床のやわらかい白い敷物を引っ張っている。敷物に乗ったまま引っ張っているので、このままだと後ろへ倒れるだろう。


「クマちゃんそれだと転ぶんじゃねーの?」


 リオがそういった時にはもうクマちゃんはひっくり返っていたが、頭をぶつける前に最強の男ルークがもこもこを抱き上げ、可愛らしい手や頭を痛めていないか確認していた。


「もしかして、その敷物を外に運びたいのか?」


 床に降りた三十秒後にはもうルークの腕に戻っていたクマちゃんに、マスターが尋ねる。

 聞かれたクマちゃんは、ルークの腕の中から肉球のついたもこもこの手をクッションに向けていた。


「わかった」

 

 可愛らしいクマちゃんの願いを察知したらしい吹雪の男クライヴが、魔法でクッションを集め浮かせた。彼は氷だけでなく風の魔法も得意なようだが、その風は凍えるほど冷たい。


「あー。両方ってことだな。じゃあ敷物のほうは、ルーク。頼んだ」


 クライヴの意図を汲んだマスターは、贈り物を持ったまま腕を組み、視線をルークに向けた。

 すべてのクッションが浮かされた時にはルークはもう敷物を浮かせていたようだ。視線で承諾を伝えた彼は、魔法でクッションを外へ運んでいるクライヴの後に続き、外へでた。 



「クマちゃんこれどうすんの?」


 ルークが地面から少し離した状態で浮かせている敷物を見て、リオが尋ねる。

 するとクマちゃんは、ルークの腕の中からリオの腰の横に付いている革製の焦げ茶の道具入れを、もこもこの手で指した。


「なにその手。何で俺の道具入れの方向けてんの」


 リオは警戒した声を出している。


 そして、クマちゃんのバックについている夜の森の魔王は言った。 


「貸してやれ」と。



 別荘前の地面に座ったルークの膝の上で可愛らしいクマちゃんがリオの道具入れを漁っている。


「なんかめちゃくちゃ不安なんだけど。クマちゃんマジで変なことすんのやめてね」


 リオの大事な道具入れの中を漁るクマちゃんは、可愛らしいもこもこの手で何かを掴み取り出した。


「……クマちゃんまさか前の仕返ししようとか思ってないよね」


 クマちゃんが肉球のついた可愛らしい手で持っているのは、かつて美の化身だったクマちゃんの、美しい被毛を失わせた凶器、切れ味の良いハサミだ。


「するわけねぇだろ」


 夜の森の魔王がいつものように抑揚のない、魅惑的な低い声で返すが、かすかに馬鹿にした響きを感じなくもない。



 あのときの憎き凶器を手にした元・美の化身クマちゃんだったが、リオの頭をどうこうしようなどと邪悪な事を考えたりするはずもなく、寝る場所を作ることを考えているだけだった。

 まずは、数を増やすために細かくしなければならない。

 この切れ味のよすぎるハサミであれば、クマちゃんでもチョキチョキできるだろう。


 うむ、と頷き目の前に浮いている敷物にもこもこの手をかけ、ジョキ、とハサミを入れる。


「もしかして細かくしたいのか? お前の手じゃその鋏はあぶねぇだろ。ルーク、魔法でやれるか?」


 そばで可愛いもこもこが危ないことをしないよう見守っていたマスターが、ルークに声を掛ける。

 ルークは当然のように、手付きの危ういもこもこの手を長い指で軽く掴み、危険な行為を止めていた。


 適当に「ああ」とマスターに返し、魔法ですっぱりと敷物を半分に切ったルーク。

 しかしクマちゃんはまだ納得していないようだ。

 微妙にハサミを動かしているクマちゃんのもこもこの手を見てマスターが言った。


「まだ切りたいみたいだな……。どのくらいにしたいの分からんから、もこもこの顔を見て判断するしかないだろう」


 難易度の高いことを飼い主ルークに押し付け、しつこくハサミで敷物を狙うクマちゃんの望む通り、ウィルとクライヴ、魔法が得意な者を中心に作業を進めていく。



 クマちゃんがハサミで敷物を狙うのをやめるまで、夜の森の魔王と魔法使い達は裁断を続けた。


「……なんか今度はクッション狙ってない? あれも切っちゃうの?」


 大分敷物が細かくなったところで、クマちゃんのハサミの狙う先に気付いたリオが残念そうに言う。

 リオの言葉を聞いたクマちゃんが頷いてしまった。残念だが、美しいクッションも無惨に切り裂かれる運命のようだ。



 美しかった敷物も、ふんわり柔らかそうなクッションも全て可愛らしいもこもこの望むまま、ボロボロに切り刻まれてしまった。


「…………ぼろぼろだな」


 マスターが遠い目をして言う。


「白いのに何か考えがあるのだろう」


 クマちゃんのバックには冬の支配者のような男もついている。



 宙に浮く細かく切り刻まれた布と綿を見て納得したクマちゃん。

 うむ。これだけあれば問題ないだろう。

 ルークにハサミを持ってもらい、膝から下りたクマちゃんは、近くでぼんやりしているマスターの手をカリカリした。


「ん? ……ああ、ここで魔石を使うんだな。今度はいくつ必要だ?」


 すぐに察したマスターが雪色のリボンをほどき、クマちゃんに尋ねる。

 答えを返すクマちゃんが、もこもこの手を上げ顔の前にやり、肉球を見せた。


「……誰か意味のわかったやつはいるか」

 

 猫の肉球のようなそれを見ながらマスターが尋ねる。


「三だろ」


 夜の森の魔王が答える。


「なんで?! 今ので何がわかったの?」


 うるさいリオがカッと目を見開きルークに聞いた。


「見りゃわかんだろ」


 魔王にしかわからない何かで、クマちゃんの肉球の謎は解明された。



 取り敢えず三で間違いないらしいそれを、頷いているクマちゃんの前に置くマスター。

 ルークがクマちゃんのリュックから杖を取り出し渡してやった。

 杖を持ったまま膝の上から立ち上がったクマちゃんがトテトテと移動を始めたのを見て、ボロボロの素材と三つの魔石を浮かせながらルークがついていく。


 少し湖から離れ、広い場所に到着したクマちゃんは自分の周りに焚き火が無いことを確認すると、浮いているボロボロの素材と魔石の前で杖を振った。



 目の前にはクマちゃんが望んだ通り、たくさんの美しい大きな敷物と、体の大きな男が横になって休める程のふわふわのクッションが、ふわりと光るように大量に浮かんでいた。



「すっげぇぇ!! クマちゃんまじで凄すぎじゃねー? やべぇ鳥肌たった」


 展望台の明かりに照らされる、夜空を埋め尽くす美しい真っ白の布と、ターコイズ色と白の巨大クッションの山をみてリオが叫んだ。

 

「……クマちゃんの魔法はとても不思議で、人間には真似の出来ないものばかりだけれど、優しい気持ちがしっかりと伝わってきて感動したよ。――これは、皆で一緒に休むためにたくさん作ってくれたのではない?」


 まぶしそうに目を細めたウィルが、やさしい声でクマちゃんに尋ねた。


 敷物と巨大クッションをつくり終えた寝具製作技能士クマちゃんは、ルークに抱き上げられ腕の中で頷いている。褒めるようにルークに撫でられ、喜びでふんふんしている。


「……お前らだけで建物の中で休んだって、問題なんかねぇってのに、――おまえは本当に、可愛らしくて、優しくて、優秀だ」


 建物の中にあった綺麗な敷物やクッションを切り刻んでまで、皆の分の寝床を用意してくれたクマちゃんに感動しているらしいマスターは、いつも可愛いもこもこの被害にあっていることも忘れ、目頭を押さえている。

 仕事中に無理やり連れて来られたことも、湖に来なければ自分のベッドがあることも、クマちゃんが可愛くて仕方がないマスターには関係ないらしい。


「素晴らしい……」


 全く素晴らしくなさそうな、今にもすべてを引き裂きそうな顔つきで、クライヴが感動を伝えている。

 恐ろしい表情だが、優しく可愛らしく素晴らしい力を目の当たりにして、感動しているときの顔のようだ。



 露天風呂を交代で見学していた冒険者たちが、夜空に浮かびやわらかな光に照らされた大量の布とクッションを見て近付いてきた。


「……やべぇ、俺泣きそうだわ」

「ああ、俺もだ……」

「あのもこもこ、俺達のために……」

「クソ! せっかくナンバーワンが俺達の為に作ってくれた大事なもんが涙で見えねぇ……!」

「肖像画にはベッドも入れねぇとな……」

「……ああ、そうだな、ベッドにバラを散らして、何本かツルハシを並べる感じでいいんじゃないか……」

「――――それで間違いなさそうだな、ナンバーワンの優しさが伝わると思うぜ……」

「お前ら天才か……」

「完璧、だな……」


 冒険者達は感動で涙をながしている。肖像画の構成もほぼ決まったようだ。

 湖畔で皆と過ごす楽しいクマちゃんの夜のひとときは、こうして美しく感動的に過ぎていった。

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