第42話 天才料理人クマちゃん

 湖畔の別荘前。少し日が落ちた頃、クマちゃんの、空へ聳える展望台はうっすらと輝き出し、湖をやわらかな光で照らし始めた。

 光る展望台をそのまま切り取ったような風景。湖面には淡く輝く白色の建物が、まるで道を作るかのように映し出されている。

 

 幻想的な雰囲気の中、湖の周りで休んでいる冒険者達は焚き火をしたり、今日の出来事について話し合ったり、くつろいだ時間を過ごしていた。


「日が落ちてからも、クマちゃんの展望台はとても美しいね。優しい白い光がとても神秘的で、湖を更に魅力的にしていると思うよ」


 美しい物を好むウィルは、鮮やかな鳥のような青い髪と美しい顔立ち、透明感のある涼やかな声、そして全身に飾られた装飾品が動くたび、シャラ、と音を立て、まるで彼自身が芸術品のようだ。

 お気に入りの美しい湖に出来た素敵な展望台は、夜になると更に美しさを際立たせ彼を喜ばせていた。


「マジ綺麗だよねここ。森にモンスターさえ出なきゃ観光名所になるって」


 芸術に疎いリオであっても、展望デッキから見渡す広大な森の景色も、時間帯によって変わる湖の色合いや、この場所の美しさをすべて切り取って見せてくれる湖面の様子も、此処だけで見られる素晴らしいものだと解る。


「ああ。そうだな」


 余りにも夜が似合う、低い色気のある声で肯定するルークは、普段はほとんど話さないがクマちゃんへの賛辞には参加する困った飼い主だ。

 淡く輝く建物の光が彼の銀髪をキラキラと照らし、無表情の整った顔立ちと相まっていつもよりも更に近づき難い。もしも瞳の色が赤であれば、美しい吸血鬼や魔王と間違えられそうな風貌である。

 時間帯によって変化する森の色と同じ彼の瞳は、今は夜の森の色だが、展望台の光が射し込むときだけ、また鮮やかな緑に変わる。



 クマちゃんは現在ルークが解体し、更に切り分けてくれた魚を調理中である。

 別荘前にある高さ約十センチ、横幅五十センチ程度の平べったい岩の上。綺麗に洗った大きな葉っぱの上に乗せられている、その魚の切り身を見つめてみた。

 本当は全部店長であるクマちゃんがやる予定だったのだが、夕食までの時間が押しているというリオが『リーダーが手伝ってくれるって』とクマちゃんの折りたたみナイフを取り上げたのだ。

 ルークがとても綺麗に切り分けてくれているので、残念ながらクマちゃんの作業は味をつけて焼くだけだ。

 そして、焼く作業はこの大きな葉っぱに包んだ状態で火のそばに置いておけば勝手に蒸し焼きになるらしい。何故か燃えない便利な葉っぱのようだ。

 そうすると、クマちゃんに残された作業は味をつけるだけになってしまう。

 誠に遺憾である。


 葉っぱの上の魚の切り身を見つめているクマちゃんにルークが長い脚で近付いてきた。

 彼はクマちゃんの首元にリュックから取り出した薄い水色のよだれかけをつけ、もこもこの頭の上に彼の道具入れに入っていた新品のふわふわの布を掛けると、可愛いもこもこの耳が痛くならないように気をつけつつ、布の両端を顎下でキュッと結び頭巾のようにした。

 クマちゃん調理師スタイルの完成である。この新品のふわふわの布が薄い水色なのは、やはりルークの愛だろう。

 

「クマちゃん可愛いじゃん」


 別荘前の地面で胡座をかき、クマちゃんから取り上げた折りたたみナイフの安全確認をしていたリオが、視界に入った調理師風クマちゃんを見て笑いながらいう。


「ほんとうだ。とても愛らしいね」


 同じく別荘前の地面に座り、ゆるく立てた右膝に肘をのせ、頬杖を付いて湖面に映る幻想的な景色を楽しんでいたウィルが、リオの笑い声に反応してクマちゃんの可愛らしい格好を見ると、ふ、と愛でるように笑ってもこもこを褒める。


「ああ」


 口数が少ないくせにクマちゃんを褒める時は口を開く男ルークが、愛らしくなってしまった調理師風クマちゃんの頬を、長い指の背で撫でながら一言だけ返した。



 愛らしいと評判の調理師風クマちゃんは、うむ、と頷き考える。

 やはりクマちゃんはどんな格好も似合ってしまうようだ。これで、もこもこの髪が落ちてしまうことは防げるだろう。

 先程ルークが湖岸から持ってきてくれたクマちゃんのリュックの中から、携帯用の塩と、オリヴァーの畑で収穫した青とピンクの綺麗な縞柄の木の実を取り出す。

 

「クマちゃん。それは違うんじゃね? 間違って出しちゃったやつでしょ。それ鼻水垂れるやつだから」


 間違っていないという意味で一度、うむ、と頷き、リオに右手の肉球の見せる。

 そのクマちゃんの折りたたみナイフをこの肉球に乗せろという意味だ。


「何その手。何で今肉球見せてくれたの」


 察しの悪い男リオは何故かクマちゃんの方を向いたまま、クマちゃんの折りたたみナイフを右手で、パチン、と畳み自分の腰の横に付けている革製の焦げ茶の道具入れの中に仕舞ってしまった。   


「返してやれ」


 色気のある声で森の魔王のような男が言う。

 クマちゃんのバックには何でも肯定してくれる世界最強の男がついている。


「……えぇ……」


 嫌そうな声を出しつつ、魔王には逆らえない長いものに巻かれたリオはゆっくりとした動きで調理師風クマちゃんの肉球の上に小さな折りたたみナイフを乗せた。

 先程の返せという仕草は、リオがクマちゃんの物を奪ったまま返さないだろうと思ってしたわけではない。

 クマちゃんはただ、今使いたいからそれを肉球に乗せろと要求しただけだ。


 早速折りたたみナイフを開こうと手を掛けると、ルークの長い指が肉球の上のそれをスッと取り、パチン、という音が聞こえ、すぐに開かれた折りたたみナイフの持ち手の部分がクマちゃんの肉球の上に戻ってきた。

 感謝の気持ちを込めて、うむ、とひとつ頷き、平らな岩に敷いてもらった大きな葉っぱの上で、青とピンクの木の実を半分にする。「なんかゾワゾワするんだけど。種まで灰色とかマジで良くないと思う」


 うるさい風の音を聞き流し、滑らかな動作で細かく切り刻む。


「クマちゃんは料理もとても上手だね。本当に凄いことだと思うよ」


「ああ」


「えぇ……めっちゃ手ぶるぶるしてんじゃん……確かにクマちゃんが料理してるだけでも凄いんだけど……」


 切り身の上に塩を振り、刻んだ木の実の少し乗せ、リュックから取り出した〈野菜と果物のジュース・改〉を掛ける。


「灰色。マジ灰色。全部灰色」


 何故か色の名前を連呼するリオの声を聞き流し、大きな葉で魚を包もうとすると、ルークの大きな手が器用に動いて、あっという間に蔦で巻かれた葉の包みが完成していた。


「クマちゃんだけで全員分作るのは大変なのではない? 今見ていた作業だけであれば僕にも出来ると思うから、少し手伝うよ」


 シャラ、という音と共にウィルが立ち上がりクマちゃんのもとへ来て言った。

 確かにクマちゃんだけで全員分のこれを作ると、皆が寝る時間になってしまう。感謝の気持ちを込め、うむ、と頷いた。


 

 全員分の魚の包みが完成した所で、リュックから杖を取り出す。


「なんで? なんで杖だすの?」


 リオも色の名前を呟きながら手伝っていたのだが、クマちゃんの杖を見ると何故か警戒したような声を出す。

 いま使うからである、という意味を込めて、うむ、と頷き魚の包みの前で杖を振る。

 魔力も注ぎ、後は火の側に置き、しばらく待てば完成だ。



「……やばい。葉っぱで見えない。中どうなったんだろ……」


「とくに味が変わったりはしないのではない? 牛乳も野菜ジュースも、多分同じ作り方をしていると思うのだけれど」


「気にすることでもねぇだろ」


 細かいことを気にするリオに大雑把な二人が声を掛けるが、リオが彼らの言葉を聞き、この二人がそういうなら大丈夫だろう、と思う日は来ない。



 ルーク達が大きな焚き火を作り、その周りを囲うように葉の包みを置いていく。

 すべて置かれたのを見たクマちゃんは、焼き上がりを待つ時間を有効につかうべくリュックから縦笛を取り出した。



「お、クマちゃんまた何か聴かせてくれんの?」


 もこもこのクマちゃんが可愛い肉球のついた手で縦笛を持つのは可愛い。

 リオは可愛い楽器であればクマちゃんの演奏の邪魔をするようなことは言わない。


「それはとても素敵なことだね。皆で火を囲んで、美しく輝く夜の湖を眺めながら音楽を聴くなんて。こんなに優雅な時間を過ごすのは、冒険者になって初めてなのではないかな」


 喜びで輝くような笑顔を見せたウィルは、クマちゃんの素晴らしい提案に感謝し、すぐに賛成した。


「そうだな」


 一言だけ返した夜の森の魔王のようなルークは、可愛らしいクマちゃんの優しい心遣いに感謝を伝えるように、もこもこの頬を長い指の背で撫でた。



 大きな焚き火の前、炎を背にしてふわふわの布の上に座っている調理師風クマちゃんが演奏を開始すると、少し離れた場所に座っていた冒険者達も大きな焚き火の側へ寄ってきて、それぞれ好きな場所に座り始めた。

 クマちゃんから一番近いところにはルーク達が座っている。そこから少しだけ離れた場所に、もこもこを見守るように吹雪の男クライヴが座った。


 クマちゃんは皆を眺めながら縦笛を奏でる。

 今日の野外コンサートで演奏するのは外が似合いそうな曲だ。

 先程思い浮かんだものをそのまま吹く。

 この動物はたぬきだろうか。たぬきは、たぬきはなんと、猟師に……。

 音楽の物語の中で、たぬきが大変なことになってしまった――。


「なんだか、心ががざわつく……」

「ああ、なんというか明るいのか、明るさに狂気が潜んでいるのか……」

「もしかして、今の森の様子をイメージしてるんじゃないか?」

「さすがだな、あのもこもこ……」

「美しい森に潜む狂気、か……今日見た景色を忘れるなってことなんだろうな……」

「やるな、あのもこもこ……」


 ゆったりとした演奏でたぬきの曲を二周し、前の演奏会の時に途中で違う曲に呑み込まれたちょうちょの曲、そして最後にクマの曲を吹く、そうすると丁度魚が蒸し上がったようだ。 

 大きな拍手を貰い、立ち上がって丁寧に礼をする。

 今日のコンサートもちゃんと皆に喜んで貰えたようだ。

 一番大きな熱い拍手はクライヴの居る方から聞こえてくる。


「クマちゃんの演奏ってさー、聞いたこと無いのになんか心に迫るものがあるよね。最後の曲が明るい曲だったのって、この森が元の美しいだけの場所に戻るようにってことなのかな」


「そうだね。きっと、とても深い考えで選曲してくれているのではないかな」


「ああ」


 曲の内容を知らない彼らは、クマちゃんが何を考えていたのか知らぬまま、もこもこを称賛し続ける。


 

「あれ? 灰色じゃない」


 蔦で括られた葉の包みを開き、蒸し上がった魚を見たリオが驚いたようにいう。

 灰色だったはずの液体も木の実の粒もなにも見えない。


「不思議だけれど、加熱するとあの木の実は透明になるのかもしれないね」


 その様子をみたウィルも自分の包みを開きながら相槌をうった。


 色の変化も気にならない男ルークはすでに食べ始めている。

 先に味見をして、クマちゃんが食べても大丈夫なのか調べているようだ。 


「うめぇな」


 クマちゃんなんでも肯定派のルークは、味見してすぐにもこもこが作った魚料理を褒める。

 そして、胡座を崩したように片方だけ膝を立てて座っているルークの、胡座の部分に座っているクマちゃんの頬を、彼は指の背でくすぐるように撫でた。


「めちゃくちゃ美味いんだけど!! なんで?!」


 建物色の汁にまみれた魚だったはずのその料理が、とんでもなく美味くなっていて驚きの声を上げるリオ。


「ほんとうに、とても美味しい料理だね。こんなに美味しいのであれば、何処のお店で出されても皆喜んでいただくのではない?」


 料理にはあまり詳しくないウィルだが、クマちゃんの作ったこの料理は本当に味が良く、酒場の料理人が作ったものと言われても納得するだろう。


 少し離れた場所でクライヴが深く静かに頷いている。


 周りの冒険者たちからも、驚きと喜びの声が上がっていた。


「すげー!! めちゃうめー!」

「まじですげぇなこれ。俺が食った料理の中で一番うめぇわ」

「ほんとだねぇ。こんなに美味しいのは初めて食べたよ」

「オレも……。クライヴさんなんであんな怖い顔で頷いてんだろ……」

「まじうま! クマちゃん天才じゃね?」

「確かに。すげぇ才能だな」

「美味すぎて、なんか涙出てきた……」

「わかる……そんでなんか、すげー体があつい」

「たしかに……。なんだろ。美味すぎて興奮したからか?」

「ちょっとピリ辛で、うっすらした甘みと深み、丁度いい塩気。美味すぎる。そして、何故か熱くなる体……恐ろしい料理だ」

「ああ、とんでもない天才料理人だぜ。……なんで、こんなに体が熱くなるんだろうな……」


 

 日が落ちてやさしく輝く展望台。淡く照らされる美しい湖畔の景色、その中で皆で聴く素晴らしい音楽。

 皆で焚き火を囲んで食べる美味しい料理。そして何故か上昇し続ける体温。

 

 クマちゃんの初のお泊りは、皆の喜び、そして少しの困惑と共に夜を迎える。

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