第33話 熱いアーティストクマちゃん

 クマちゃんは現在『さぁ早くクマちゃんにその格好いい衣装を着せて下さい』という想いをこめ、つぶらな瞳でマスターを見上げている。


 彼はクマちゃんの衣装が格好良すぎて驚いているようだ。

 服を掴んだまま固まっている。

 素晴らしさを表現する言葉を『これは……』と探しているのだろう。

 


「あー、そうだな。これは……お前には硬すぎて着れないんじゃないか?」


 マスターは自分でも何をいっているのか分からなかった。


『お前には硬すぎて着れない』とはどういう意味か。

 自分ならほどよい硬さで着られるのか。


『まぁまぁの硬さだな……』と。


 ――いや、無理だ。


 正確には『これは……お前には――』ではなく『この服は伝説の勇者であっても着られない……それほど硬いのだ』の間違いである

 理解しがたいが、服そっくりな鉱物なのでは。


 問題のブツを見ていたマスターはチラ、ともこもこへ視線を移す。

 ギルドにいる奴らになら『だから硬くて着られねぇっつってんだろ』と簡単に言えるが、こんなにつぶらな瞳をキラキラさせ『クマちゃんの格好いい服はまだですか?』という顔をされてしまうと――。


 ――そんな残酷な言葉を吐くことは出来ない。


『これは……』を聞いたクマちゃんのようすを観察するマスター。


 やはり意味がわからないらしい。

 クマちゃんはつぶらな瞳で彼を見上げたまま、少しずつ首を横に傾げていった。


「そうだな……。あとでこの服と同じものを……布で作るようにギルド職員に伝えておこう」


 マスターは自分の部下にこの大変な問題をぶん投げることにした。


 ――職権乱用である。

 もこもこが可愛いからといって部下の仕事を増やすなんてとんでもない上司だ。

 心の中で己を罵る。


 だがやはり、首を限界まで傾けたまま『何故ですか? 今ではだめなのですか?』と思っていそうな可愛いもこもこに『その硬い服はもう諦めろ』とは言えなかった。




 彼が隣の部屋の女性職員に「あ~。……この服と同じ物を、柔らかい布で作るように伝えてくれ……出来れば三日以内に」と言ったらこう返された。 


「マスター。総務の方も最近忙しすぎるってキレ気味に話してたの聞いたんですけど、大丈夫なんですか? せめてギルド職員の制服だったら怒られないんじゃないかな、と思うんですけど」


 確かに、この街の人間は彼がギルドの管理者であるとわかっていても、腹が立つことがあればノックもせずに直接怒鳴り込みに来る。間違いない。

 マスターはクマちゃんがギルド職員の制服を着ているところを想像し――それも可愛いだろう、と思った。


 だがそれだともこもこが毎日ルークに結んでもらっているリボンと合わないこともあるだろう。

 それに、ルークとお揃いの服を着たがっているクマちゃんがそれで妥協するとは思えない。


 ――まるで時間が巻き戻ったかのように服型鉱物を見せてくるに違いない。

 あの生き物は一つのことが気になったらそれだけを見つめ続ける猫のようなところがあるのだ。


「まぁ、そうなんだが……」 

 

「でも、一応聞いてきます。皆クマちゃんのことが好きなのでもしかしたら、作りたいって言うかもしれないですし……作りたくても時間が無いとは思いますが」


 そう言って部屋を出ようとした女性職員だったが、硬くて持ちにくいクマちゃんの格好いい服は彼女の手から滑り落ちてしまった。

 室内に高い金属音が響く。


 女性職員はすぐに「あ、すみません」と言ってそれを拾おうとしたが、


「マスター。この部屋の障壁消えてるんじゃないですか? 床に傷がついたんですけど」


聞き捨てならないことを言う。


 本当にそうであれば、関係者以外が立ち入れないこの場所に入れる――高位の魔法使いが複数人で築いたこの障壁を消すことの出来る――人間が、管理者である自分にそうと気付かれずに事を為したという事だ。


 それが可能な人間は限られる。

 疑われるのはルークくらいだろうが、奴は絶対にそんな面倒なことはしない。

 そんなことをしなくたって国の一つや二つ簡単に滅ぼせるだろうし、ギルドを潰したいのであれば冒険者全員を倒すほうが彼には早い。


「そんなわけあるか。俺が確認する」


 確認すると言いながらマスターはなんとなく、原因は〈クマちゃんの硬い服〉だと解っていた。


 女性職員は自身が立っていた場所を譲り、マスターは問題の『床に傷が――』を確認する。


 彼は見ただけで少し欠けたとわかるそこへ指を這わせた。

 触っても事実は変わらない。


 欠けている。 


「…………障壁には問題ないはずだが、防衛と総務の奴らに他の場所でも同じことが起きるか確認するよう伝えてくれ」


 マスターは思った。


〝確認〟しているところをもこもこに見られるわけにはいかない。

〈クマちゃんの格好いい服〉で床や壁を殴打するところなど、絶対に見せられない。

 もこもこは傷ついてどこかに行ってしまうかもしれない。


 

「マスター! この服なんなんですか? 障壁ぶち抜いて壁も床も壊せる素材なんて聞いたことないんですけど!」


 しばらくして部屋に飛び込んできたのは、組織内で障壁の研究を担当している男だった。


「もっと静かに入ってこい」


 乱暴に扉を開けて大声を上げて入ってきた男にマスターが注意する。

〈クマちゃんの格好いい服〉についてマスターが知っていることといえば、もこもこは飼い主であるルークと同じ服を着たいんだろう、ということくらいだ。



『服の事はこっちでどうにかするから、開店の準備を頼む』


 マスターにお願いされてしまったクマちゃんは、立入禁止区画から酒場へ、仕方なくヨチヨチ歩きで一人旅をした。


『どうにかする』というのはどういうことだったのだろうか。

 どうにかしなくてもクマちゃんの格好良い衣装をクマちゃんが着るだけでどうにかなると思うのだが。


 自身のお店に到着したクマちゃんは現在、忙しく働いている。

 商品を作って並べ、宣伝の準備を整え――それから少しの練習。

  

 もうすぐルーク達が戻ってくる。

 それまで頑張って稽古して、大好きな彼に今日のお出かけの感動を伝えよう。



 いつもより少し早く森から戻ってきた三人が〈クマちゃんのお店〉の前に到着すると、ドアの向こうから鈴を鳴らすような音が聞こえてきた。


「え、何この音。クマちゃんまたなんかやってんの?」


 クマちゃんのお店毒物事件で負った心の傷が癒えていないリオが、急いでドアに触れる。

 チリン――。涼し気な音と共に開いたそこをくぐるリオ。

 あとに続くルークとウィル。


「何? どういう状況これ」


 店内は薄暗く、中央だけが照らされている。

 中央には小さな円形の台。

 その上に、光に照らされたクマちゃんが立っていた。


「まじで何なのこれ。クマちゃん何で鼻にミニトマトつけてんの」


 動揺したリオが尋ねる。何故――と。

 クマちゃんの小さな黒い湿った鼻に、ヘタの外されたミニトマトが付いている。

 一体どうやって。


 まるで舞台のように置かれた円形の台。

 薄い水色のよだれかけとサングラス。

 鼻にはミニトマト。

 猫のようなお手々には鈴がついたタンバリン。――さてはさきほど聞いた音の正体。

 

 記憶は刺激しないが網膜を刺激する格好で着飾ったもこもこは、彼らに見せつけるようにタンバリンを掲げた。

 そして。


 クマちゃんは照らされた舞台の上で一心不乱にタンバリンを叩き出す。

 

「いやいやいやいや。マジで何なのこれ。俺ら今何見せられてんの」


 クマちゃんは素早い動きでタンバリンを叩きながら激しく頭を上下に振っている。

 視界を揺るがし胸中をかきまわす白黒赤水色。


「なんで二人とも普通の顔して見てんの全然微笑ましくないよねこれ」


 リオの横のルークとウィルは子供の演奏を眺める親のように静かにそれを見守っていた。

 照らされた舞台の上、タンバリン奏者クマちゃんの激しい演奏はまだ続いている。


 暴れる肉球。

 暴れるタンバリン。

 暴れるもこもこ。

 それらはリオ界を震撼させた。



 クマちゃんの格好良すぎる熱い演奏が終わり、ルークとウィルの拍手が響く。

 少し遅れて協調性を大事にするリオも「え? ここ拍手するとこ?」と言いながら、最後まで外れなかったミニトマトとタンバリン奏者クマちゃんへ拍手を送った。


  

 次の演目に移ったらしいクマちゃんが、舞台の横に置いてあった籠を取り出す。

 それに手をいれごそごそしたクマちゃんが手にしたのは四本のフォークとスプーン。


 クマちゃんは真剣に口元をキュッとすると、上空にそれを放り投げた。


「何してんのまじで!」


 驚いたリオが叫ぶ。


 クマちゃんの頭にフォークがささる前にしなやかな動きで駆けつけるルーク。

 フォークとスプーンを長い指で素早く挟み、クマちゃんを抱き上げ無事を確かめる。

 彼らに見せる前に練習したのか、もこもこの頭にはちょっとだけ傷がついていた。


 ルークはナイフとフォークを適当に調理台へ置くと手早く回復薬を取り出し、クマちゃんのまるくて可愛いあたまに、それを掛けてやった。


「クマちゃんマジ刺さる系はやばいって」


 驚きからかいつもよりかすれた声でリオが言う。


「もしかすると、いつも噴水前でやっている大道芸を、僕たちに見せてくれようとしたのではない?」 


 派手な男ウィルはクマちゃんの舞台と鼻のミニトマトを見ながら意外と真面目に考えていたらしい。


「俺が知ってる大道芸と違うんだけど」


 大道芸を思い出す邪魔をするもこもこサングラス。

 リオの頭に今さっき上下に揺れていた白黒赤水色が浮かび、ハッとした。

 鮮明に目に焼き付いている――。

 もしや赤ちゃんクマトマトの勝利なのでは。


「大体同じだろ」


 クマちゃんのやることなら大体何でも肯定してしまう良くない飼い主がいう。

 ルークは腕に抱いたクマちゃんの顎の下を優しく撫で、サングラスとよだれかけ、ミニトマトを外した。


「行くぞ」


 色気のある声が低く響く。

 ――非常に珍しい事に――『ついてこい』と言っているらしい。

 いつもの彼なら、二人がついてくるかどうかは本人達に任せているはずだ。


 誘われたリオとウィルは一瞬だけ横目で視線を合わせ、すぐにルークの後を追った。



 ルークが二人を誘ったのは広場で行われている大道芸だった。


 クマちゃんは大好きなルークの腕の中、仲間と一緒に観る大道芸に大喜びで、鼻をふんふん鳴らしている。


 彼に優しく撫でられながら、クマちゃんはとても幸せなひとときを過ごした。



 因みにマスターはひとり、部屋で彼らが報告に来るのを待ちながら、

「あのクソガキどもめ。何でこんなに遅いんだ」

クマちゃんが持ってきた、障壁を突き抜ける素材の件で更に増えた仕事と戦っていた。

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