第31話 クマちゃんの車

 朝食の時間を情熱的に過ごしたクマちゃんは、現在心を落ち着けるため、毎日落ち着きすぎて無表情なルークへ情熱のおすそ分けをしている。



「白いのはどうした。機嫌でも悪いのか」


 マスターの部屋に到着した三人と一匹に、彼から声が掛かった。


 ルークは自身の胸に顔をくっつけているクマちゃんを、優しくあやすように何度も撫でている。

 よだれかけを外すのを忘れているところを見ると――そうは見えなくても――動揺しているのかもしれない。 


「取り敢えず、そいつはこっちで預かるからお前らはとっとと仕事にいってこい」



 甘えるクマちゃんを一緒に連れて行こうとするルークを説得し、マスターは三人を送り出した。

 そしてそのまま――仕事を再開せず――クマちゃんを構っている。


 甘え足りなかったのだろうか。

 彼らが出て行ったあと――、


「どうしたんだ。ルークが何かしたのか?」


手にじゃれつくクマちゃんにマスターは尋ねた。


 ルークは部屋を出る直前まで、くっついて離れないもこもこを優しく撫でていた。

 一人と一匹のあいだで何かがあったのだろう。



 体が小さく魔力も弱いもこもこ。

 心配したルークが買ってきた育児書。


 もこもこお気に入りのリボン。

 真っ白でふわふわの被毛。

 汚れないよう買ってきたよだれかけ。


 丸すぎる飴玉。

 揺らぐ『大丈夫だと思うんだけど……』

 早すぎるジャッジ。

 

 何も悪くない。誰も悪くない。

 だが何故か、混ぜると爆発したのだ。


 悪人のいない事件である。

 未然に防ぐことは、彼らの上司であるマスターでも難しかっただろう。

 


 マスターの手にじゃれていたクマちゃんはハッとした。

 こんな事をしている場合ではない。

 商品宣伝のため、やらなければいけないことがあるのだ。



 マスターにアルバイト専用ギルドカードを付けてもらったクマちゃん。

 ヨチヨチと立入禁止区画を抜け、酒場内の自身のお店へやってきた。


 準備のために必要なものを探す。

 しかしここにあるものだけでは足りない。

 商品を運ぶもの。それと、なにか音が出る物も欲しい。

 他にも必要なものは色々ありそうだ。


 酒場のどこかに倉庫のような場所があるといいのだが。

 

 店内に置かれた〈クマちゃんの大事なもの入れ〉へ、スッと伸ばされた肉球。

 選んだそれを身につけ、身だしなみを整える。

 

 最後にうむ、と深く頷き完全体となったクマちゃんは、チリンとドアを通り抜け、酒場内の探索を開始した。



 ギルド職員は気付いていた。


(尾行されている)


 彼だけでなく、それを見た全員が(アイツ……もこもこにつけられてるな)と思っていた。 

 尾行者は全身真っ白でもこもこしており、首元には薄い水色のよだれかけ、顔には何故か、黒いサングラスを掛けている。


 ギルド職員がパッと振り向く。

 白いもこもこはサッと後ろを向いた。

 きゅっと体を小さくし、背中のリュックと丸いふわふわの尻尾らしきものを彼に見せている。


(可愛い。そして丸い)


 通路のど真ん中で丸くなる白いもこもこ。

(――まったく何処も隠れてない――)

 もしかしたら自分が見えなければ相手からも見えないと思っているのかもしれない。


 目的の場所に到着したギルド職員が扉を開く。彼は中へと足を踏み入れ――

(白いもこもこは――)と気になり再び振り返る。


 もこもこは先程までいた場所よりも大分ギルド職員の方へ寄ってきていた。

 ハッとしたように動きを止め、猫のような両手を前に出し、慌ててヨチヨチ走ってくる。

 隠れることをすっかり忘れているようだ。


(指摘するのも……)可愛そうに思った彼は、扉を押さえたまま待ってやり、もこもこがちゃんと中に入れたのを確認したあとバタン、とそれから手を放した。

   

 ギルド職員は倉庫内をウロウロするクマちゃんを見守りつつ、高い所やもこもこでは届かない所にあるものを取ってやり――可愛いピンクの肉球が付いたお手々に――そっとそれらを渡した。



 無事必要な物を入手し〈クマちゃんのお店〉に戻ってきたクマちゃん。

 早速宣伝用のアイテムのため、魔石と杖で手早く作業を進める。

  

 ――これだけでは足りない――。

 完璧な宣伝をするためには、行かなければならない場所がある。

 もう一度酒場で情報収集をしなければ。



「……お前、あれは何だと思う?」

「わかんねぇ……酒場の台車と似てっけど、あれより小せぇよな」

「まぁ、台車だとして。あの白いのはなんでそれに乗っているんだ? 押してほしいのか?」


「押してどーすんだよ。酒場ん中ぐるぐる回れってのか」


 先程までしていた会話を止め、自分達の近くにある――もとい居るものについて話し合う冒険者達。


 クマちゃんは気になる会話をしていた二人の近くで台車のような物に乗り、様子を窺っている。

 台車には紐がついており、紐の端はクマちゃんが握っていた。


「……考えていてもわからんな。まだこっちを見てるが、近付いてこないところを見ると俺達に用があるわけでもないんだろう」

「だな。んじゃ行くかぁ」


 クマちゃんの生態をよく知らない二人は『クマちゃんが怪しげな物に乗ったまま自分達を見ている』というのが非常に良くない状況だと解っていなかった。

 何も知らない冒険者達。

 彼らはあやしい台車に乗ったクマちゃんに、無防備に背を向けた。


 そして悲劇は起こる。


 もこもこの手から放たれた紐が冒険者の足首目掛け飛んでいく。


 足首に巻き付いた謎の紐。

 前へ踏み出す足。

 足に引かれる紐。

 紐の先には台車。


 加速したクマちゃんの台車は冒険者のアキレス腱に勢い良くぶつかり停止した。


 

「……おい。大丈夫か」


 仲間は膝を突いている。

 クマちゃんに仲間をやられた男が台車にアキレス腱をやられた男に声を掛けるが、負傷者からの返事はなかった。



「もしかして、俺達と一緒に外に行きたかったのか?」   

 

〈台車に乗ったクマちゃん〉という謎すぎる襲撃者に恐ろしい足止めをくらった冒険者の一人が尋ねた。

 おそらく外へ行こうとした自分達に付いて行きたかっただけなのだろう。

 推測した冒険者の男が、被害者の周りをぐるぐる回るクマちゃんへ視線を向ける。


 もこもこはうむ、と頷いている。

 質問者は「そうか」ともこもこに頷いた。


 時の流れと手当療法で問題を解決した男はすぐに動けるようになったらしい。

 仲間の回復を待っていた冒険者はもこもこを抱え、外へと出掛けた。


 酒場を出る少し前。

 台車に乗っていこうとしたクマちゃんが肉球でそれを示し――。

 被害者の男の強い主張により、残念ながら置いていくこととなった。


 台車は乗り物ではない、と。


◇ 

 

 少しだけ問題が起こってしまったが、クマちゃんの計画は順調に進んでいる。

 あとは外で必要な物をいくつか揃えて、衣装を作れば完璧だ。

 クマちゃんは冒険者の男に抱えられたまま、うむ、とひとつ頷いた。 

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