第30話 表現者クマちゃん

 寝る支度を整えピカピカふわふわになったクマちゃんは、現在自室でまったりと寛いでいる。



 秘境の洞窟のような、濃い緑の香りが漂う薄暗い部屋の中。


「ひどすぎる……」


 ルークが食えと言ったから食ったのにまさか置いていくなんて、と薄闇の中で薄暗い思考に囚われているリオ。

 ――しかし彼は忘れていなかった――。


 せっかく買ってきた賄賂をもこもこに渡し、きらいなにおいを嗅いだときの猫の顔を彼に向けるのを止めてもらわなくては。

 リオはチラ、と視線を横に向けた。

 反対側のベッドで、ルークにお風呂に入れてもらい綺麗になったクマちゃんが撫でられている。


「クマちゃん」


 リオが声を掛けると、クマちゃんはやはり口の周りのもこもこを膨らませ、口を開けっ放しにして彼を見た。


「これ。今日、みんながおいしいっていう店で買ってきたお菓子。クマちゃんにお土産」


 己の城から立ち上がりルーク達の居城まで移動したリオが、やや緊張した面持ちでクマちゃんに袋を渡す。

 ――『みんな』それはリオの市場調査に回答した五名中の二名のことである。


 もこもこはスッと口を閉じ――舌をちょっとだけ出したまま――リオを見上げ、猫のような両手で掴んでいる袋に視線を戻し、ふんふんと匂いを嗅ぎだした。



 リオからお土産をもらったクマちゃんは驚いた。

 彼はクマちゃんのために普段行かないお店まで行き、これを買ってきてくれたのだろうか。


 クマちゃんは肉球の付いた両手でガサビリ――と袋をあけてみた。

「いまビリってしなかった?」

 内側がツルツルに加工された袋の中に、丸くて綺麗で甘い香りの、色とりどりのガラス玉のような飴玉がたくさん入っている。


 丸くて綺麗なものが大好きなクマちゃんに、ぴったりのお土産だ。

 うむ――。

 クマちゃんはピンク色の肉球が付いたもこもこのお手々をリオに差し出し、握手をした。



「よかった……」


 どうやらクマちゃんに許して貰えたようだ。

 良かった――。

 リオはクマちゃんの顔があの顔ではないことをしっかりと確認し、

「まじで良かった……」小さく呟き、ため息をついた。


 彼だってもこもこのことは可愛い。いじめたいわけでもない。

 しかし、クマちゃんの毛は短いほうが可愛いからと、少々無理やり切ってしまったのは良くなかったかもしれない。

 ――今度同じことがあったら、泣かせないように切ろう。


 変な毛絶対許さない派のリオは、あまり反省していなかった。


 

 早速リオに貰ったとても綺麗な飴玉を舐めよう、とクマちゃんが袋へ手を伸ばす。

 するとルークの長い指が、もこもこのお手々を軽く握ってきた。

 不思議に思ったクマちゃんがつぶらな瞳でルークを見上げると、彼はめずらしく何かの本を読みながら「寝る前はやめろ」と言う。


 本当はとても綺麗な飴が食べたいクマちゃんだったが、大好きなルークに駄目だと言われてしまえば、飼い猫のようなクマちゃんがそれに逆らうことは出来ない。

 クマちゃんは残念に思いながら、うむ、と一つ頷いた。



 夜明け前の森のような澄んだ空気の中、二人と一匹は身支度を整える。


 今日ルークがクマちゃんに選んだ服は、黒、緑、細い銀色のストライプの、大人気店の店長にふさわしい、かっこいいルークの色が入っているリボンだ。

 うむ、かっこよくてかわいい店長クマちゃんにぴったりである。

 


 酒場での朝食の時間。

 クマちゃんがいつものようにルークの膝に座り、ご飯を食べようとした、その時。


 彼がつぶらな瞳のクマちゃんの前におかしな物を出してきた。


「えぇ……リーダーなんなのそれ。まさかクマちゃんに付ける気じゃないよね」

 

 リオが少し目を細め、嫌そうに言う。


「それは、昨日の店で買っていたものだね」


 ウィルはそれを購入する時一緒にいたらしい。



 クマちゃんはそれを見た時、なんとなく、自分のためのもののような気がした。

 だが、いくら大好きなルークが買ってきてくれたものであっても、それは受け取れない。

 ルークの手がクマちゃんのもこもこの首にそれを付けようとする。

 クマちゃんは肉球のついた両手をめいっぱい伸ばし、自分には不似合いなそれを押しやった。



「リーダー。クマちゃんめちゃめちゃ嫌がってんじゃん。やめてあげれば?」


 少し気の毒に思ったリオが、一応ルークに声をかける。

 聞いてくれるとは思っていないが。


「うーん。でもあったほうがいいのではない? 僕も前から、クマちゃんにはこういうものが必要なのではないかな、と思っていたのだけれど」


 ルークの買ったものに違和感を持っていないウィルは、クマちゃんがそれを嫌がる理由がわからないらしい。

 たくさんの装飾品をあちこちにつけているウィルだが、彼は意外と実用性を大事にする。


「リボンが汚れる」――毛も――。


 端的にそれをつけさせる理由をもこもこに説明するルークだが、クマちゃんは珍しく彼に抵抗している。

 もふもふの両手を一生懸命突っ張り、それを押し返そうとする。


 

 クマちゃんは思う。

 ――絶対に〝それ〟を付けられるわけにはいかない――。

 かっこいい店長のクマちゃんに、そんなもの似合うわけがないのだ。


 ルークがクマちゃんのためを思ってくれているのは嬉しい。

 でもそれは赤ちゃんがつけるものであって、大人でかっこいい自分には、絶対に、似合わない。

 クマちゃんは断固として反対する。


 

「リーダー。よだれかけはさすがにちょっとアレじゃね? マジすげーいやがってんだけど」


 クマちゃんの必死の抵抗を眺めているリオは、一応もう一度ルークに声をかけた。

 聞いてくれるとは全く思っていないが。


「でも、いつも食事の時に、リボンが汚れてしまいそうだな、と思って僕もクマちゃんの方を見ていたよ。普段はリーダーが手で押さえているけれど、あると便利なのではない?」


 ウィルは優しい口調で説明したあと、続けて言った。


「それに、今は舌が痺れて仕舞えないのでしょう? 余計に汚れてしまうと思うし、丁度良かったのではない?」


 毛も汚れる――とは言わなかった。


 クマちゃんの必死の抵抗も虚しく、ルークは力も入れず簡単にもこもこのお手々をどける。

 彼は格好いいリボンを隠すように、薄い水色の――可愛らしくレースで縁取られた――赤ちゃん用よだれかけをもふもふの首元に、キュ、と結んだ。


 一番格好いい部分を隠されショックを受けたクマちゃんは、しばらくのあいだそれを外そうと頑張った。

 だがもこもこのお手々は短く、首の後ろの紐には届かない。


 ルークはもがいているもこもこをあやすように撫で、テーブルに並べられた食事へ視線をやった。

 スプーンでカボチャのポタージュを掬い、自然な動作でクマちゃんの口元へと運ぶ。


 はじめは頑なに口を閉じていた――舌は出ている――クマちゃんだったが、非常に美味しそうなそれに我慢ができず、仕方なく、食べ終えてからこの問題と向き合うことにした。


 

 食後のジュースもいただき大変満足したクマちゃんは、また何かの本を読んでいるルークの膝で、肉球のお手入れをしていた。

 ピンク色で素敵な感触のそれを丁寧に舐め――ハッと思い出す。


 クマちゃんの品位を損ねる赤ちゃん用よだれかけもどうにかしなければいけないが――。

 それは昨日食べられなかった飴を食べてからでもいいだろう。


 リュックの中からリオに貰った袋を取り出すクマちゃん。

 手入れの行き届いた肉球。

 その上にのせた、綺麗なまんまるの可愛い飴玉。


 素敵なそれをもふもふのお口に入れようとした、その瞬間。


 ルークの長い指がスッと、かわいい肉球の上のまんまるの飴玉をつまみ――。

 綺麗なまんまるを、破壊した。



「マジ急に何してんのこの人おれいま目ピキッてなったんだけど」


 粉砕師ルークの暴挙に驚いたリオが息継ぎのないかすれ声でピヒヒヒヒーと彼を非難する。


「危ねぇだろ」


「リーダーより危ない飴玉なんてないから。普通『危ない砕こう』とか思わないから」


『危ない』と勘付き『砕こう』と決定するまでが早すぎる。

 できればもうちょっとぐずぐずしてほしい。


 リオがピヒーとかすれた笛のように彼を責めているあいだ、ウィルはルークの持っていた本を興味深そうに読んでいた。



 クマちゃんは震えた。

 昨日から食べるのを楽しみにしていた、かわいくて綺麗なまんまるの飴玉がバラバラになってしまった。

 クマちゃんは、かっこいい大人だから怒ったりしない。

 大好きなルークを嫌いになったりもしない。


 でも真っ白なもこもこのかわいいクマちゃんの体は、何故か、言う事を聞かない。

 勝手に体が〝そう〟動いてしまった。

 

 

 ルークとリオが育児についての議論を交わし、ウィルが本を読んでいた時。

 急にクマちゃんがルークの膝からボトリと落ち、床で仰向けになった。


 そして、吊り上げた瞳を潤ませ、両の手足を力いっぱいバタバタとさせはじめた。


「クマちゃん何かやべーことになってんだけど」


 話を止め床を見たリオが、やべーことになってしまったクマちゃんを見た。


「こういう赤ん坊を見たことがあるよ」


 よだれかけを付けて床で暴れるクマちゃんを見て、ウィルが納得したように話す。


 何故かもこもこが膝から落ち、彼の足元で暴れている。

 ルークは少しのあいだもこもこを観察し、いつもと変わらぬ無表情で筋肉質のスラッとした腕を伸ばす。

 そして自分のすぐ側の床で何かを表現しているクマちゃんを拾うと、普段通り何事も無かったかのように、膝に戻した。



「えぇ……」


 リオの口から肯定的ではないかすれ声が漏れる。


 自ら床に落ち、一生懸命何かを表現していたクマちゃんを、ただ元の位置に戻す。

 彼のとんでもない所業を見てしまったリオは慄いた。 

 ――なんて恐ろしい男だ。


 クマちゃんは表現し足りないのか、床へ戻るためルークを両手で押すように仰け反っている。

 そしてルークが仰け反るクマちゃんを再び元の位置に戻したとき、リオの口からは勝手に「えぇ……」という声が出た。

 


 体が言うことを聞かず、床を活動の場としていた表現者クマちゃん。

 ほとばしる何かを無理やりルークにせき止められ発散することが出来ないまま、自分にも理解出来ない激しい感情を爆発させた。



「クマちゃん更にやべーことになってんじゃん。そのうちひきつけ起こすんじゃねーの」


 ルークに捕獲され撫でられているもこもこから、子犬のような子猫のような高い声が聞こえる。

 なんと言えば良いのかわからないが、とにかく何かに耐えられなくなったんだな、と解るくらいには複雑な感情が表現された声だ。


 もこもこに飴を返してやりたい。

 しかし丸い飴『危ねぇだろ』派と『そこまで危なくはないと思うんだけど……』派の戦いはまだ途中である。

『勝てると思うんだけど……』というほど勝てそうでもない。


 硬くても丸くてもそこまで危なくはないと思うんだけど……と主張する根拠も信念も情熱も何もかもがふんわりしている『思うんだけど……』派は立場が弱いのだ。


「なんだか子犬みたいな声だね。やっぱり、この子はまだ赤ちゃんなのではない? この本は、今後とても役に立ちそうだね」


 もこもこが声を発する理由ではなく赤ちゃんであることに気を取られているウィル。

 彼が熱心に読んでいる本の表紙には〈育児書〉という文字がはっきりと書かれていた。


〈育児書〉――それは子育て経験がない彼らの聖書である。

   

 昨日ルークとウィルの帰りが遅くなったのは――クマちゃんにとって恐ろしい――この本とよだれかけを買いに、乳幼児用の店に行っていたからだった。

 いつももこもこに甘いルークが――クマちゃんが楽しみにしていた――美しく整ったまるい飴玉を勝手に原始的な形に変えたのも、育児書にそう書いてあったからだ。


 ――丸い飴玉は子供が一番喉に詰まらせやすい菓子である――と。

 

 朝の酒場には格好いい大人なクマちゃんの、犬の赤ちゃんと子猫ちゃんを合わせたような高い声が、ルークが細かくした飴を一粒ずつ食べさせるまでキュォォキュォォと情熱的に響いていた。

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