第三話【決意表明】
会議室はひんやりしていた。机の上にノート三冊、細いペンが三本。
七瀬が腕を組んで、俺を見る。「言え」
「——起業する」
自分の声が思ったより静かで、少しだけ高かった。
姫宮がゆっくり息を吐いて、頷く。「じゃあ、今日から探そう。私たち三人で」
誰が、何を、なぜ、どこで、いつ、どうやって。
言葉にすると固くなるから、俺はノートの端に小さく書くだけにした。三人で/稼げる道を/ここから/今日/歩いて・読んで・聞いて。
七瀬が壁のホワイトボードに丸を描く。「案は出す。やれる範囲で」
まずは図書館の棚から。
害獣・害虫の本、清掃の本、睡眠の本、雨水の本。背表紙の漢字が重い。
姫宮は付箋を挟むスピードが速い。「眠れない大人が増えてる。昼寝で事故が減るデータもある」
七瀬はぶっきらぼうに言う。「倉庫のネズミ、大家が泣いてた」
俺は「海のゴミ」の写真ページで手が止まる。白い粒。昨日の河川敷の光。
「並べよう」
姫宮が付箋をボードに貼る。「眠り」「雨と水」
七瀬が書き足す。「ネズミ/ゴキ」「ごみ」
四つの丸。丸の真ん中に、俺は細い線を一本引く。
出どころ→行き先。
姫宮が目を細める。「責任の線、ってこと?」
「うん。どれも、結局そこだ」
外に出る。図書館の冷房から、夏へ。
最初の現場は、商店街の裏の細い路地。段ボールの匂い。果物の甘い匂いに、獣の薄い臭いが混じる。
店の裏口で、店主が両手を広げる。「ここ、走るんだよ。夜にね」
粉みたいな足跡が壁際に続いている。
俺はチョークを借りて、線をなぞる。穴へ、配管へ、また穴へ。
七瀬が首を突っ込んで、手で穴の縁を触る。「こっち塞げば減る」
姫宮がメモ。「粘土で応急→業者紹介。殺す前に封じる」
ネズミ退治は、許可や薬の問題が絡む。やれるのは、外側まで。
それでも店主は礼を言った。「今夜から、ここだけは閉めとく」
次は、クリーニング店の裏。
ゴキが出る、とおばちゃんが眉をひそめる。
七瀬がシンク下の割れたパッキンを見つけて「ここ、水漏れてる」。
俺は工具を借りて、金属の輪を締め直す。魔法は使わない。
姫宮がゴキの通り道にベタつくテープをそっと貼る。「見える罠、ね」
昼。パンを買って、公園の木陰。
汗が引いて、風が少しうまくなる。
姫宮が目を閉じて言う。「眠る場所を作るのは、好き。でもね、証明できない眠りは、怖い」
「奇跡の店、になっちゃうからな」
「そう。だから、“眠れる屋”は保留。代わりに、“眠りを取り戻す線”を探そう。騒音、光、温度、匂い」
七瀬が指で空を差す。「雨。詰まった樋から、ゴミが落ちる。雨のあと、あの川、白くなる」
昨日の河川敷が喉の奥をかすめる。白い欠片が波に揉まれて、光るやつ。
午後、川へ。
昨日より人が少ない。水面は静かで、静かだからこそ細かいものが見える。
姫宮が足元の砂利を指す。「これ、ちぎれた発泡」
俺は歩幅三十で区切って、数える。昨日の続き。
七瀬が遠くの排水口を顎で示す。「ここから出る。この時間」
ノートに書く。場所と時刻。
川の上を風が渡る。熱の向こうに、ちょっとだけ冬の匂いが混じった気がした。記憶の中の別の川。村。橋。
守れなかった村。
喉が硬くなる。俺はペン先を紙に押しつけて、線を太くする。出どころ→行き先。
夕方、町内会の掲示板。
「ごみを出す曜日」「資源」「燃える」……字はあるのに、線はない。
誰の袋が、どこへ行くのか。曖昧なままだ。
「拾いにくいよな」七瀬が言う。
「あの世界のダンジョンは、矢印があったのにね」姫宮が笑う。
俺は、貼り紙の空白に指を当てる。矢印。
出どころ→行き先。
見えるようにするだけで、変わることがある。
日が落ちかけた頃、三人でコンビニの外に座った。
俺はノートの見開きを作る。丸と線、文字は少なめでいい。
——眠り(証明の問題/静けさ・暗さ・温度)
——雨と水(樋・排水口→川)
——ネズミ/ゴキ(穴→封じる)
——ごみ(袋→どこへ)
それから、真ん中に一本、太い線。
“消す”じゃない。“移す”。そして、残す。
姫宮が覗き込む。「残す?」
「証拠。誰でも見える形で」
七瀬が腕を組み直す。「できるのか」
「できるところからやる。家の前から“消える”回収。でも実際は——」
「移す」姫宮が続ける。
「移して、どこから来てどこへ行ったかを、誰でも見えるようにする」
「音は?」七瀬。
「静かに。夜でも起きないくらい」
「匂いは?」
「残さない。外側だけ触る」
口にしながら、自分の中で形が締まっていく。
やりたいことと、やれることが、重なりはじめる音がする。
「名前は?」と姫宮。
「まだいい。手順が先だ」
俺は指で見開きの角を叩く。誰が/何を/どこで/いつ/どうやって。
「誰が:俺たち。何を:家の前の袋を静かに移す。どこで:この町から。いつ:夜。どうやって:外側だけ触って、線を残す」
七瀬が短く笑う。「やっと、戦い方になった」
小さく拳を突き合わせるみたいに、缶コーヒーが三つカンと鳴る。
夜の手前。
踵を返して、最初の通りに戻る。
俺は袋の結び目を見て回る。甘い結びを直す。破れを覆う。中身には触れない。
姫宮が写真を撮る。日付と場所が入るように。
七瀬が地図に印をつける。
やっていることは小さい。けれど、それが今日の証拠になる。
帰り道、橋の上で止まる。
風が川を撫でる。
俺は胸ポケットから薄い布を取り出す。角が固くなった、いつものやつ。
そこに、今日の最後の一行を書く。
家の前で消える(=移す)。線は残す。静かに。
文字は少し歪んだ。
でも、火のない夜を越える時のように、喉の奥が落ち着いた。
明日は、同じ時間に、同じ通りを、同じやり方で歩く。
そこから先は、その次に考える。
この線は、たぶん、俺たちの道になる。
姫宮が横で小さく笑う。「レン、顔。さっきまでより、眠そう」
「少し、眠くなった」
「それは、いい兆候だよ」
七瀬が橋の欄干を軽く叩く。「帰るぞ。夜は長い。静かに動く準備をする」
うん、と答えて、布を畳む。
川の匂い。街の灯り。足音。
俺たちは三人で、同じ方向に歩き出した。
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