3.選択/善悪

ばらばらのパズル


「あ」

「焦がれて魅せろ」






 ばらばら。ぱらぱら。

 じくざく。ちくたく。

 いろんな色と柄のパズルの欠片が散乱する。

 集めなければ。

 揃えなければ。

 一人で。




 この世に生を受けて、産声をあげて、初めて視界に映したのは母親の薄い微笑みだった。


 その柔らかな声音に、何度も名前を呼ばれ、言葉を投げかけられて、何度も頭を撫でられた。料理をする姿も、洗濯をする姿も、就寝する姿も。全てあたしが知る限りの動作においてあの薄い微笑みはついてきていた。


 あの頃、幼いあたしはそれが嬉しかった。

 母が微笑むのは嬉しいから、そう認識していたからだ。


 母はいつも微笑んではいたけど、時々怖い微笑みをする。


 一人で外に出たら「危ないから」と引き戻される。嫌だと駄々をこねてみたも「危ないから」の一点張りで困った微笑みをする。それで心がモヤっとしたから、それからは辞めた。


 遊びに行くのにも、学校に行くのにも母はいつも同伴してくれた。手を繋いで一緒に、話しかけても相槌しか返ってこなくても嬉しかった。


 そしていつの日かテレビを見た。


 ずっとついているテレビ、家はそれなりに立派だったので大きなテレビだったことを鮮明に覚えている(小さな背たけのせいでもあるかも)。よくある子供向けの教育番組が写っていた。


 決まってその時間、母はリビングで三人分のご飯を作る。


 常に目につく範囲であたしがいると母の微笑みは維持される。それがあたしにとっては安心できるものだった。

 それでも疑問に思うことはあった。


 なんで三人分なんだろう、と。


 いつも一人分必ず残るのに、と。


 そんな疑問よりもテレビへの意識が勝っていたのもあたしだった。テレビで小さな子役の子が工作をして下手な作品を見せる。


 大人はいいねと喜ぶ。


 そのくらいならあたしにま出来る。それ以上にうまく、そうしたらもっと喜んでくれるかな。


 それがあたしの余りにも短絡的で幼稚な愚行。


 他にも大人が言うアレコレを素直にすれば良くできましたと褒める姿はあたしには出来そうだと思えて、出来れば母に喜んでもらえると思った。


 結局母に喜んでもらいたかった。


 根幹はいつだってそこだった。 



 愛されたかった。



 あの薄い微笑み以上を求めたくなった。

 それだけ、だった。


 そうして母の微笑みを伺いながら生きてきたら、自然と約束事は成り立っていた。


 暗くなる前には帰る。

 異性とは遊ばない。

 怒ったり泣いたりしない。

 字は綺麗に書く。

 丁寧な言葉遣いとお礼はちゃんとする。

 学校には毎日行く。


 そうして成り立ったあたしの中の約束事は義務であたりまえなこと。そうしてあたしはいい子になっていった。

 そこに母への好意は必ずあり、嘘ではないと信じていた。

 それ以外にも好きなことや物もそれなりにあった。母はあたしにべったりというわけでもなく、思えば一人の時間は多かったのだ。そんなときあたしは、何をしてたかな。


 初めは母がいつもやっていたおえかきをした。


 古くてぼろぼろ。

 紙もクレヨンも、ツギハギに。

 其の場凌ぎのテープで止められ、不安定。


 それを使って、無心に。

 書きなぐったみたいに描く。


 テレビで見た。こういうのも芸術だと。


 だから真似をしてみた。偶々通りかかった父は初めこそ眉を顰めた顔をしていたものの、次第に無視をするようになって…………急に態度が変わった日もあった。何時だったかは、忘れた。


 そんなふうに変わる。どんなふうにか分からないがけれど。

 そつやって、好きなものも変わる。


 環境と人の変化で。

 年を経て移ろい変わってしまった。


 この世に生を受けて、言葉を発して、初めて父親が視界に映ったのは夜遅くの眠気眼のと時で。


 母のような微笑みはなく、一度目があったことに驚き、困ったように悲しく蔑視を向けられた。


 父は滅多に家にいなくて、偶に通りかかっても目は合わない。母ともきっと同じだった。

 何も言わない父に、あたしも何も思わなかったのも本当だから、薄情だなんて今更言えないのだ。


 今のあたしは知ってしまっていたから。


 決まって違ういい匂いをつけていたのは確かだった。それが次第に一つに統一されたのも事実だった。


 母はいつも楽しげにあの人、父のことを饒舌に愉快に語る。


 薄い微笑みは変わらない。

 それでも長々と。


 決まって、父が極稀に帰宅した際懸命に話しかけた夜にそれはあった。母の言う父とあたしが知る父はまるっきり違っていた。

 だから分からなかった。

 それでもあたしは母の言葉を素直に信じていた。その頃のあたしには母が全てだった。


 そんな父。

 あの人とも呼べる父親らしい人。


 態度が急変するまではただの“何でも無い人”で、急変してからは“父かもしれない人”という認識なった。決まって家にいる頻度が多くなった(でも大抵母が居ない日だった)。


 そんな時決まってあたしは本に囲まれた部屋で一日の大半を過ごしていた。母がいないからやることもなく、“父かもしれな人”認識以前から、そうして過ごしていた。


 文字も読めない、取る背丈も力も少ない。

 全てが大きく怯え、見つめるだけ。



 “父であるかもしれない人”はそんなあたしの手を引いた。



 本来そこは父の書斎らしい。顔色を窺い、あたしが指を指せば、そこ本を取ってくれた。それだけだった。距離はあった。読めない文字があって、聞こうと思って近寄ればその分離れられ、仕方なく絵のみを見る日がだった。


 だけれど、一人ではないことに少しだけ安心していたのかもしれない。そこに言葉はなくとも、不思議と心が重くはないことに首を傾げてもいた。


 きっと。



 その細やかで冷ややかなぬくもりがあの頃は酷く恋しかったのだ。







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