コハクトリゼ
下垣
第1話 ドライブデート(安全保障版)
平日の昼間。ガラガラの道路を走る赤い車の運転席には女性がいる。ピンク色に染めた髪と小中学生の女子並の身長が特徴的である。その助手席には誰も座っておらず、後部座席にはチャイルドシートに座っている女の子と少し不服そうな顔の若い男性が座っていた。
「きゃっきゃっ、あんばー君! どうしたのそんな顔して」
チャイルドシートに座っている女の子が隣に座っている男性に話しかけた。彼の名前は賀藤 琥珀。名前が琥珀だから、隣の女の子からは「あんばー君」と呼ばれている。
「別に。ただ、俺も免許を取れていれば、運転できたのになって思っただけだよ」
「あはは。あんばー君免許ないんだ! 操ちゃんは持ってるのにねー」
女の子は無邪気に笑う。更に不機嫌な表情になる琥珀に対して、運転席の女性は微笑ましそうに目を細めた。
「まあまあ、琥珀君は仕事が忙しいから中々免許を取りに行く時間がないんだ。決して運転が下手だからとかそういう理由ではないぞ」
「操さん。別に今は俺の運転が上手いか下手かの話をしてないでしょ」
運転席にいる女性は里瀬 操。琥珀の恋人である。琥珀が高校生の頃からの関係で、今はもう付き合って5年になる。琥珀がまだ未熟だった頃から、彼を支えてきた師匠とも呼べる存在だ。職業はCGデザイナーで、その技術を琥珀に叩きこんで、彼を即戦力として通用するプロへと育て上げた実績もある。
「詩乃ちゃん。もうすぐ家に着くからね」
「うん!」
操の問いかけに笑顔で答える女の子。彼女は里瀬 詩乃。5歳。操の姪にあたる存在で、両親の代わりに操が幼稚園に迎えの車を出したのだ。現在、詩乃の両親は仕事の都合で不在。だから、一旦は操の住んでいるマンションで預かることにしたのだった。
マンションの駐車場に車を停めた操。後部座席の琥珀が詩乃のチャイルドシートを外して、彼女を抱きかかえて車から降ろした。
「詩乃ちゃん。危ないから琥珀君と手を繋いでもらって」
操の言うことを素直に聞いた詩乃は琥珀に向かって手を差し出す。琥珀もその手を握り、周囲に危険物がないか注意しながら歩く。
操が自室の扉の鍵を開けて、3人は彼女の部屋に入った。詩乃が「わーい」と歓喜しながら、廊下をバタバタと進み、それを微笑ましそうに眺める琥珀と操の2人。
「琥珀君。ごめんね。姪の面倒を見るのを手伝わせてしまって」
「大丈夫だよ。今は仕事が一段落ついているし、丁度時間があったからね。でも……また来週から忙しくなりそうだけどね。ははは」
高校在学中から既にプロにも負けないくらいの実力を持っていた琥珀。母親からは進学を望まれたが、既に抱えている案件も多数で大学に進学する時間的な余裕がないとのことで高校卒業後にすぐにプロとして仕事を始めた。母親も琥珀の事情をきちんと理解して、彼の仕事を応援している。
「ねーねー。操ちゃん! アニメ見て良い?」
「ああ。好きなのを見ていいぞ」
リビングにあるテレビのリモコンを操作して詩乃は自力でアニメをつけた。子供というものは案外飲み込みが早いもので、リモコンの操作方法を少し教えただけで、自力で見たいアニメを再生することができるようになった。そんな姿を見た詩乃の父親は、娘を天才だと褒めちぎっていて親ばかを発揮している。
「さて、今の内に夕食の買い出しに行ってくる。琥珀君は詩乃ちゃんを見ていて」
「わかった。任せて」
再び外出して車を走らせる操。一方で琥珀は、詩乃の隣に座って一緒に幼児向けのアニメを鑑賞するのであった。真剣な表情で食い入るように何度も見たアニメを見る詩乃。琥珀の内心は、アニメを見ている間は大人しくて楽だと感じている。暴れ回る小さい子供と遊ぶのも中々に体力がいることなのだ。
琥珀もやることがないので、詩乃と同じ画面を見ている。琥珀も子供時代によく見ていたアニメ。けれど、小学生に上がる頃からは段々とみる機会減っていきしまいには見なくなったもの。主人公は相変わらず同じキャラだったものの、サブキャラクターに何人か知らないキャラがいる。自分が見てない間にもアニメ内での時間は進んでいて、どんどん新しいキャラが出ているものだなと時の流れを感じる。
アニメを見終わった詩乃は退屈そうにソファの上で脚をぶらぶらと動かした。
「ねーねー。あんばー君はいつ操ちゃんと結婚するの?」
子供故の無邪気な何気ない質問。詩乃からしたら、仲が良い男女の2人がどうして結婚してないのか不思議でならなかったのだ。琥珀の年齢はまだ21歳。法律上は結婚できるとはいえ、世間的には結婚している方が珍しい年齢である。
「んー。ああ……なんでだろうねえ」
琥珀も将来的には操と結婚するつもりでいる。しかし、そのタイミングときっかけがどうしてもわからない。
「操ちゃん。絶対、あんばー君からのプロポーズ待っていると思うな」
詩乃がどこでそんな言葉を覚えてきたのかは知らない。けれど、まだ5歳なのに、男女のそういうことに興味があるのは、琥珀にはなかった感覚である。操と付き合う前の高校生の時分よりも、大人びているのではないかと思ってしまうほどだ。
「師匠……プロポーズ待っているかな」
思わず呟いたそのセリフ。操の呼び方を、高校生の時にしていたものに戻ってしまった。高校を卒業してからは、同じプロの土俵として立つから、師匠呼びはやめろと言われていた。それから3年程経っても最初の頃に呼んでいた癖は抜けていない。
それから夕方になり、操が帰宅。それと同時に詩乃の母親も一緒に迎えに来ていた。
「ママー!」
自分の母親に飛び込んで抱き着く詩乃。ちょっとおませなところはあるものの、まだまだ親に甘えたい盛りの時期なのだ。
「操ちゃん。琥珀君。娘の面倒を見てくれてありがとうございました」
「いえいえ。お義姉さん。困った時はお互い様ですから」
母親のお腹辺りに顔をうずめて甘えていた詩乃が操たちの方に振り向く。
「詩乃。挨拶しなさい」
「操ちゃん、あんばー君。ばいばい!」
笑顔で手を振る詩乃に、手を振り返す琥珀と操。親と共々見送りをして、一息をつく。先ほどまで賑やかだった空間が一気に鎮まった。ホッとしたような少し寂しいようななんとも言い難い気持ちだ。
「琥珀君。詩乃の面倒を見てくれたお礼に今日はウチで食べて行ってくれ」
「ああ、うん。別にお礼って言われるほどのことじゃ、だって……」
「だって?」
将来は自分の姪にもなる子供だから面倒を見るのは当たり前。そんな言葉が出ようとしたけれど、操の顔を見たらなぜか言えなくなってしまう。生まれた時から恋愛に対してはヘタレな部分がある琥珀。それは成人した今でも変わってないのだ。
「ふふふ。まあ、良いか。琥珀君。夕食の支度をするから待っててくれ」
操が夕食を作り、琥珀と一緒に食べる。お互いの近況、それぞれの仕事の話を言える範囲内で語り合う。同業者あるあるで盛り上がり、ゆったりとした時間を過ごした2人。気づけばもう夜遅い。
「あ、もうこんな時間。ごめん、操さん。夜遅くまで居座って」
「あ、いやその……気にしなくていいというか」
「そろそろ帰ろうかな」
帰宅しようとした琥珀を操は「あ、待って」と思わず引き止めてしまう。
「琥珀君……その、今夜はもう遅いし、私も夜の運転はそんなに自信ないから……その、今日はウチに泊まっていくのはどうかな……?」
操がどぎまぎしながら琥珀を誘った。琥珀は上を向いて少し考えた後に返事をする。
「そうですね。操さんがそう言うなら泊っていこうかな」
「そ、そうか!」
操は思わず頬が緩んでしまった。恋人同士が泊るのであれば世間一般ではそういうことである。
「確か、操さんの家は客人用の布団があるんだよね?」
「え?」
「前に姉さんが操さんの家に泊まったことがあるって言ってから。布団と毛布がふかふかで気持ちよく眠れたって」
琥珀の姉と操は友人関係である。確かに過去にアレを泊めたことはあった。琥珀に客人用の布団の存在を知られてしまった以上は、ベッドが1つしかない作戦は通用しない。かと言って、直接誘うほどの胆力もない。操は将来の義姉に心の中で呪詛を吐きながら琥珀に布団を用意するのであった。
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