華やかな羽化


 巡の心情を察し、知努は手の甲で頬から流れ落ちる涙を拭う。そして、踵を返す。今生の別れと理解しつつも、彼女は悔し紛れに恨み節を浴びせた。


 それを軽く受け流し、彼がアパアパを抱き上げて右耳へ寄せる。何かを囁かれていたのか、時折彼は相槌を打つ。少々の霊視を行える巡より高度な素質を知努が持っていた。


 またアパアパを椅子に座らせ、蜜三郎の元へ近付く。綿しか詰まっていない今、みすぼらしいぬいぐるみの価値しか無かった。店主の許可を取り、片手に持ってから彼は店の出入口へ向かう。


 「俺はいつまでもおはぎの幸せを願っているからな」


 蜜三郎の超常現象や凄惨な状況を信じられない店主が、違法薬物による集団幻覚を一瞬疑う。しかし、2人は幼少期から異常な行動や言動ばかり取っていた事を根拠に、その考えを否定する。


 知努が退店した後、巡はカナコとヨリコの様子を見に行く事を決めて立つ。同じく置いて行かれたアパアパの姿が目に入ると、腹部の変化に気付く。中の発光体はしていた。



 彼が蜜三郎の遊戯場と化すアパートの敷地内へ辿り着き、撮影所のような光景に言葉を失う。巡の話より被害者は増えており、どの住人らしき男女も、切り刻まれた顔面から血を垂らしながらこちらに歩いていた。


 それぞれ口元が裂け、目玉と視神経を飛び出させているなど、生理的嫌悪感を催す状態だ。蜜三郎の異能によって、操作させられていた。対象の脳漿が無事であれば作用するようだ。

 

 事態の発生から数時間程経過しているにも拘らず、警察官らしき姿は見えない。彼らの代わりを短髪の女子が担っており騒々しく自動小銃の発砲音を鳴らし、応戦した。


 巡の話を信じ、彼は聴覚保護の為、耳栓を装着している。彼女が使用していた特徴的な構造の銃器は、フランス製だ。余程の思い入れが無ければ、正規軍以外でこの銃を用いられない。


 中学生らしき3人の男女は頭部や胸部へ銃弾を受け、倒れる。歩行速度は遅く、他の屍達も次々に活動停止し、包丁を持つ悍ましい顔面の男だけとなった。


 知努は素性不明の女子に話し掛け、彼女の発砲を止めさせる。それと同時に、悍ましい顔面の男も立ち止まった。一時の休戦が設けられる。


 アパートの階段をゆっくりと降りて、知羽は2人の前に姿を見せた。返り血で顔や前髪が赤く染まっている。その変化に動じず、知努は交渉へ入った。


 「俺は脆弱な凡人だからこうして頼む事しか出来ないんだ。お願いします、知羽の体を返して」


 小さな秋田犬や白猫達の安全を脅かす状況となれば、妹を殺さなければならない。合掌し、彼が目を瞑る。知努の哀れな態度に、小銃を持つ女子は子犬のようだと蔑む。


 数十年ぶりに人体を操れる蜜三郎は彼の頼みを一蹴した。勝利を確信し、数年間、蜜三郎が抱いている野望を話す。いずれ脅威となり得る女子の殺害を目論んでいた。


 兵器同然の第六感を持つ知人に心当たりの無い知努は、半信半疑となる。事前に調査を済ませていた素性不明の女子が、該当する人物と第六感の特徴を説明した。


 その女子は死後、煉獄で瞼を縫い留められる程の嫉妬深さを持つようだ。体から特殊なフェロモンを放出し、働き蜂のように人々を従える潜在能力があった。知努は従姉の顔を思い浮かべる。


 「で、その特別な力を乱用すると、お前らみたいな武装勢力が接触してくる。現に蜜三郎は監視されていた訳だしな」


 素性不明の女子が肯定し、蜜三郎に能力の使用は易々と出来ない事を教えた。使用の度に、精神的な負荷が掛かり、専用の動力源を消費する。


 人間の生命活動に不必要な機能は歯茎の中で留まった永久歯の如く、活用されない場合がほとんどだ。その女子は築き上げてきた内面性の価値を失う邪悪な力を忌み嫌う。


 計画が頓挫し、内容を知努に知られてしまった蜜三郎は力無く謝罪する。彼が謝罪を受け入れて、再度、知羽の解放を頼んだ。だが、新たな好機を彼女は手放せなかった。


 「私はもう2度と孤独になりたくない!」

 

 知努も支配下に置こうと目線を合わせる。すぐ何かの違和感に気付き、眉間を寄せた。操れていない事を察し、対面の女子が彼の素質をこき下ろす。


 「ちょっと人ならざる者と対話出来る程度の半端者だぞ。何を手こずっている?」


 交渉決裂を見越し、用意した彼の策を彼女は認知している。知努が瞳を閉じた途端、足元から天に向けて光の柱が発生し、彼の姿を隠す。蜜三郎は眩しさのあまり、手で目元を覆う。


 後光を背で浴びながら素性不明の女子が現象の解説を行った。前蛹と呼称される状態へ入った知努は、五感の機能を一時停止する。外部干渉を受け付けなくなり、精神の侵入口に視界を使う、蜜三郎の支配は失敗した。


 次の蛹化へ進むと、蛹の役割を果たす光の柱が発生する。眩い光は閃光手榴弾と同じく、外敵への目眩しいも兼ねていた。その中で知努とアパアパの中身が融合する。


 素性不明の女子は、戦車の一斉砲撃を凌ぐ柱の耐久度を仮定していた。数分の後、光の柱が徐々に消えて、羽化を迎える。娘の晴れ姿を心待ちにしていた、父親のような表情となり、彼女は振り向く。


 性格が現れた鋭い眼差しの双眸に反し、白を基調としながらも、裾や袖は薄い紅色で彩るチュチュを着用していた。衣服に合わせてタイツとトウシューズも同じ色合いだ。


 背中に、切り込みのある赤い花びらのような装飾が左右対称で施されていた。知努は髪を肩まで伸ばす女性の姿に変貌する。


 「お前も性格が悪い。あいつを■■した女の若い頃とだ」


 素性不明の女子が何か細工したのか、ある部分は砂嵐の音でかき消され、口元すら黒い四角が一瞬隠す。蜜三郎は、知努の姿を見て唐突に怯える。彼の顔がその原因のようだ。


 残った悍ましい顔面の男を操り、知努に襲い掛からせる。背を見せていた素性不明の女子は横へ回避し、対処を頼んだ。死人との戦闘経験が無い知努は、脊髄反射で男の顎を殴り、後ろ回し蹴りを放つ。


 ガラス細工のような細い脚の蹴りが男を横へ転倒させる。すかさず横の女子は後頭部へ発砲し、蜜三郎に投降を呼び掛けた。その途端、両手で頭を抱えながら蜜三郎がしゃがんだ。


 休眠していた知羽の精神が覚醒し、蜜三郎の支配に抵抗する。長時間の稼働で、すっかり抑え込む力は残っていなかった。彼女の背中から黒い煙を薄く纏う眼球が出る。


 彼も首から丸い発光体を出したと同時に、元の姿へ戻った。呼び掛けながら駆け出す彼の片脚と背中に、光の玉は直撃し破裂する。すぐ頭上を3発目が通過し、浮遊中の眼球に当たった。落下せず、蜜三郎はよろけながら駐輪場へ向かう。


 彼の両脚と片腕が様々な方向へ吹き飛び、背中の大きな穴から欠損している肋骨と、肺を露出しており、死体同然だ。前方へ転倒した彼は残っている片腕で着地し、痛みを忘れて這う。


 「この腐れ外道が! お前の存在を誰よりも祝福し、愛した人間を何故裏切った!」


 素性不明の女子の怒声が聞こえるも、薄らいでいた彼の意識は気に留めなかった。体を腕で押し上げながら数日ぶりの再会を果たそうとする。

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愛している人は近くて、遠い番外編 ギリゼ @girize

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