振袖の少女

文月 郁

振袖の少女

「これは昔、わたしが――市の某神社に、参詣したときの話でございますが――貴方は記者をしていらっしゃいますから、もしかしたら似たような話をご存知ではないでしょうか」

 何かの話の流れから、私が、これまでに何か不思議なことを経験していませんかと訊ねると、R君の奥さんは、こんな話を聞かせてくれた。



 今から何年前のことでございましたか、はっきりとは覚えておりませんのですけれど、二十、一、二年は前でしたろう。わたしはそのとき、――市に住む妹夫婦を訪ねておりました。

 その少し前に、夫の親戚から胡瓜きゅうりやトマトをたくさん送っていただいたので、少し妹のところに裾分けに行ったのでございます。というのも、夫婦二人では食べきれないほどの量でしたし、妹夫婦は二人とも、こうした夏野菜がたいそう好きでございましたので。

 わたしが電話をかけまして、こういうわけだから野菜をもらってくれないかと訊ねましたら、妹は大喜びで、ぜひ欲しいと申しましたので、届けに行ったのでございます。

 妹はそのとき身重でございまして、わたしが訪ねたときは少し具合が悪いからと横になっていました。ですからそのときは、義弟おとうとが迎えてくれたのです。

義姉ねえさん、ありがとうございます」

「いいえ、こちらも貰ってくれてありがたいのよ。他になにか、手伝えることはあるかしら?」

「実はひとつ、義姉さんにお願いしたいことがあって……。この近くに某という神社があるでしょう? そこの安産祈願のお守りを貰ってきていただけませんか」

 こんなことを申しますと、貴方のような方は非科学的だとお笑いになるかもしれませんけれど、某神社のお守りはどれも、大変ご利益があると評判だったのでございます。

 わたしもその評判は常々聞いておりまして、義弟に言われなくとも、妹もはじめての子供で不安もあるだろうし、神社に行く機会があれば、買って贈ろうと考えておりました。

 そんなわけですから、私は義弟の頼みを二つ返事で承知しまして、某神社へ自動車くるまを走らせました。

 神社へ着きまして、どうか元気で健康な子供が産まれますようにとお参りをし、お守りも買いまして、さあ帰ろうと引きかえしかけたときでございます。


 おばさん、おばさん、とわたしを呼び止める声が聞こえました。


 声のほうを向きますと、そこには赤い振袖を着て、白い花のかんざしを挿した女のが、千歳飴の袋を手に立っておりました。

 今でもハッキリ覚えておりますが、目のぱっちりとした、下ぶくれの、可愛らしい児でございました。

 ですが、わたしにはどうもその児が薄気味悪く思われたのです。

 と言いますのも、その日はたいへんに暑い日で――いくら夏の盛りでもこの暑さは閉口だと思うくらいで、確かあんまり暑いので何人も倒れて病院へ運ばれたとか聞いた覚えがあります――薄手の夏服を着ておりましても、汗が止まらないくらいでございました。

 それなのに、その女の児は汗ひとつかいていないのです。

 怪訝に思ったわたしの顔色を察しましたものか、女の児はニッコリ笑いました。そうしてこう言ったのでございます。

「おばさん、赤ちゃんは無事に産まれて、悪い病気もせずに大きくなりますよって、お母さんに伝えてくださいな」

 そう言ったかと思うと、女の児は駆けていきました。わたしはしばらく呆然と、その後ろ姿を眺めて立ちつくしておりました。

 やがてわたしは我にかえりまして、妹の家に戻って、買ったお守りを渡しました。妹もこのお守りのことは当然知っておりまして、たいそう喜んでくれました。

 しかしわたしはどうしても女の児のことは言い出せず、きっと元気な子が産まれますよと、そう言うのが精一杯でございました。


 それからしばらくして、妹は無事に元気な女の子を産みました。和子かずこと名付けられたその子は、すくすくと育っていきました。

 あるとき、妹が和子の七五三の写真を見せてくれました。それを見て、私は思わずはっとしたのでございます。

 そこに写っていた和子――赤い振袖を着て、白い花のかんざしを挿しておりました――は、まさにあの日、わたしが某神社の境内で会った女の児であったのです。

 驚いて、女の児のことは伏せて妹に聞いてみますと、この写真は確かに某神社で撮ったものだと言うのです。

「そういえばそのとき、和子ったら『伯母さんに出会ったよ』なんて言っていたわ。姉さん、神社に来ていたの?」

 妹はそんなことを言って笑っておりました。わたしはそうだとも違うとも言えず、ただ笑ってお茶を濁してしまいました。

 これは偶然でしょうか。それとも何か、理屈では説明のつかない、不思議なことが起こったのでしょうか。

 和子ですか。和子はそれからも、大きな怪我も病気もせずに育ちまして、最近、大きな商社に勤める男性と婚約したという手紙が参りました。


 これが、わたしがこれまでに体験しました、もっとも不思議なことでございます。

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振袖の少女 文月 郁 @Iku_Humi

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