カプサイシンは刀より強し。
「落ち着いたか?」
ゆっくりと着替えて社から出ると痛みは落ち着いたのか、少年と大人が息を荒げつつも地面に胡坐を掻き、こちらを睨みつけている。
「やってくれたなァ……」
こちらを食い殺しそうな顔をして少年が吠える。
「あのような安い煽りで逆上するお前が悪い。
己を律する心を持て。敵に付けこまれて死ぬのはお前だぞ」
納得いかない表情で少年は唸る。
対照的に大人の方は手拭いで目元を覆いながらも冷静になっているように見える。取り巻きは再び少年が斬りかからないか警戒しているようだ。
「先ほどは失礼しました。某は孫三郎様の傅役、林八郎左衛門と申します。孫三郎様の御無礼、心よりお詫びいたす」
目元を押さえていた手拭いを取り巻きに渡して深く頭を下げる八郎左衛門。林ってのは信長の家臣団で見た名前だな。歳のほどは四十から五十くらいかな? 武士だけあって身体はムキムキだ。
「よし、許す。そもそも敵意があるわけでもない」
「忝い。それで、お名前は十川様でしたか?」
コクリと頷く。
「十川様は神の使者であらせられるとか。それも大野木が申すにはその神とは北野天満大自在天神であられるとのことで。
北野天満大自在天神と言えば北野天満宮に祀られている日の本を代表する学問の神でありますな。何故、尾張のような鄙の地に降りられたのでしょう。
北野天満宮に降りられたならば手厚く歓迎されたでしょうに」
うわ、めっちゃ最もな疑問をぶつけてきた。こいつインテリだ!
とはいえ、こちとら現代人。口八丁手八丁で誤魔化してやるぜ。
「うむ、お主は武士であろう? ならば簡単に分かりそうなものだがな」
ニヒルな笑いを浮かべて、あえて言葉を濁す。
八郎左衛門は顎に手をやり唸る。意外なことに答えたのは取り巻きの少年だった。
「あの、主人と寝床が同じになるからではないでしょうか。戦場ではともかく、平時で主と同室というのはありえません」
それ採用! そんな理由です。
「よく理解しておるな小童。褒美をやろう!」
ポケットから苺味のキャンディーを投げ渡す。ナイス回答をしてくれた取り巻きの少年はキャンディーを落とさないようにテンパりながらもキャッチした。
「あれはいったい?」
八郎左衛門は見慣れないものに疑問を覚えたようだ。孫三郎もキャンディーから目を離さない。
「包み紙を開いて中の物を舐めろ。甘いぞ」
取り巻きの少年は警戒しながらもキャンディーを口に含む。コロコロと舐めまわしているうちに甘味が口に回ったのか頬を綻ばせる。
「甘いのか?」
「はい、甘くて美味しゅうございます」
孫三郎の問いに飴玉を舐めながら笑顔で答える取り巻きの少年。孫三郎がバッと振り向き。
「俺にもくれ」
厚かましいなこいつ。
「斬りかかって謝罪もせん奴にはやらん」
「ぐぬぬ……」
武士としてのプライドか、それとも甘い飴ちゃんか。はてさてどちらを取るかな孫三郎君は。
にやにやしながら彼を眺めていると、諦めたように頭を垂れた。俺の勝ち。
「申し訳ござらん」
「許す。ほれ、好きに食え」
ポケットの中にあった飴を手づかみして孫三郎に向かって軽く投げる。
結構バラけて飛んで行ったんだが孫三郎は地面に落ちる前に全てを両手で取り切った。凄い運動神経だな。
孫三郎は一つを口に入れて、手に握っている別の飴を八郎左衛門に渡した。八郎左衛門はすぐに口にせずに俺に問う。
「甘いとのことですがこれはいったい?」
「飴だ。砂糖を固めたものだな」
「さ、砂糖ですと!?」
八郎左衛門の驚きに子供二人は怪訝そうな表情を浮かべる。
「砂糖とはなんだ八郎。特異な品物なのか?」
「孫三郎様が御存じないのも当然かと。砂糖とは薬です。一斤でおよそ二百五十文の値が付く高級品でございます」
えー、確か一斤が六百グラムだったはず。……文って通貨の価値がわからないから安いか高いか理解できんな。
「……高いのか?」
「高うございますよ孫三郎様。戦場での兵一人の一日が米と塩と味噌含めて八文で養えるのですから」
「「へー」」
俺と孫三郎の感嘆の声が被る。知ってたけど戦国時代の人件費は安いな。
「と、言うことはだ。そのような高級品を俺たちにコイツは施したということか?」
「ですな」
「おう、感謝して崇め奉ってもいいぞ」
俺のセリフに非常に胡散臭そうな表情で俺を見る孫三郎。わかるよ、俺も自分自身が胡散臭いと思う。
俺と孫三郎がお互いを見つめ合い、沈黙が場を支配する。言葉を切り出したのは孫三郎からだった。
「お前は何がしたい」
「質問の意図がわからんな」
「知れたこと。神の使いを名乗り、下々の民にまで飯を施す。この上なく怪しい、正直話だけ聞けば敵対している今川側の調略にしか思えぬ。
ところが、実際に会ってみれば民と積極的にかかわるわけでもなく、人の好んで住まぬ山の頂上の古ぼけた社で眠りこけているような者が間者でもあるまい。
ともすれば貴様の目的が見えぬ。まさか本物の神の使いではあるまい、本物ならば自堕落に昼寝をせずに教えでも広めるだろう。
つまりは、だ。俺は貴様の正体が見えぬ。
俺には貴様のことを親父や兄貴に報告する義務がある。見たところ、お前は悪人ではない。無理やり勝幡城に連れていくのも手間だ、キリキリと正体を教えてくれ」
ようは俺は怪しいけど悪い奴じゃなさそうだから正体教えてくれ。じゃないと城まで連れて行かないといけないよってことか。
この時代の人が信心深いとはいえ、孫三郎みたいに全く信じていないタイプには神様の使者ですなんて世迷言は通用しないだろうし、どう言いくるめたもんか。
……。いや、言いくるめなくてもいいのか。害はないと示せば八郎左衛門がフォローしてくれるような気がする。軽率に砂糖を渡す人物なんて怖くて溜まらないだろうし、ここでの判断をせずに一度上司に持ち帰るって選択肢を選ぶのが大人だ。責任丸投げともいう。
「正体もクソもない、言ったことが全てだ。俺は天神様の使いで、人としての身体を受肉している。お前らに害意を向けるでもない、だが味方でもない。それだけのことだ。
ああ、万が一にでも上洛するなら相談してくれ。帝にお贈りしたいものも多いのでな」
実質のゼロ回答に三人組は声なき「はぁ?」と言う言葉を表情に出した。
「お前、それで通ると思っているのか」
「通るさ。お前には先ほどの武器が何か理解できたのか? 俺は好き好んで殺生はしないが自身に危害が加えられるなら別だ。三人を相手取っても簡単に地面に転がすことは出来るし、死体を見つからないようにすることなんてもっと楽な仕事だ」
「……それは事実でしょうな。不可思議な液体で我々が無力化されたのです、指先一つで首を落とされてもおかしくありませぬ」
防犯スプレーの件もあり、こちらを睨んだまま悔しそうにする孫三郎。それとは対照的に八郎左衛門と取り巻きは俺の言葉を事実だと認識しているらしく、うんうんと頷いて二人係で孫三郎を諫める。
孫三郎はその二人の言葉を受け。ふぅ、と肩を落として言った。
「わかった、とりあえず父上に貴様のことは伝える。将が兵を率いてお前を殺しに来ても化けて出るなよ」
「誰が来ようと構わんさ。だが、そうさな。ご機嫌取りの為に贈り物でもしておこうか。ちょいと待ってろ」
そう言って俺は社の中に戻る。さて、勝幡の殿様には何が喜ばれるかなっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます