タイムトラベル
二〇二二年(令和四年) 四月十一日 愛知県 十川宅 十川廉次
婆さんの中二病ノートに目を落として情報を噛み砕くのに日を跨ぐ必要があった。
寝起きで朝食のパンを貪りながら情報の反芻をする。寝ぼけているぐらいが丁度いい、覚醒していると正気に戻るからな。
ムグムグとパンを食べ終えて牛乳を飲み干す。寝巻のTシャツをめくってボリボリと腹を掻きながらノートに書かれた手順を思い出す。
「手にあの缶に入っていた茜で五芒星を描くんだったか」
胡坐をかいて両手に茜を使って五芒星を刻む。手のひらが真っ赤だ。
五芒星を描き終えて次の手順をノートで確認する。祝詞を述べ、柏手を打ち、右手を手前に左手を奥に手のひらを引っ付けたまま回転すると想像した時代に飛べるとのこと。
飛んだ先は多少位置がズレるらしいので母屋で絶対やるなと注意書きが書いてある。忠告が細かいな婆さん。
なんだかんだ文句は言いつつも離れに移動する。最後の婆さん孝行だし、もし本当なら……、ってことも一ミリ程度考えている。いつまで経っても男ってのはロマンを追い求めてしまうものなのだ。
もし万が一、億が一、本当にタイムトラベルしてしまったら困るので、色々と詰め込んだリュックサックを背負う。
準備も完了したので、
「えーと。果てにおわす天神様、山を越え、川を越え、時を越え、我に祝福をお授けください」
柏手を打ち、グリンと両手をそれぞれ反対方向に回す。
……六畳の離れには何も起こった様子はない。まぁ、知ってましたよ。婆さんったら何も残してないって言っておいて金庫にジョークグッズ残しておくなんてお茶目なんだから、もー。
口笛を吹きながらガラリと離れの入り口の木戸を開ける。
そこには先ほど移動してきた家はなく、荒れ果てた土地が広がっているだけだった。
一五二八年(大永八年) 四月 尾張国 十川廉次
目の前に飛び込んできた光景に思わず口を開きっぱなしにしてしまう。
本当にタイムスリップしているのか? 玄関から外に出て周りを窺う。付近は荒地、いや雑木林というべきかな? 俺の居る一帯だけが手入れされていない荒地になっていて、周囲は生えっぱなしの木々が生い茂っている。
荒地の真ん中に立ち振り返る。どうやら俺の渡ってきた場所は古ぼけた社のようだ。賽銭箱やらはないみたいだが。
「うーん、空気が美味しい」
グッと背伸びをして深呼吸をする。排気ガスで汚れていない空気が肺を満たし、都会ではない新鮮な空気を感じられた。俺の家があるところもそんなに都会じゃねーけど。
……現実を見よう。一体全体、今は西暦何年でここはどこなんだ? タイムトラベル出来るとノートには書いてあったがド田舎に移動しただけかもしれないし。それでも凄いんだけどな。
悩んでも仕方ないか。とりあえずリュックサックから折り畳みコンパクトチェアにガスバーナーと丸型のコッヘル、水入りペットボトルを取り出し、コッヘルの中に仕込んでおいたパック飯とレトルトカレーを湯煎する。朝飯をちょっと前に食べたばかりだが、人間は環境が変わると腹が減るものだ。
グダグダと脳内で言い訳を連ねているとスマホのアラームが鳴る。湯煎が終わった合図だ。
ステンレスの深皿にご飯とカレーを盛り、完成キャンプ飯! いただきますとスプーンでカレーを掬って口に運ぶ。安物のカレーだが環境効果でメチャウマ!
二口目を口に運ぼうとすると、俺から見て左手からガサリと何かの音が聞こえた。えっ、獣か? なるべく目を合わせないようにゆっくりと音の鳴ったほうへ視線を向ける。
そこには小学校高学年ぐらいの子供がいた。現地人だ。
しっかりと目を合わせると、俺と彼の間で沈黙が流れる。数十秒ほど経って俺が手招きをすると引き寄せられるように目の前までやってきた。彼の目線は俺から皿のカレーに移っている。
「食うか?」
俺が皿を差し出すと、彼は生つばを飲み込む。
「おらんちにこんな美味そうなもん買える金はねーよ」
「子供が遠慮するな」
汚れている彼の手を開いて皿を載せて渡す。
彼は我慢できなかったのかゆっくりと一口目を食べる。美味しかったのか彼は弾かれたように手を進めてあっという間にカレーを完食した。
「美味かったか?」
「だぁ! こんなに美味いもん産まれてこの方食ったことねぇ!」
比喩でなく本当に食べたことなかったんだろうなぁ……。
目の前の子供はボロボロの麻の服に何日も体を洗っていないであろう酸っぱいにおいがする。決して裕福ではない子供ではないことが伺える。
「代金の代わりと言っちゃなんだが、最近ここらへんで何か大きな事件なんて起きなかったかい?」
彼は首をかしげて悩む、親たちが話していたことを思い出しているのだろうか。
「そういえば、村長がいまがわさま? が城建てたって言ってたよ」
「ほう、なるほど……」
一般的に考える今川なら戦国大名の今川氏だよな。有名なのはよくやられ役でピックアップされる今川義元。織田信長に起死回生の一手を食らい負けてしまったことが何百年も語り継がれるなんて本人は思ってもみなかっただろうなぁ。
「そうかそうか。ついでにここが何処だかわかるかい?」
「ここは津島近くの畔村から離れたとこだよ。おらんちから山道を歩くとこの社につくんだ。
おらはウドとワラビを採りに山に来たんだ」
やはり裕福ではないらしいな。
それはともかく、彼の聞いた場所から察するにここは日光川の近くの山の中か。確定ではないが。
ふむ、一度帰って詳しく調べてみるか。そうと決まれば広げていた道具の片付けを開始する。
「ありがとう少年。名前を聞かせてくれるか?」
歴史的偉人かも知れないので名前は控えておく。信長配下のお猿さんの例もあるしね。
「おらは源太っていうんだ」
「そうか、俺の名は十川廉次。とある神様の使いで下界に下りてきたんだ。天上の食べ物は美味かっただろう? 正体がバレると皆がここにやってくるから、俺がいたことは内緒だぞ?」
源太少年はわかったと大きく頷く。いい子だ。
「では行きなさい源太。暇なときにここに来れば、また会えるかもな」
整理の終わった道具をリュックサックに収納して背負う。
「うん、またね神様!」
あらら、適当にホラ吹いたのを真に受けちゃって。子供ってのは可愛いもんだ。
彼が視界から消えるまで見送った後に再び社の中に入る。俺のいた時間に帰るには来た時の祝詞を読み上げ、柏手を打ち、手を逆の方向に捻ればいいらしいと記載されていた。それを行う。
「果てにおわす天神様、山を越え、川を越え、時を越え、我に祝福をお授けください」
右手を奥に、左手を手前に引く。……相も変わらずに実感はわかないが、これで帰れたのだろうか?
玄関の引き戸を開け、外に出てみるといつもの俺の家だった。どうやら帰ってくることが出来たようだ。
母屋に戻り、リビングのアナログ時計を確認すると時間は十数分ほどしか経っていなかった。時の流れは違うらしい、いや戻ってきた時間がちょっと後だったってことか? 好きに飛べるんだからそれぐらいできるよな。
とにかく、婆さんの残してくれたノートが本物だってわかったし本腰を入れて読んでみることにしようか。
つーか、婆さん。
「ちゃんと俺に残してくれたじゃないか、婆さん」
タイムトラベルより、そのことが俺には嬉しかった。
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