22、亥神の一発芸(前編)



 さてその後の道順だが、説明が複雑怪奇になるので割愛するとしよう。


 一行は目的地である長い一本廊下の階に出た。夏の宮の居住区であるここだけは遊び心の余地を持たせず、定規で線を引いたような直線の廊下が奥の奥まで続いている。両側の黄土色の壁と障子が古式ゆかしき旅館のようだ。


 皆仕事で出払っているため人気がない。薄暗い中を二部屋過ぎ、四部屋過ぎ――左の五部屋目で涼風すずかぜはインターホンを押した。ややあって、細い女の声が応えた。


「はい」

れんさん、涼風よ。つばきともう一人連れてきたの。入ってもいい?」

「どうぞ、入って」


 涼風は極力音を立てないよう注意して障子を開いた。

 旅館の客室のような踏み込みがあり、主室に続く襖を開ける。寸時、三人は真っ白な真夏の光線に目を眩ませたが、慣れると中の光景に足が止まりかけた。


 温風あつかぜは景色がよく見える位置に敷かれた布団に、まるで本物の病人のように寝かされていた。固くまぶたを閉ざして口を半開きにし、ぜえぜえ荒い息を吐いている。そうとう熱が高いのだろう、燃えるような赤毛が湿って色味を濃くし、顔は真っ赤で、汗だくだった。


 枕元には吹けば飛ぶような華奢な女が背筋を伸ばして座している。浴衣は白地に紫の蓮の花、先に行くほど濃くなる桃色の髪を玉簪一本でまとめ、衿から透けるようなうなじをさらし、濡れ手ぬぐいで病人の額を一心に拭う。


 二人の様子は深刻だが、畳は青々として良い香りがし、奥の庭に面した障子は全開で、百日紅さるすべり夾竹桃きょうちくとうの濃いピンクが燃え上がる真夏の庭が、油絵のように浮き出て見える。室内をやんちゃな風が駆け回り、ちりんちりんと風鈴を鳴らした。


 蓮の浴衣の女――蓮始開はすはじめてひらくは消沈した様子で、脇に置かれた団扇うちわに手を添えた。


「お見舞いに来てくれたのね。ありがとう。それなのに元気な姿を見せられなくてごめんなさい。意識がある時のほうが少ないの」

「今年はそんなに悪いのか」


 玄鳥至つばめきたるは驚きを隠せなかった。昨年は会わなかったが、一昨年のこの時期に温風と話をした時は、彼は熱がありながらもしゃんと受け答えをし、軽口を叩いて笑っていた。


「今年はほんとうに、今まででいちばんひどいの。一向に熱が下がらなくて……。どうしたらいいのかわからないわ」

「蓮、君はちゃんと寝ているのか。顔色がひどい。温風は真っ赤だが、君は真っ白だ。二人並ぶと紅白だ。そんなところまで仲の良さを見せつけなくたっていいだろう」


 雀がじろじろこちらを見たが、蓮はほんの少しだけ笑みを浮かべた。


「わたしの顔色がどんなものか、鏡を見なくてもわかるわね。あなたが下手な冗談を言わずにはおれないくらいってことですものね」

「ねえ、蓮さん」


 涼風はそっと雀を前に押した。


「この子は例の雀始巣すずめはじめてすくうの候補生よ」

「まあ」


 と、蓮は丁寧に三つ指をついて、


「はじめまして。蓮始開です」

「よろしくお願いします。あの……」


 雀は遠慮がちに問うた。


「温風さんは風邪ですか? 毎年夏風邪を?」


 これには玄鳥至が答えた。


「ここ数年、温風は自分の任期が近づくと高熱を出すようになった。そのせいで地上の熱の調整ができない。子どもが遠足前に熱を出すのと同じだと言う者もあるが……」

「おかしいのは兄さんだけじゃないのよ」


 涼風が引き継ぐ。


「十一年前、新年の宴の席で、十二支の亥神いのかみさまが騒ぎを起こしたことがあったの。その時犠牲になった暦は皆、徐々に何かがおかしくなった。自分の任期にうまく仕事を回せなくなったのよ」

「待ってください、それ……前にも誰かが言っていたな。そうだ、菜虫なむしさんだ。虫啓むしひらさんと桃さんが仕事をしないって。仕事とプライベートを混同するんだって。……あ、でもあれは違うのか。仲が良すぎてるってだけで……」

「ま・さ・に、それよ!」


 涼風はズイと人差し指を雀の鼻先に突きつけた。


「虫啓も桃も、あの時の犠牲者よ。二人ともあの事件から不自然なほど距離が縮まって、今や二人でひとつみたいに行動してる」

「雀始巣も犠牲者だ」


 雀ははっと玄鳥至を見て、温風に視線を戻した。

 蓮は温風の額の手ぬぐいを桶へと戻し、ぬるくなった水の中で川染めのように泳がせた。


「亥神さまをお恨み申し上げたくはないけれど、事実、異変はあれから起きているわ。あの年に起こったひどい水害のせいで気づくのが遅れたけれど……。なぜ神々はどなたも気にかけてくださらないのかしら。亥神さまも、責任をとって何か対策を講じてくださってもよいのではなくて?」

「いや、そもそも亥神さまだって被害者なのだ」


 玄鳥至は膝に置いたこぶしをぐっと握った。


「あのお方が十二支神の宴の席で何の一発芸をなさったか、皆も知っているだろう」


 誰もが痛みを堪えるような表情で黙り込んだので、雀は思いきって挙手をした。


「おれは知りません!」


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