第10話
「加奈子さんー、今日は庭師かねぇ」
と伸び放題であった施設の生垣を小型の植木鋏を持って完全日差し避け怪しげスタイルで選定する加奈子に施設の常連が話しかけてきた。
「そうですねぇー」
「すごい慣れてるじゃない」
「家でやってたんで」
「ほえー、若い人が珍しい。大体はシルバーさんやら庭師さんに頼むじゃない」
「そうですけど結構無心になれていいんですよー」
と笑って返すが内心そうじゃないと思う加奈子。専業主婦になってまさか経験するとは思っていなかった庭木の剪定。実家では大抵庭師に頼んでいた両親、時たま加奈子のあまり趣味の無い父親がチョキチョキと切っていたところを見ていたがやはりもう歳になるとやらなくなり庭師どころか全部伐採してフェンスをつけてしまった。
そっちの方が毎年庭師を頼むよりも安いと母が話していたのを覚えていた加奈子だが謙太に提案すると
『長い目で見ても庭師頼むのとフェンスをつけるのはトントンになるだけでどっちもやらなかったらお金かからないでしょ。毎年コツコツやればいいの。加奈子が日中家にいるんだからやればいい話でしょ』
と言い返されたのだ。確かにごもっともとネットでフェンスを取りつける料金を見たらとんでもない値段、こんなのすぐ出来ないと思い諦めた。
で、加奈子がネットで調べて生活費の中で買った剪定鋏で汗水垂らしてやっていると義父母たちがやってきて手伝いに来て週末に謙太も手伝い終わる、それの繰り返しであった。
もう何年もやっていたら高所恐怖症だった彼女も脚立に立派に乗れるようになり剪定鋏の扱いも慣れたものである。もちろんこれも坂本や窪田に頼まれたことではない。
センターの決められた仕事をこなしてから来館者が来ないためずっと気になっていた伸びきった庭木を坂本に許可を得て切っているのだ。
やらなくてもいいけどやってくれるならいいわよ、とのことだったがだんだん綺麗になっていくセンターに加奈子は資格を持ってはいないがやりがいを感じる、がもちろん時給は変わらず。お金さえしっかりもらえればいい、だなんて今まで不透明な時給で働いていた彼女ならではである。
「本当加奈子さんは細かいところによく気づいてくれるからありがたいわ」
「いえいえ」
内心、なんでこんなに汚くなるまで気づかないんだろうと微笑む坂本に思う加奈子だが渡されたお茶は癒しである。自分が庭木の剪定していてもお茶を用意するのは自分だった。そして義父母がいる場合は自分が用意して気を利かせなくてはいけなかったのだ。
今を思えば自分だけでやれば人に気を使うこともない、と加奈子は思っていたが坂本の優しさを感じホッとするのも束の間、思い出してしまったことがある。
「うわ……うちの剪定もそろそろ……」
ブルーになるのだが今はセンターの剪定を先にしよう……と加奈子が作業に戻った時だった。
颯爽にセンターの前を一台の自転車が去っていく。加奈子は気づいた。その人はあのうどん屋で見た青年だった。服装も同じものですぐにわかった。
「……あの人、この辺の人?」
加奈子の胸は何かに締め付けられたかのようにぎゅううっとなった。夫も子供もいる身なのに、と罪悪感を感じるがあの時に抱いたドキドキがいまだにあるのはなんだろうか、時たま思い出す彼のこと。
少し前に仕事のことを心配して電話かけてくれた瑠美に加奈子はその男性のことを話すと
『夫や子供がいても他所で推しを作ることは大事よ』
と。推し……加奈子は推し活とやらはしてこなかった。お金が掛かるからだ。よくファンレターやプレゼントを渡したりコンサートやイベントに行くことを結婚前はしていたがコンサートは家族のイベントや学校などのイベントと被ったら行けなくなる、行くことになっても預けるかぞく何日も前から頭を下げて帰りにはお土産も買ってとか、それ以前に家族が病気や急用ができたら安くも無いチケット代が無駄になる、独身時代と同じことはできないコスパの悪いものだと思っている加奈子はしばらく推しはいなかった。
テレビも子供向け番組ばかりだが子供向け番組のお兄さんに一時期入れ上げたこともあったもののやはり後ろめたさがあってそこまで入れ込むことができなかった。
気づいた頃には新しいお兄さんに交代し、なおかつ実は既婚者でした、となった時に加奈子は『ダブル不倫だった』と意味不明な落胆をしたこともあった。(妄想の中で不倫していた気分になっていた)
加奈子は今思えばこれも推し活だったのかと思うが今は違う。リアルに手に届く相手にドキッとしているのだ。
ただ加奈子は彼が今のこの剪定職人スタイルを見たのだろうか、それだけが心配であった。
そして加奈子は手慣れた子供の送迎ルーティーンをこなし、家に戻って驚いたのだ。なんと謙太が家の庭木を剪定していたのだ。子供たちはかっこいい! と言うと謙太は笑った。今まで自分からやることなんてない、やってよと加奈子が言うと不機嫌になり最後は渋々やるスタイルだった。ようやく数年前から最終日にはやってくれるようになったものの……。
それよりも仕事は? と加奈子が問いかけると
「言わなかったっけ。今日は直帰だって。後輩がこっちのお客さんにミスやらかして同行していった帰りだよ。帰っても誰もいなかったし天気もさほど暑くないしやることもないから」
加奈子は内心子供たちの送迎をして欲しかったものだが、彼が直帰だったことを忘れていた。無趣味だったのは父も同じだ、似たような人と結婚するというアイドルの歌の歌詞を思い出してクスッと笑った加奈子は
「アイスあるから食べなよ」
と自分のご褒美であるアイスのことを思い出し、この日ばかりは差し出そうと言う気分になった。すると謙太は
「どれだけあんの」
と。
「6カップよ」
と答えるとホッとした顔をする謙太。そして顎で何処かを指す。何か嫌な予感がしたのだ。
「アラーおかえりさい! 私たちも奥の方やってたからアイスいただこうかしら」
「お婆ちゃん、おじいちゃん!」
植木から覗かせたのは義父母たちであった。謙太がこんな気を利かせることはない、そう思ってはいたと、予想は当たっていた。
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