第16話 フィン

 足元でゴロゴロと寝転がる猫を見ながら、日本だったら薬屋に猫なんか居たら不衛生とか言われちゃうかもしれない、と困ったように見つめていた。


 しかし猫に関してはアニーは何も言わなかった。

 仁那が手を伸ばせば嬉しそうに喉を鳴らしてそれを受け入れるが、アニーが触ろうとしてもひょいと逃げ、まったく触らせようとしない。そんな姿にもアニーは怒ることなく、家に居付くのも受け入れていた。


 アニーは食事の残りを猫に食べさせるようにと言ってくれたのだが、当の猫は食事を前にしても食べようともしない。


「まあ、チャシャ猫だ。食べ物なんていらないのかもしれないねえ」


 アニーはそういうが、仁那としては猫が何のためにここにいるのかもわからず、このまま家猫のように自分の周りにいるのを許容して良いのかわからないでいた。


「チャシャ猫は食べなくても大丈夫なのですか?」

「それはわからない。何か魔素を吸って生きてるだけかもしれないしのうそもそもが神の使いと言われている神獣の類だ。人間の尺度で物を考えるもんでもないんじゃろう」

「はぁ……」


 不思議な猫で、毎日自分の近くでウロウロしていたと思うと、数日居なくなったりする。心配をしているとまたひょっこり現れるという感じだ。


「何か名前を付けてあげた方が良いんでしょうか」

「名前? まあ、猫って呼ぶよりは良いのかもしれんな。ただその名前を受け入れるのか……」

「うーん……」


 悩みながら猫を持ち上げると、雄を象徴する器官が付いている。

 それを見ながら名前を考える。


「フィン……はどうですか?」

「フィン? それは何か意味があるのかい?」

「私の世界で、自由気ままに冒険の旅をする男の子の小説があって、その男の子の名前から取ったんです」

「ふーん……。良いんじゃないかい? チャシャ猫もある意味自由の象徴だ。たしか大手の冒険者チームでチャシャ猫をエンブレムにしているような所もあったしな」

「へえ……君は本当に自由なんだね。フィンって呼んで良い?」


 仁那が語りかけるとまるでその意味を理解しているかのように猫は「にゃあ」と鳴く。


「ふむ。気に入ってくれたようじゃないか?」

「ふふふ。じゃあ、君のことはフィンって呼ぶからね」

「にゃあ」


 こうして、飼い猫なのか野良猫なのか良くわからない猫との暮らしも始まる。



 少しづつ仁那も村の生活に慣れてきて、一人で買い物に出ることも増えてくる。

 村人もすぐに仁那を受け入れ、買い物に行けば気さくに話しかけてくれるようになっていく。そんなゆっくりとした生活に仁那は自分もこの世界でやっていけそうだと次第に自信を持ち始めていた。


 薬屋でもカウンターには仁那が立ち、アニーが作ってくれた値段票を見ながら薬の生などを必死に覚え、仕事もしていた。



 チリン。


 ある日の夕暮れ、ドアの鈴の音が鳴る。

 奥でアニーに薬の作り方を教わりながら手伝いをしていた仁那は慌てて立ち上がりカウンターに向かう。


 すると店の中にはテオが立っていた。


「いらっしゃいませ」


 仁那がテオに話しかけると、テオは「あ、ああ……」と一言答え黙り込む。


「えっと……いつものお薬ですか?」

「え? あ、あれはまだ……ほら月に一度くらいだから」

「そうなんだ。ごめんなさいねまだ覚えていないことが多くて」

「い、いや。うん。大丈夫……」

「ありがとう……」

「……」

「……?」


 何とも言えない重い空気に仁那が尋ねる。


「あの、テオ君?」

「え? な、何?」

「何か欲しい薬が?」

「あ……」


 仁那の質問にテオは思い出したかのように背中に背負った竹で編んだような籠を下におろし、中をゴソゴソとあさる。そして一羽の角のついた兎を取り出した。


「こ、これ……」

「兎?」

「ボーンラビットっていうんだ」

「……角が付いているのね。どうしたの?」

「やるっ」

「え?」

「煮込むと旨いからっ」

「で、でも……」

「血は抜いてあるから」

「えっと……」


 テオは顔を真っ赤にしながらグイっと手に持った兎を突き出す。仁那が困っていると後ろからアニーが顔を出し声をかけてきた。


「貰っときな」

「良いの?」


 仁那が聞くとテオが籠の中を見せてきた。そこには同じような兎が三匹ほど入っていた。


「いっぱい獲れたから」

「テオ君が獲ったの?」

「お、おう」

「凄いね」

「そ、そんな大したもんじゃないよ」


 仁那が驚くとテオは満足げに大したことは無いと否定する。後ろからアニーが笑いをこらえた声で再度受け取るように良い、ようやく仁那は兎を受け取った。


「あ、ありがとう」

「また薬貰いに来るからさ」

「う、うん」


 仁那が兎を受け取ると、テオは満足したように店から出ていく。兎を手にアニーを振り向くと意味ありげに笑っている。

 わけも分からずに仁那は兎を見つめる。


「捌けるかい?」

「え、えっと……やったことないです」

「そうかい。じゃあ、教えてやるよ」

「ありがとうございます」

「まあ、夕飯には間に合わないかな」

「そう、ですね」


 


 村の中を歩いていくテオの足取りは軽い。顔もどこか嬉しそうで、ニヤニヤと笑みを隠せずに居た。調味料を売る店のオヤジが店じまいをしながらニヤつくテオに気がつく。


「ん? どうしたテオ、嬉しそうじゃねえか」

「え? そ、そう?」

「なんか良いの獲れたのか?」


 テオの背中のカゴを見ながらオヤジが聞く。テオはそれを聞いてホッとしたように応えた。


「あ、ああ。ボーンラビットが何匹か獲れたんだ」

「ほう。そりゃガキどもも喜ぶな」

「肉を食いたい盛りだからね」

「お前だってそうだろ?」

「ひひひ。まあね」

「でも気をつけろよ、この近辺だってたまには強い魔物がうろつくことだってあるんだ」

「そんなの大丈夫さ。もうすぐ俺だって15になるからね。そうしたら冒険者に登録するんだ」

「ははは。ま、頑張れよ。ただ命あっての物種だ。むちゃだけはするな」

「分かってるよ。それじゃ俺行くから」

「ああ」


 そう言うとテオは孤児院に向かって走り出す。

 そんな後ろ姿を見ながらオヤジは「若えって良いな」と呟きながら片付けを再開した。

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