第7話 銀の腕輪

 ポツンと一人残された部屋で、仁那は辺りを見回す。

 窓一つ無い、レンガで囲まれた部屋の壁は周囲をぐるっと据え付けの棚があり見たこともないような物が所狭しと並んでいた。


「本当に異世界……なんだ」


 自分の顔ほどもある目玉が入れられた瓶。なんだか良くわからない肉の塊や、骨、置いてある道具も見たこともないようなものばかりが並んでる。

 怖いとも感じられたが、腕の中の猫の体温が仁那の気持ちを落ち着かせていた。


 確かに、体は重く、疲れを感じている。


 仁那は言うとおりに寝ようと毛布を手にソファーに寝転がる。


「灯り……どうやって消すんだろう……」


 地下室の天井には照明が灯っているが、スイッチのような物が見当たらない。しばらく悩んだ末、仁那は毛布を顔まで持ち上げ、目を閉じた。


 ……


 事故にあい、目を開ければそこは異世界だという。仁那はそんな状況でなかなか寝付けないでいた。

 毛布の中で目を閉じると、母親のこと、弟のこと、学校の友達。様々な日本での記憶が頭をよぎる。


 それでも、どこかでホッとしている自分も居た。


 母親が再婚し、義父になかなか心が開けない中。自分の家が、どこか他人の家のようにも感じていた。

 それでも弟とも馴染み、居場所を得れたとも感じていたが、どこかで仁那は自分がちゃんと家族の一員なのか……。そんな気持ちで悩んだりもした。


 悲しいし。寂しいけど……この世界で自分の居場所が作れたら……。そんな事がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。


 それでも病み上がりで体も疲れていたのだろう。いつしか仁那は眠りについていた。



 ……


 ……


 

 翌日、仁那が目を覚まし体を起こす。辺りを見回しても猫の姿が見当たらない。


「猫ちゃん?」


 見知らぬ地下室で一人になる心細さに、仁那は猫を探しながら部屋の中を歩いていた。

 部屋はまるで学校の理科準備室のように薄暗く、部屋の中には様々な不思議な標本などもある。同級生の男の子たちは、肝試し気分で準備室に入ったりしていたな。なんてことを考えながらふとガラスの戸が付いた棚に目をやる。


「え? ……だれ?」


 ガラスに映った顔は自分の知っているそれとは違った。真っ黒だった髪や眉は真っ白になっている。


「これ……私?」


 よくよく見ると、顔の面影は確かに自分だ。ガラスに顔を近づけると目の色も違う。鏡でないためにちゃんとは分からないがどうやら青色のようだった。


「なんで……?」


 初めは驚きもしたが、誰かの体に入ってしまったわけでもなく、ベースは自分だとわかると少しホッとする。不思議な感覚の中、しばらくガラスの向こうの自分を見つめていた。



「ああ、そこに居たか」


 しゃがれた声に振り向くと、レクターがのぞき込んでいた。


「あ……」

「髪の色か。君を治すために色々とと無茶をしたのでな。少しばかり強い魔力を持つ材料も使った。その影響があるのだろう」

「戻る、のですか?」

「いや、おそらくそのままじゃ。元の黒髪も美しかったが、銀髪も案外似合うぞ?」

「そう、ですか?」


 仁那は不思議そうに自分の銀髪を眺める。


「あ、……その材料って」

「ふむ……説明しよう。まあ座れ、朝飯も持ってきた」


 レクターはパンと牛乳を机の上に置き、仁那を呼ぶ。

 仁那はおとなしくそれに従い、椅子に座ると説明を続けた。


「食べながら聞け。お主は異世界から召喚されたのは分かっているな」

「はい」

「この世界ではたびたび召喚の儀が行われておる――」


 レクターはこの他の召喚者達が聞いたような召喚に関する説明を始めた。


「私もその天柱を守るために戦うんですか?」

「いや……召喚者は神の果実を受け取る事で魔族と戦う力を得られる。だが、お主はもう手遅れという事でな、その果実を受け取ることは出来なかった」

「でも私は生きています。傷ももう治っています」

「神の果実は、魔力などを持たない異世界の召喚者しかその恩恵を受けることは出来ない。お主を治すために使った素材などの影響で、今はわずかながら魔力を持っているんじゃ。おそらく神の果実は食べられないであろう」

「魔力……わずかなのですか?」

「そうじゃの、勇者として扱われる量ではないな」

「……それじゃあ私はどうすれば……」

「ゆっくりと過ごすがいい。生活の場所も用意する」

「……はい」


 仁那は元々優しい性格の子供だった。魔族と戦うなんて事、出来るとは思えなかった。それもあり、レクターの提案は良い物に思えた。


 ……


 ……



 その日からレクターとカエスの2人が、毎日のように仁那の体調をチェックし問題ないことを確認しながら、この世界の風習などを学んでいった。


 仁那が目を覚まして十日ほど過ぎたある日、レクターが仁那に一つの腕輪を渡す。腕輪は銀色の幅が三センチほどもある金属の輪で、その表面にはびっちりと不思議な紋が彫られていた。


「……これは?」

「前にも言ったようにこの世界は危険が多いのじゃ。それなりに身を守る術が必要じゃろう」

「武器、なんですか?」

「武器では無いが……。そうじゃな。一時的にお主の力を引き上げる」

「引き上げる? 魔法とかが使えるのです?」

「そんなもんじゃ」


 そう言いながら仁那の左手にパチリと腕輪を留める。


「それに右手の手のひらを置き<解錠>と唱えれば発動する。そして<施錠>と唱えればそれを納めることが出来る。簡単じゃろ?」

「解錠、施錠……」

「そうじゃ、やってみるか?」

「……はい」


 仁那は恐る恐る左手の腕輪に手を乗せる。……教わった言葉を頭の中に繰り返し、やがて意を決して呟くように唱えた。


「……解錠」

 

 ……。


 …………。ゴ……ゴゴゴ……。


 一瞬の静寂に仁那が何かを失敗したのかともう一度唱えようとした瞬間、それは起こる。突如背中のあたりがカッと熱くなりそれが体全身に広がっていく。


「え……」


 突然の変化に仁那は戸惑いの声を上げる。

 変化はそれでも止まらずに進む。着ていた服は体に飲まれる様に取り込まれ、竜を彷彿とさせる鱗のような赤褐色の装甲がその服に置き換わっていく。背中からは翼が広がる。

 その髪は赤く染まり、青い目の瞳孔の中に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がった。



「おお……」


 魔力の暴走が起こす風に髪を乱しながらレクターは目を見開き、目の前の現象に注目していた。もちろん、仁那の体をこの様に仕込んだのはレクターだったがある程度は竜の血などの素材に任せた所も多かった。

 予想以上の変化に、口元に笑いを浮かべる。


 一方で仁那はパニックになっていた。


 体からあふれる魔力に戸惑う中、膨大な知識が脳に流れ込んでくる。そのあまりの情報量に恐怖に陥る。


「あ……ああ……駄目……」

「問題ない。大丈夫じゃ」

「せっ、施錠! 施錠! 施錠!!!」


 あまりの恐怖に必死に魔法を解く言葉を繰り返し唱える。すると、すぐに効果が現れた。

 今までの変化が巻き戻るように元の姿へと戻り始める。

 

 魔力の渦がなりを潜ませ、全てが終わると、仁那は元の姿のまま呆然と立ちすくんでいた。



「素晴らしい……」

「な、なっ、なんですかこれはっ!」


 感無量と言ったレクターとは比例して仁那が怒ったように訊ねる。


「だから言ったじゃろ。この世界は魔族や魔物といった危険に溢れているんじゃ。治安だって良くない。身を守る術は必要じゃ」

「だけど……これじゃあ……」

「普段からそんな状態というわけじゃない。必要な時。いざというときのための備えじゃ」

「私……どうなってしまったの?」

「この世界で生きていけるようにちょっぴり手助けして上げただけじゃよ」

「……」


 ニッコリと笑うレクターに仁那は絶句していた。

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