32PV:ワニと喧嘩師

 とあるところに、ワニがおりました。


 悠々ゆうゆうと歩いていると、一人の人間と目が合いました。


 本来、ワニと出会った際の、人間の行動の手本としては、目を合わせながらゆっくりと後退あとずさりするのが行動の判断として正解である──。


 しかし、そのおとこは。


 悠々と鰐の方へと歩いていく──。


 190cmを超える漢に対し、鰐が不覚だったのは、野生本来の闘争本能を抑えきれなかったことにある。


 失敗。敗北。


 闘う前から決まっていたように──。


 ワニはがぶりと男の人に噛みつきました。


 手にかぶりと、噛みつきました。


 が。


 ワニの歯がぽろぽろとくだかれていきました。


 漢はッ! わざと片手を鰐の口の中に放りやりッ!


 鰐の口の中の歯を握りつぶしたッ!!


 握撃あくげきって言うんですかね。僕も後から知りましたが。


 先制攻撃を許したってことで、あの人の闘争本能もオンになったみたいで。


 ワニは口を外し、茫然ぼうぜんとその人を見つめました。


 漢は、めりっめりめりめりっとスラックスの裾からまくり上げていき。


 大腿筋膜張筋を膨らませ、鰐皮のベルトを吹っ飛ばしッ!


 大きく息を吸い込んで、上半身のスーツが弾け飛んだッ!


 漢の裸はふんどし一丁。


 それを見たワニは一言──「──ビューティフル」


 その人は動きました。


 それは不思議な構えでした。


 まるで、円盤投げでもするかのように──。


 ごいんっと、鰐の下顎したあごに拳を殴り落としました。


 ワニのあごが、かくんっと下に曲がりました。


 「(な……なんてパンチだ……)」


 ワニはぼろぼろになった歯と共に、あごの関節まで痛めてしまいました。


 漢は、ぐいっと鰐を顔の寸まで近付けて。


 「まだやるかい」


 ワニはぶらんと下がったあごの口で言いました。


 「3時のマネ。へい。こちらクソレストラン。……ご予約で?」


 ごいん。


 その人はまた殴りました。


 ワニの下あごは、垂直なまでに開いてしまいました。


 「まだやるかい」


 「6時のマネ」


 と鰐は言えなかった。あごが垂直に開いているため、喋ることは出来ない。


 それ以前に。


 この漢に、これ以上挑発してはいけない。──野生の勘がそう言う。


 圧倒的な差。圧倒的な力。種では勝てても個で勝てない。──それは鰐にとって初めての敗北であった。


 九時の真似だけは避け


 ごいん。

 

 ワニの下あごが9時の方向へと曲がってしまいました。


 ワニは失神してしまいました。


 その人は、ワニのを片手で持ち上げて、ずるずるとワニを引きずって行きました。


 ところ変わって、動物園。


 「みあげだ」


 ふんどし一丁のその人を、動物園の職員さんは茫然と見ながら、失踪しっそうした末に失神したワニを引き取り、その町の喧騒は事なきを得ました。


 

 

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