第18話 決戦のバレンタイン(二月十四日)

「それで結局、香織先輩とはその後どうなんですか?」

 その日の午後にまひるちゃんとお昼ご飯を食べていたら、当然の質問が飛んできた。

「別に。いつもの香織だった」

「図太いというかなんというか。あっさりしてるんですね」

「そうだな」

 今朝あんなことがあったのに、午後はまひるちゃんとデートしてるなんて。香織が知ったらなんて言うのか。

「そういえば、今日もあのリップクリームつけてるのか?」

「今日はつけてないです。つけてきて欲しかったですか?」

「そりゃプレゼントしたものだからな」

「そうですか」

「まひるちゃん、なんかあった?」

「ちょっと」

 僕はまひるちゃんに手招きをされてテーブル越しに顔を近づけた。

「やっぱり」

 瞬間。頬に痛みが走る。

「一ノ瀬先輩。嘘をつくならつき通して下さい」

 僕はまひるちゃんにほほを叩かれた。

「分かるんですよね。同じリップクリーム使ってると。リップクリームって言ってもカラーリップですからね。色、移るんですよ。一ノ瀬先輩も使い始めたんですか?違いますよね?」

 それだけ言ってまひるちゃんは席を立って店を出て行ってしまった。僕も急いでお会計を済まして、まひるちゃんを追う。

「どっちだ?」

 店を出て走って行った方を目指したけどもまひるちゃんは見つからない。如月公園に行ってみたけどもそこにも居ない。

「まさか……」

 僕は自宅に急いだが、そこにもまひるちゃんは居なかった。僕は香織のところに行ったんじゃないかと思って、香織の家のインターホンを鳴らす。今度は四度目のインターホンでドアが開いた。

「一樹?」

 ここじゃない。それだけを確認して他にどこか行く可能性のある場所を考える。

「ねぇ、一樹!どうしたの⁉」

「まひるちゃんにキスをしたことがバレた。それで今、まひるちゃんの行方を捜してる」

「ごめんなさい。私の所為で……」

「拒まなかった僕も悪い」

「私も探す。それで謝るわ」

 

 その日、夕方まで探したけどもまひるちゃんは見つからなかった。

 

「はぁ、私、なにしてるんだろ」  

 私は今、学校の教室にいる。休日だけあって学校には部活動の人たちしかいない。ましてや三年生の教室なんて誰もいない。本当は香織先輩に会ってガツンと言ってやるつもりだった。でも……。キスを受け入れたのは一ノ瀬先輩なんじゃないかって考えちゃって出来なかった。

「探してるんだろうなぁ……」

 なんで一ノ瀬先輩は香織先輩とのことを隠すの?どうして話してくれないの?私の中でまたなにかが膨らむ。

 結局その日は詩の家に泊めてもらって家には帰らなかった。

 

 それからというもの、一ノ瀬先輩からのメッセージは来るけども既読をつける気にはならなかった。それから家に来てくれたりしてたみたいだけど、お母さんにはしばらく会いたくないって伝えて欲しいと言ってあったので実際に会ってもいなかった。また嘘をつかれるかも知れないと思うと怖くて会えなかった。

 

「まひるちゃん、連絡付かないの?」

「ああ。多分家にいるんだと思うけど。出て来てくれない」

「私が言った方がいい?それで……」

「それはやめた方が良いかな。多分」

 僕はずるい男だ。実際のところ、香織がまひるちゃんに直接謝れば事は済むと思う。でもそうしたら僕と香織との関係は一切無くなる気がして。 

    

「まひるさ、どうしたいの?」

 私は詩と一緒にバレンタインチョコレートを作っている。

「わかんない」

「じゃあ、なんでチョコレート作ってるの?」

 実際のところ、自分でも分からない。

「なんでだろ。義務、みたいな?」

「手作り義理チョコ?」

「義理になっちゃうか本命になっちゃうのか。詩はどう思う?」   

 今までの事を詩には伝えてある。

「うーん。その感じだと一ノ瀬先輩って優柔不断みたいだから、一気に押し込んだ方が勝ちって気がする。だからバレンタインチョコを手渡して一気に行けば本命チョコになるんじゃないかな。私、なんかお手伝いする?一応、一ノ瀬先輩とは面識あるんだし」

「なにかお願いすることがあったら言うわね。そのときはよろしく」

       

「押し込んだ方が勝ち、かぁ」

 出来上がったチョコマフィンを眺めながら呟く。今までそうしてきたんだから同じようにすれば良いだけ。たったそれだけのことなのに。

 

 私は今日もお花を売っている。今日はバレンタインデー。フラワーバレンタインなんて言ってチョコレートじゃ無くて花をプレゼントする、というのもあると働いてから知った。今朝は悠仁と一緒に一樹と朝食を食べた。一樹も何も言わなかったので、私も何も言わなかった。

「ちょっと行ってくる」

 店先にいた私に一樹が短く声を掛けてきた。まひるちゃんのところに行ってくる、と言う意味だろう。

 

「十二時に如月公園で待ってます」            

 今朝起きたら入っていたメッセージ。

 『行かなければならない』

 

「やあ。お待たせ」

「まだ十五分前ですよ?」

「女の子を待たせるのは悪いだろ?」

「でも私。待ってましたよ?」

「そうだな。すまん」

 二月十四日に呼び出されたのだ。この意味が分からない男はいないだろう。普通なら呼び出された時点で有頂天になるものだが、今回の僕は違った。

「来てくれてありがとうございます」

「こちらこそ、連絡をくれてありがとう」

「いえいえ。今日はバレンタインデーですから。彼女が彼氏を呼び出すのは当然です」

 彼女が彼氏を呼び出して。僕はまだまひるちゃんの彼氏でいていいのか?

「先輩。一ノ瀬先輩。手、貸して下さい」

 僕はまひるちゃんに右手を差し出す。

「目、閉じて貰っていいですか?」

 僕は言われた通りに目を閉じる。大きな深呼吸の音だけが聞こえた。

「目、開けて良いですよ」

「いいのか?」

「はい」

 僕は目を開けてまひるちゃんを見つめる。まひるちゃんは優しく微笑んで僕の方を見てくれた。

「はい、これ」

 そういって紙の手提げ袋を渡してくれた。

「一ノ瀬先輩は私の事好きですか?」

「ああ」        

「本当ですか?」

「本当だよ」

「分かりました。先輩、一ノ瀬先輩。私たち、お別れです」

「え?」

「今はっきり分かりました。先輩は私の事、好きかも知れませんけど、それって本当に好きなんですか?」

「え?ちょっと言ってることが……」

「一ノ瀬先輩。私今、好きですか?って聞きましたよね?」

「ああ。だからそうだって」

「どうして好きって言ってくれないんですか?私とお付き合いを始めてから、先輩の口から私の事好き、って言ってくれたことありますか?一度も無いですよね?」

 記憶を辿る。確かにまひるちゃんから好きと言われたとき、僕の返事はいつも決まっていた。今答えた「ああ」だけだ。

「一ノ瀬先輩、今私に好きって言えますか?」

「言えば良いのか?それでやり直すことが出来るのか?」

「一ノ瀬先輩。後ろ、見て貰っても良いですか?」

 そう言われた通り後ろを振り返るとそこには香織がいた。

「私が呼んだんです。香織先輩」

「なんでこんなこと……」

「香織先輩!」                                  

 僕の言葉なんて聞きもしないと言った感じで、まひるちゃんは香織を呼ぶ。

「香織先輩。香織先輩は一ノ瀬先輩のことどう思ってるんですか?」

「……」 

「答えてくれないと分かりません。私今、一ノ瀬先輩とお別れしました。香織先輩はどうするんですか?」

「まひる……」

「先輩は黙っていて下さい!私は香織先輩とお話してるんです。クリスマスプレゼントを買いに行くって行ってた話、あれって嘘ですよね?井ノ島に行ってたんですよね?それに。どうして私がプレゼントのマフラーとか一ノ瀬先輩の上着から香織先輩の匂いがしたんですか?」

「一ノ瀬先輩も一ノ瀬先輩です。どうして隠してたんですか?」

「それは……」

「私に気遣ってたんですか?でも。好きなのは私かも知れませんけど、愛しているのは香織先輩なんですよね?」

「なんでそうなって……」

「じゃあ、私に言えますか?愛していますって。香織先輩の前で言えますか?」

 

「私、本庄香織は一ノ瀬一樹のことを愛しています」

 

 この言葉が頭に浮かんでしまった。愛してる。それは好きよりも遠く離れた存在。香織はそれをいとも簡単に口にした。いや、勇気が必要だったに違いない。それなのに僕は、それが言えない。

 

「愛してる!私、一樹のこと、愛してる!世界中の誰よりも!」

 

 先に口を切ったのは香織だった。次は僕の番だ。

 

「僕は……一ノ瀬一樹は……!」

 瞬間。僕は後ろから香織に抱きしめられた。

「言わないで……お願いだから……言わないで……」

 そういわれて僕は言葉を発することが出来なかった。何か言えば全てが崩れ去ると思った。

「一ノ瀬先輩。愛してるって重たいんですよ。とっても。だから私には言えませんでした。好き、止まりだったんです。一ノ瀬先輩は香織先輩の愛してるに包まれる方が良いと思います」

 まひるちゃんに諭されるように言われて僕は全てを理解した。

 いつも心にいるのは香織だった。毎日のようにまひるちゃんに会っても考えていることは香織のことだった。

「ほら。一ノ瀬先輩。私の事はもう良いですから香織先輩を抱きしめてあげて」

「でも……」

「私の気が変わらないうちに……ね。正直なところ、分かっていたんです。最初から。台本を作って付き合って貰ってるときからずっと。一ノ瀬先輩の心の中にはいつも香織先輩がいて。私、勝てませんでした」

 そういってまひるちゃんは一歩後ろに下がった。まだ間に合う

「嘘をついてまで一緒にいたいってなかなか出来ないですよ?」

 更に一歩下がる。

「そのチョコレートマフィン。手作りなんでちゃんと食べて下さいね」

 また一歩 

「それに……それに……ダメだ。もう何もないや……私にはもうなにもないです。一ノ瀬先輩!今までの事、ほんとうにありがとうございました!」

 そう言って、まひるちゃんは大きくお辞儀をしてから、僕に背中を向けて離れていった。

 

「振られちゃったな」

「うん」

「香織はこれでよかったのか?」

「うん。一樹は?」

「正直、分からない」

「じゃあ、分からせてあげる。こっち向いて」

 香織は僕の身体から腕を放してそう言った。僕はそれに応えて身体の向きを変える。

 

「私、本庄香織は一ノ瀬一樹のことを愛しています」

 

 三度目の告白。三度目の愛してる。痛いほどに伝わる愛してる。

「香織はさ、僕のことは仮の彼氏じゃなかったのか?」

「最初はそうだった。始まりがそうだったから。でも、どんどん好きになるのは止められなかった」

「そうか。今から僕がまひるちゃんを追いかけたらどうする?」

「させない」

 そう言って香織は僕のことを更に力を入れて抱きしめた。これに答えれば全ては終わる。まるでいつかの凛ちゃんの時のようだ。棒立ちの僕。この腕を香織の背中に回すだけで全てが終わる。僕の気持ちはどうなんだ?

「しばらくはまひるちゃんの事を忘れることは出来ないぞ?」

「うん」

「凛ちゃんの誕生日にはお墓参りに行くんだぞ?」

「うん」

「僕はそんな優柔不断な男なんだぞ?」

「うん。そんな一樹の全部を愛してる」

 僕はそう言って香織の背中に腕を回した。これで全てが終わる。まひるちゃんとの関係が。僕らは手を繋ぐことも無く家に帰っていった。

「あ、ちょっと待ってて」

「ん?」

「バレンタインチョコなんて用意してなかったから」

 そう言って手渡されたのはヒマワリ。

「ヒマワリの花言葉って何か知ってる?」

「知らない、かな。何なんだ?」

「内緒‼」

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