第2話 コンペに向けて

 コンペ、コンペティション。競争、競合の意味合いを持つ。


 所長さんは目を丸くしているが、紗奈さなは血の気が失せる思いだった。紗奈のこれまでのデザインが気に入らなかったのか。いや、矢田やたさんはいつも紗奈の作ったものを見て、顔を綻ばせていた。


天野あまのさんのデザイン、可愛らしくてなんやほっこりしますわ」


 あれが嘘やお世辞せじとは思えなかった。お店の集客などを左右する大事なツールなのだ。気に入らなければ最初のDMの時点で突っぱねられているはずである。


 今でもヒアリングや打ち合わせの場所は初めにも使ったカフェだが、お店のイメージを拝見したいからと案内してもらったことがある。その時はまだ中は改装中だったが、表はほぼ仕上がっていた。シンプルながらも暖かみのあるベージュを基調としたお店だった。


「本格フレンチ言うたら、入るのに気後れしてしまいそうですけど、うちは気軽に来てもらえる様なビストロにしたいんです。普段使いしてもらえる様な。淡いベージュとか生成りとかの様なあったかいお店っちゅうか。せやから中も木材をふんだんに使った内装にするんですよ」


 紗奈はその思いをんでデザインをしているつもりだ。外装の写真を何枚も撮らせてもらい、お店がオープンしてからは仕込み中にお邪魔して、内装の写真もたくさん撮影した。それを見ながらイメージを膨らませる。紗奈はそうしてビストロ・ヤタの仕事に取り組んでいた。


 お店の雰囲気が少しでも伝わればと、柔らかな雰囲気、親しみやすさが滲み出る様なデザインを心掛けて来たつもりだ。


 一体何があったと言うのか。


 畑中さんは蒼白になっている紗奈の顔を見て「あ、天野さんのせいや無いからね」とさらりと言った。


「何や、最近なかもずにデザイン事務所を開設しはったって人が、売り込みに来たらしいんです。その人にはうちから変えるつもりは無いっておっしゃったそうなんですけど、ぐいぐい来られて困ったって。それでも拒否したら、じゃあコンペしてくれって話になってしもうたそうで」


 畑中さんは紗奈と所長さんの顔を代わる代わる見ながら、戸惑った様に言う。


「なんや、それやったら出来レースってことか?」


「矢田さんのお言葉通りなら、そうなりますねぇ」


 それで紗奈はいささか安堵あんどする。しかしコンペとは。まさか紗奈のデザインで他の作品と争うのか?


 それはいくらなんでも荷が重すぎる。紗奈はまだまだ未熟なのだ。学校で学んだ技術は役立っているが、センスはまだまだだ。


 学校で習得しきれなかった部分が大いにあるのは、実際に仕事を始めて思い知った。同じレストラン、居酒屋、美容院でも1軒1軒違う。課題とは違い、作り手の好みだけで作成できるものでは無いのだ。


 そんな紗奈がコンペだなんて。自信が無い。いくら出来レースかも知れないと言っても、相手よりも稚拙ちせつなものを上げれば、充分に乗り換えられる可能性があるのだ。紗奈はまた顔を青くした。紗奈のせいでクライアントが離れるかも知れないのだ。


「いやまぁ、出来レースや言うても、下手なもんは作られへんわなぁ。もし万が一実力差が大きかったら、鞍替くらがえされるかも知れん」


 所長さんの言う通りだ。これは紗奈の手に負えるものでは無い。今回は、いや、今回から畑中さんにお任せすべきだろう。


「それは大丈夫ですよ。今まで通り私がチェックしますし。なんなら所長も見てくれても。矢田さんは天野さんが作るものを毎回褒めてくださいますからね。それよりも変に気負って奇をてらったりする方がアウトです」


「念のため、これまでの制作物見せてくれるか」


「はい。校了こうりょう紙でええですか?」


「あ、私取って来ます」


 紗奈は壁際の棚からA4サイズの紺のクリアブックを取り出す。バインダ式になっていて、ページの増減ができるものである。クライアントごとに分け、校了紙や色校正紙、完成品などをファイリングしてあるのだ。


「どうぞ」


 紗奈は最初のページを開いて所長さんに渡す。1ページ目の上段にはいちばん目に手掛けた新規開店のDM、下段には名刺とショップカードを入れていた。名刺はオーナーシェフである矢田さんとフロア兼ソムリエのふたり分で数が少なく、サイズも小さいこともあってまとめたのだ。


 次のページからはメニューになり、続けてお誕生日特別ディナー案内のDMだが、こちらはまだ数枚である。


 所長さんはそれらを真剣な表情で眺める。これまで畑中さんには見てもらっていたが、所長さんに見られるのは初めてで、紗奈はいささか緊張してしまう。心臓がどくどくと早く動いた。やがて所長さんは開いたままのクリアブックを納得顔でそっとデスクに置いた。


「うん。このままで大丈夫やろ。ビストロ・ヤタは確かアットホームなビストロやろ? それやったらこれぐらい素朴そぼくで、でも可愛らしい要素も盛り込んだテイストで問題あれへん」


「そうですよね。お店の内装とかも拝見したんですけど、何ら問題無いかと。ね、天野さん」


「は、え?」


 紗奈は間抜けな声を出してしまう。


「この前受けた誕生日ディナーのはがき、もう取り掛かってる?」


「あ、はい。ついさっき始めたところで」


「うん。いつもの様に、初校しょこうができたら見せてな」


「はい。って、あれ? このまま私が作ってええんですか?」


 紗奈が驚くと、畑中さんは「当たり前やん」と事も無げに言う。


「このテイストは天野さんやから出せるんや。何より矢田さんが天野さんのデザインをお気に召してはる。誰かと交代やなんて考えてへんよ」


「でも」


 紗奈は焦ってしまうが、所長さんも「せやな」と頷く。


「天野さんに続けてもろた方がええやろ。この雰囲気は畑中さんにも岡薗おかぞのくんにも、もちろん僕にもよう出せん。いくら出来レース的なもんや言うても、初めてのコンペで不安になるやも知れんけど、僕も畑中さんもバックアップするから、乗り越えてみいひんか」


 早打ちしていた紗奈の心臓がどくんと大きく跳ねた。紗奈にできるだろうか。畑中さんに作成してもらった方が良いと思ったものの、ここで投げ出して、逃げてしまうのは嫌だ。これまで続けて来たことを、状況が変わったからと言ってできないと言うのも悔しい。


 矢田さんは畑中さんのクライアントではあるが、紗奈のクライアントでもあると思っている。それほどの責任感を持って今まで取り組んで来たつもりだ。紗奈の仕事を認めてくれた、大事な大事なクライアントなのだ。


「頑張ってみます」


 紗奈が意を決した面持ちで頷くと、所長さんも畑中さんも満足げに口角を上げた。


「ほな、初校楽しみにしてる。いつでもええから声掛けてな」


「はい。ありがとうございます」


 そして紗奈と畑中さんはそれぞれ仕事に戻った。




(ちゃう、こうや無い。ああ、頭がテンパりそうや)


 背景色をあらためて見直す。ベースの淡いベージュはそのままに、他の色との割り合いでイメージも変わってくる。初秋だからまだ紅葉には早いし、残暑もある。夏らしいカラーも小さく取り入れてアクセントにしてみよう。


 写真をトリミングし、配置して動かし、傾け、拡大縮小を繰り返し、やっぱり違うと削除する。それを何度も繰り返し、どうにか位置を決める。


 コピーや文章のフォントも、ずらりと並んだ一覧からひとつひとつ指定してバランスを見る。店名はロゴ扱いでフォントが決まっているので、それと違和感が無く、かつ、お店の雰囲気と合う柔らかなものを探すのだ。


 数ある手持ちのフォントではぴんと来ず、紗奈はフリーフォント検索サイトにアクセスする。イメージに合いそうなものがあったら商用利用の可否を確認し、可能ならダウンロードしてフォントフォルダにインストールし、試してみる。それでもまだ違和感があるなら同じことを繰り返す。


 フォントは同じポイント数でも、種類によって面積が変わる。なのでポイント数を細かく調整し、バランスよく、そして見やすい様にしてやらなければならない。


 文字は文章にした場合、下手に傾けたりしてしまうと読みにくくなってしまう。なので下手な加工は施さない。


 文字も背景から浮かび上がる様に、フレームを付けてあげたりの工夫をする。だがあまり浮いてもいけないので、フレームに色を入れたり背景を透過させたりと色々試してみる。


 全体のバランスを見ながら、細かな部分を調整して行く。写真や文章をミリ、コンマ単位で移動させる。


 こうした作業は、全てのデザインに共通する。使う写真やフォント、色やオブジェクトの形はものによって違うが、進め方はほぼ変わらない。やり方はデザイナーそれぞれだろうが、紗奈にはこの流れが合っていた。


 時折身体を伸ばしてほぐしながら、紗奈は集中して仕事に向き合った。

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