2章 未来のふたり(仮)
第1話 初めての振る舞いごはん
「ん、美味しい」
「ほんまですか? やったぁ!」
紗奈は嬉しくなって喜びを素直に表す。
事務所のお料理部でこつこつとお料理に励み、包丁の扱いにも大分慣れて来た。基本の工程はレシピ頼りだし、さすがにプロの料理人みたいな高速千切りなんてことはまだまだ夢の話だが、手際もかなり良くなって来ている様に思う。
その日は土曜日。紗奈も雪哉さんも仕事が休みで、雪哉さんがひとりで住まうワンルームマンションでのお家デートだった。
雪哉さんは大学進学を機に実家から独立し、大阪市の
大国町駅周辺にはえべっさんの愛称で親しまれている
雪哉さんは社会人になってからも同じマンションに住み続けている。荷物が増えたこともあり狭いと感じることもあるものの、貯金をしたいので
季節は初夏、5月の折り返しに入っていた。ますます気温は高くなり、異常気象と言うのか夏日と呼ばれる暑い日になることもあった。今日は例年通りなのか、薄手の長袖で過ごしやすい気候になっている。そこかしこの植え込みにはつつじと入れ替わる様にさつきの花がほころんでいた。
紗奈は週に2度ほどのお料理部当番をせっせとこなしていた。初めのころは岡薗さんのお手伝いをする様な形だったのだが、1ヶ月あまりが経った最近では、紗奈主体で作れる様になって来た。
なので今日のお家デートで、紗奈が晩ごはんを作ると申し出たのだ。まだまだリクエストを受け付けることは難しいが、紗奈は雪哉さんが喜んでくれたら嬉しいと、現時点での自信作であるお野菜たっぷりのグラタンを作ったのだった。とは言えひとりでは不安だったので、雪哉さんに付き添ってもらいながらだったのだが。
これまでお家デートの時のごはんはデリバリーかテイクアウト、外食か、時折雪哉さんがお手製ごはんを振る舞ってくれていた。
紗奈は前までお料理ができなかったし、雪哉さんのお家なのだから、作るのであれば雪哉さんがするものだろうと思っていたのだが、こうして少しでも作れる様になってみたら、例えそう凝ったもので無くても、作ってあげられたら、それで喜んでもらえたら、と思う様になったのだ。
お野菜は一般的なスーパーと比べてもそう価格が変わらず、特価品はかなりお得だと言うこと。その一方でお肉類や魚、加工品などは特価でもお高めだと言うこと。
ならお野菜をたっぷり使えば、お安く抑えることができるということに至るのは簡単だった。
なので紗奈は岡薗さんに相談しながら、お肉類が多く無くても満足できるグラタンが作れる様に練ったのだった。もちろんレシピ本も参考にしながら。
そうして事務所で作ったグラタンは好評で、紗奈も我ながら巧くできたと自画自賛してしまった。
今日雪哉さんのために作ったのは、そのグラタンだった。ただ事務所で作ったものより、お肉を多めにしている。その分お野菜を少し減らした。そうした加減も岡薗さんに相談していた。
大国町駅まで迎えに来てくれた雪哉さんと合流して、スーパーで買い物をした。大阪では激安で有名なスーパー
陳列には据え付けられている棚の他に、商品が梱包されていた段ボール箱も活用され、店内はいささかごちゃごちゃした印象を受けるのだが、近鉄本店よりお得な商品に紗奈は目を見張った。
紗奈の地元あびこにもスーパー玉出はある。だが家からは少し離れていることと、日常の買い物は
こうして雪哉さんとスーパーで買い物をすることは初めてだった。これまで雪哉さんが作ってくれた時は、前もって買い物をしてくれていたのだ。
黄色いかごをカートに置き、雪哉さんが押してくれた。紗奈はそれに食材を入れて行く。特売品もあるが、それは意識しないで手元のスマートフォンのメモの通りに選んで行った。
紗奈にはまだ
そうしてできあがったのは、鶏のひき肉と玉ねぎ、アスパラガスにしめじ、トマトとマカロニを使ったグラタンだった。
ひき肉を使うことでお肉が全体に広がり、どこをすくってもお肉が付いてくることが魅力的だった。これは岡薗さんの提案だった。レシピではひとくち大に切った鶏むね肉を使っていた。
「ほら、紗奈も冷めんうちに食べぇ」
「はい」
ほかほかと湯気を上げるグラタンにスプーンを差し入れる。すくい上げるとたっぷり載せたチーズがとろりと伸びた。
やけどをしない様にそっと口に運ぶ。はふ、はふと熱を逃しながらも味わいを追い掛けた。
ソース代わりにもなっているトマトが持つほのかな酸味と、火を通すことで引き上げられた甘さの中に、しんなりと炒めた玉ねぎの甘味、柔らかく爽やかなアスパラガス。それらを覆うのは絶妙な塩っけを含むチーズ。焦げ目が付いて香ばしい。
オリーブオイルにバター、白ワインも使い、お塩とこしょうもだが、隠し味にケチャップを使っている。ケチャップにはスパイスが多く使われているそうで、それが深みになるのだ。岡薗さんに教えてもらったことだった。
「良かったぁ。美味しくできた〜」
紗奈が頬を緩ますと、雪哉さんが「な」と微笑む。
「これ、家でも作ったりしたん?」
「いえ、作って無いんですよねぇ」
紗奈が苦笑すると、雪哉さんは口角をあげたまま少し眉尻を下げた。
「いや、手伝いとせぇへんのかなと思って」
「うーん、ありがたいことに、お母さんが全部やってくれるんですよねぇ。私も平日は仕事ですし、終わったらさすがに疲れて。休日は外やったりもしますしねぇ。もちろん気持ちはあるんですけど。自分でお料理をし始めて、大変なんやなって分かって来ましたし」
以前は万里子がするのが当たり前の様に思っていたことなのだが、紗奈はお料理部の活動を通じて心境の変化があったのだ。
だが平日は紗奈が帰って来たらほとんどの家事は終わっているし、休日はそもそも家にいないことが多い。雪哉さんとのデートもだし、友人との約束だって入るのだ。
「まぁ……そりゃそうか」
雪哉さんはそれ以上は言わず、一緒に作ったベーコンとレタスのコンソメスープをずずっと飲んだ。
お鍋に沸かしたお湯にコンソメキューブを溶かし、ベーコンとレタスをさっと煮て手軽に作ったものだ。オリーブオイルとお塩とこしょうで味を整えている。これもレシピ本にあったものだ。
シンプルではあるものの口の中をさっぱりとさせてくれる。サラダとどちらにしようかと迷ったのだが、お野菜は火を通した方がたっぷり摂れるという岡薗さんのアドバイスに従ったのだ。
「うん。これも美味しくできてるなぁ。ベーコンの旨味が出とる」
「ありがとうございます」
紗奈も口に含むと、ベーコンの
雪哉さんも喜んでくれた様で良かったと、紗奈は微笑ましくなる。事務所で岡薗さんと
結婚はまだ考えられないが、つい「ええお嫁さんになれるかな」なんて思ってしまう。まだまだ仕事を続けたいが、旦那さまや子どもに美味しい食事を振る舞う未来があるのかも知れない。そのころには目分量で味付けができる様になっているだろうか。
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