閑 話 姉妹喧嘩?

「……さて、と。それじゃあ僕は先にお暇するね。そろそろ帰らないと、夜道は危険だから」


 そう言ってマーリンは席を立つと、ローブを翻してソフィアの自宅から出ていった。


 白く頼もしい背中を見送って、扉の鍵を閉めてからソフィアは呟く。


「マーリン様……」


 その言葉に秘められた感情は、決して本人には伝えられないものだった。


 最初は、単なる神様のような存在だと思った。


 カッコよくて、強くて、それでも偉ぶらないマーリンに、好意のようなものを抱いていた。


 これは淡い初恋。叶わぬものだと知っている。


 だが、デートをしてアクセサリーを貰ったとき、本気で心が苦しくなった。


 マーリンになら、なにをされても嬉しいと思えるくらいの激情が、ソフィアの胸を焦がす。


 本気で好きだった。泣きそうなくらい好きだった。


 しかし、やはり自分は恋愛などできない。


 ソフィアは痛む心臓を抑えながらそう結論を出した。


 理由は単純だ。


 孤児である自分が、神のごときマーリンと結ばれるなどおこがましい。


 そのうえ、ソフィアには絶対に見捨てられない家族がいた。苦しみ、動けない姉がいた。


 だから恋愛に現を抜かす暇はない。


 姉を放って逃げられるはずがない。


 感情と感情のあいだに挟まり、狂いそうなほどの苦痛を味わった。




 ——そんな折、姉に紹介したくて連れてきたマーリンが、ソフィアに告げた。




『もしも、僕がキミのお姉さんの病気を治せるとしたら……どうする?』




 驚いた。ありえないと思った。そのような偶然があるはずがないと内心で叫んだ。


 けれど、あっさりとマーリンは姉エアリーを治してくれた。


 起き上がった姉の顔を見て、とうとう抑えていたあらゆる感情が弾け飛ぶのをソフィアは理解した。


 そこには当然、秘めていたマーリンへの気持ちもある。


「……ソフィア? どうしたの。いつまでも玄関に立って」


 姉がひょっこりと廊下の奥から顔を出す。


「あ……えっと……」


 どう答えようか迷ってしばし考える。


 マーリンが立ち去って寂しかった、なんて恥ずかしくて言えなかった。


 だが、エアリーはソフィアの表情からすべてを読み取る。


「ははーん……なるほど。マーリン様が帰って寂しいのね」


「——ふえっ!? なな、なんで!?」


「なんでわかったのか? そんなの、あなたの顔を見てればわかるわ。ソフィアったら、ものすごく女の子の顔をしてるもの」


「お、おおお女ぁ!?」


「落ち着きなさい」


 激しく狼狽えたるソフィア。


 顔を真っ赤にして足踏みをする。


「でも、珍しい。……というより、懐かしいわね」


「ど、どういうこと?」


「ソフィアは私が倒れてからずっと、そうやって子供らしい振る舞いをしてこなかった。自分を律して、必死に生きていた。それが、私には辛かった」


「お姉ちゃん……」


「マーリン様には感謝してもしきれないわ。こうして、私だけじゃない……ソフィアまで救ってくれたんだから」


 そう言うと姉エアリーは、ソフィアのもとまで向かう。目の前に立って、優しく彼女を抱きしめた。


「これからはお姉ちゃんも頑張ってソフィアを支えるわ。もう、お姉ちゃんに任せてなんて言わない。代わりに、一緒に頑張りましょう? 二人で、ね」


「……うん。うん! そうだね、お姉ちゃん」


 ソフィアのほうも強く姉の体を抱きしめる。


「そうと決まれば、早く体力を戻して冒険者に復帰しないと! いつまでもソフィアにばかり頼っていられないわ!」


「え? お姉ちゃん、冒険者に復帰するの?」


「ええ。私には冒険者稼業はあってたし、それならソフィアとも一緒に行動できるでしょ?」


「あはは……たしかにそうだね。私も嬉しいな」


「あ、そうなるとマーリン様も冒険者だから一緒に行動できるわね……。ふふ、今回はマーリン様の素顔がなかなか見れなかったから、じっくり確認しないと! ソフィア曰く、すごく素敵なんでしょう?」


「え!? だ、ダメだよお姉ちゃん! マーリン様に迷惑をかけちゃ!」


「わかってるわよ。素顔を見れるくらい仲良くなりたいってこと。マーリン様には返せないくらいの恩があるから、私もそれを返していくわ。ええ。この体を捧げる所存ですとも」


「お姉ちゃん!? なに言ってるの!?」


 姉の衝撃発言に、手をどけて後ろに下がる。


 しかし、姉は妖艶な笑みを浮かべて言った。


「だって……あんなに優しくて頼りになる人を見たら、好きになるのは当然じゃない? 命の恩人なのよ?」


「す、好きっ……!? だ、ダメ! マーリン様は……!」


 私の! と言いかけて、ハッと口の動きを止めた。


 正面のエアリーはニヤニヤ笑っている。


「ふふ……。ソフィアってば可愛い。あなたも立派な女になったのね。でも、同じ人を好きになっても平気よ。私はソフィアだったら構わないもの!」


 グッと親指を立てるエアリー。


 ぷるぷると全身を震わせて、ソフィアは叫んだ。




「お、お姉ちゃん————!!」

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