第6話 金曜日

金曜日


 今日の体育の時間は、スポーツ大会本番が目前に迫っていることもあり、大会のチーム同士で練習試合をした。私たちBチームは惨敗。私のせいで敗けたといっても差し支えない。サー ブが打てないわ、簡単なボールも拾えないわ、完全にチームの足を引っ張ってしまった。

 

 試合中阿部さんの怒声が体育館に鳴り響き、ただでさえへたくそな私はさらに委縮してしまった。練習では何とかごまかしていたけど、今回の練習試合でクラス中に醜態をさら した。恥ずかしくてたまらなかった。 試合中ずっと怒鳴っていた阿部さんは、試合が終わってからも私に罵声を浴びせ続けた。


「のろま!」


「あんたのせいで敗けた!」


「反省してるの!?」


 分かっている、自分でせいで敗けたことは、反省も少しはしてるだからそんなに怒鳴らなくてもいいのに。そんなことを思ったところで阿部さんの口は止まらない。


「来週の本番どうするつもりだ!」


「手抜き!」


「勝てなかったらあんたの責任だ!」


 分かってる、だけどわざとやっているわけじゃない。周りにはまじめにやらないで、手 を抜いたように見えるかもしれない、それぐらい無様なプレイだったけど、自分では一生 懸命やったつもりだった。なんでこんなに言われなくちゃならないんだろう。


 目がうるん でいくのが分かった。これ以上何か言われたら私は絶対泣いてしまう。でも、阿部さんは 追い打ちをかけるように、私が一番言ってほしくないことを言った。


「私より背が高いからもっとうまいかと思ったのに、ほんとがっかり。見かけ倒しじゃん」


 また、背のことだ。私は小学生の高学年の頃から急に背が伸びた。それがずっと嫌だった。 怖いし可愛くない。そしてその割に運動が全くできないのも嫌だった。好きで背が高くなったわけじゃない。


「ごめんなさい」


 私は謝った。気が付いたら泣いていた。高校生にもなって、人前なのにぼろぼろと大粒の 涙を流して。恥ずかしい、消えてしまいたい。


「泣けば済むと思ってるの、だいたいあなたは―」


 その時、阿部さんの声を遮った人がいた。


「待ってください!」


 奥城さんだ。体が震えている。怖くてたまらないのだろう。


「阿部さん、高橋さんは真面目にやっていました。朝練だって毎日きちんと来てたじゃな いですか」

「何いってるの、って言うかあんたも人のこといえないくらい下手くそなんだけど」


 やめて、もういいから。このままじゃ奥城さんがターゲットになるだけだ。何言っても通 用する相手じゃないから。私のことはいいからもう黙ってて。でも奥城さんは怯まなかった。


「背が高いからバレーが上手いなんて阿部さんの思い込みじゃないですか! なんですか見 かけ倒しって! 身体的特徴の悪口を言うなんて最低です!」


「うるさい黙れ!」

 

 やめて、そうやって言い返してくれるのは正直嬉しい。だけど阿部さんを怒らせたら何 させるかわからない。阿部さんが奥城さんに近づいてく。今にも殴りかかりそうな行きお いだ。その時だった。


「やめなよ」


 そう言ったのはもちろん私ではない。長い髪を後ろに一つにまとめた女子生徒だった。同じクラスの女子で、確か広川さんと言ったはずだ。彼女はバレー部の部員で、今回の大会で Aチームに入っている。知っていることはそれだけだったけど、どうやら広川さんは私達の 味方らしい。


「阿部、言い過ぎ。ただのスポーツ大会でしょ。そんなにガミガミ怒鳴る必要ある?」


 広川さんは阿部さんを睨んで言う。


「た、大会は大会よ」


 阿部さんはなんとか強がって見せたけど、明らかに動揺している様子。それだけで私達は 二人の力関係が何となくわかってしまった。


「真剣に取り組むのは別にいいけどさ。あんたがやってるのただの素人いびりだよね。そ ういうことする人いるとスゴイ迷惑なんだけど」


「関係ないでしょ! 誰に迷惑なの!?」


「いや、この授業受けてる女子全員。ほら、みんな引いてるよ。あんたがそんなに怒鳴るから 楽しくなくなっちゃったんだよ」


 他の女子達は試合も練習もやめてこっちを見ている。


「うう……」


 阿部さんはもう何も言い返せなくなっていた。


「部の方がうまくいってないからでしょ」


「な……」


「図星でしょ、部の方で今上手くいってないから、こんなスポーツ大会でストレス発散し て―」


「うるさい! あんたに私の気持ちなんてわからないくせに!」


 そう捨て台詞を吐いて、阿部さんはどこかに走って行ってしまった。体育館に何とも言

えない嫌な空気を残して。


 体育の岩村先生は、外に出て行った阿部さんを追いかけて行った。いやいや、もっと早く何とかしてよ、先生。先生が出て行くと同時にみんなそれぞれの持ち場へと戻って練習や試合を続けた。


「ごめんね、うちの部の阿部が迷惑かけて」


広川さんが話しかけてきた。


「あの、ありがとう」


「あ、ありがとうございます」


 とりあえずお礼を言う私と奥城さん。広川さんはさらに話し続けた。


「阿部ってさ、練習熱心なんだけどたまにああやって暴走しちゃうときがあってさ。それ に最近あいつ一年の子にレギュラー取られちゃってすごく焦っていて、すごく機嫌悪いの」


 そういう事情があったのははじめて聞いた。単に張り切っているにしては異常な気合いの入りようだった。っていうか自分の個人的なイライラを素人にぶつけて発散していたのか と思うと、もうむかつくとかそういうのを通り越して、阿部さんがすごくミジメに思えた。


「もうあの子に無茶なこと言われても聞かなくていいから。あ、もう月曜日の大会が終わ ったらチームも解散だからあんまり関係ないか」


 そういって広川さんは自分のチームの方へ去って行く、なんだかかっこいいなあ。


「高橋さん、大丈夫ですか」


奥城さんが心配そうに声をかけてくれた。


「大丈夫だよ。それよりありがとう」


「え?」


「私が阿部さんに色々言われた時庇ってくれて」


「それは……私前に高橋さんに嫌なこといっちゃったから」


「え?」


 なんのことだったっけ?


「『高橋さんは背も高いし、運動もできるんでしょ』って」


 そういえばそんなことを言われた。あの時は正直カッとなって大分取り乱しちゃった。そしたら奥城さんが泣いて謝ったんだ。懐かしい、といってもまだ一週間もたってない。なんだかすごい昔のことのように感じるのに。


「ずっと気にしてたの?」


そう聞くと奥城さんは小さくうなずいた。


「阿部さんに言い返し出したときこっちがびっくりしたよ。奥城さん、阿部さんに殴られ ちゃうんじゃないかって」


「怖かったけど、言わなきゃダメだと思って……」


「ありがとう、奥城さん」


 ひと騒動終わって、ちょうどチャイムが鳴って、体育の時間の終わりを告げた。結局阿 部さんは体育館には戻らず、この日教室にも戻らなかった。


 




 放課後、私は校門の前で奥城さんを待っていた。奥城さんは用事があるそうで、それが 終わるまで待っている。塀にもたれかかって一息つく。


「疲れたな」


  疲れたし、怒られたり泣いたり大変な一日だった。でも悪いことばかりじゃなくて奥城さ んが庇ってくれたり、広川さんが阿部さんにガツンと言ってくれたりと良いこともあった。 あの分なら阿部さんも少しはおとなしくなるだろう。


「あれ?」


 何かが頭に引っかかって声が出てしまった。なんだろう、このもやもやしたものは。


「阿部さんが大人しくなる、か」


 これいいことだよね。いいことのはずだ、だって今まで練習で怒鳴られ続けて、本番で ミスしたらどうしようとずっと不安だったのだから。今回広川さんがガツンとやってくれ たおかげで本番では、今までのように少しのミスでぎゃあぎゃあ言うこともなくなるはず だ。バレーボールの会場は体育館一つだけで何か騒ぎがあれば広川さんもすぐ気づくだろ うから、阿部さんも昨日の今日で下手なことはできないはずだし。


「ようするに無理にスポーツ大会を中止にしなくてもよくなったわけで―」


そこまで考えてから、私はハッとした。


「もう、爆弾を作らなくてもいいってこと?」


 それはつまり今まで買った材料や、作戦会議や、実験も全部無駄になるということ。そ もそも奥城さんの方はどう思っているんだろうか。もしかしたらもう作戦を中止にしたい と思っているのでは。そんな想像をすると止まらなくなる。


「高橋さん」


「うぁ!」


 奥城さんが気が付いたら隣にいた。どうやら用事が済んだらしい。ちょうどいい、聞いてみようか。「これからどうするのか」ということを、いやもっと直接的に「作戦を決行する のか、中止にするのか」と言った方がいいか。


「用事ってなんだったの?」


 私の口から出たのは思っていることとはまるで違う、当たり障りのない言葉だった。私って、駄目だなあ。


 そんな私の気も知らないで、奥城さんは笑って答えた。


「これです」


 そういってポケットから取り出したのはドライバーだった。機械のねじを回す時になんかに使うアレ。


「これがどうしたの?」


  何が言いたいのかさっぱりわからない私に、奥城さんが小さな声で言った。


「これで家庭科室の鍵を壊してきました」


「ええ!?」


「木曜日の昼休みに行ったときは開いてましたけど、家庭科室って朝は閉まってるんです。 今日、朝練の後に行ってみたら、閉まってて。だから壊してきました。あ、壊すといっても金具をちょっとはずすだけでしたから簡単でしたよ。それもドアの方じゃなくて窓の鍵 です。家庭科室の廊下側の一番後ろの窓を。ドアの鍵より目立たないし、誰かに気づかれ てもまあ何かのはずみで壊れたんだと思うんじゃないでしょうか」


 奥城さんのあまりにも大胆な行動に驚いて、そもそもそんなところまで頭が回っていな かった自分の浅はかさにあきれた。また、このことで奥城さんの決意の固さを知ることができた。わざわざ家庭科室の鍵を壊すぐらいの危険を冒したのだから、奥城さんは作戦を 中止する気などさらさらなかったのだ。


「奥城さんすごい!」


「そんなことないよ」


「ううん、すごいよ!」


 思わず奥城さんの手を握って言った。


「絶対、絶対に作戦成功させようね」


「はい」


 奥城さんは決心している、少しでも疑った私がバカだった。そうこうしているうちに、 気が付いたらもうすぐバスの時間。私たちはバス停に向かって走り出した。


 バスから降りて、いつものように奥城さんの家に向かう。今日も地下室、ではなく二階 の奥城さんの部屋で作戦会議。今日は奥城さんのお母さんが早めに仕事から帰ってくるそ うなので、念のため。作戦会議といっても本番当日どう動くかと言う軽い打ち合わせだけ なので、あまり話すことはない。


「明日は土曜日だけどどうする?」


「それが、明日は実験できそうにないんです」


 奥城さんのお母さんが、明日久しぶりに休みで家にいるから、だそうだ。奥城さんのお 母さんは普段仕事が忙しくて、家に帰らない日もあるし、土日もしばしば出勤しているら しい。


「じゃあ、明日は実験は無理だね」


「すみません、最終テストは日曜日にしましょう。日用意の朝十時くらいから」


「そうしよう。ふぁ……」


 あくびが出た、眠い。今日はいろいろあって疲れたからだろうか。


「眠いなら、少し横になります?」


「うん、そうさせてもらう。ありがとう」


 そうして、床にごろんと横なって、まぶたを閉じるとすぐに意識を失った。


 私は、玄関のインターフォンの音で目を覚ました。ハッとして時計を見てみると、もう 20時を過ぎていた。


「ごめん、寝すぎた!」


 でも、部屋に奥城さんはいなかった。部屋を見回していると、なんだか一階の方から話 し声が聞こえてきた。その声につられて、私も一階に下りると、玄関で奥城さんともう一 人見知らぬ女性か話していた。


「あ、高橋さん。起きたんですか」


  私に気づいた奥城さんが、いつもより明るい口調で、話かけてきた。


「あなたが高橋さんね。いつもお世話になってます。鈴の母です」


「い、いやこちらこそいつも鈴さんにはお世話になりっぱなしで……」


 突然の母親登場にあたふたした。そんな私の様子を見て奥城さんのママはフフッと笑った。


「優しそうな子でよかった。この子あまり友達を家に連れてきたりしないから、心配だっ たけど、素敵な友達ができてよかった」


 お世辞でも素敵な友達なんて言われると、なんだか照れてしまう。 素敵な友達どころかお宅の娘さんを悪の道に導いているテロの共犯者なのだけれど。奥城さんのママに対して申し訳ない気持ちになった。


「私帰ります、お邪魔しました」


「あ、高橋さん」


私が帰ろうとすると奥城さんのママは呼び止めて言った。


「高橋さん、いつまでも鈴と友達でいてあげてね」


「……はい」


 そんなお願いに小さく返事して私は奥城家を後にした。


「友達か」


 帰りながらふと考える。私と奥城さんって友達だよね。お互いに確かめ合ったわけじゃ ないけれど。


「でも、単なる友達っていうのもなんか違うような」 


 友達っていう決まった枠組みにはめてしまうには惜しいような、そんな特別な存在な気 がする。また、いろいろ考えているとケータイが鳴った。


「奥城さんからかな」


と思ったけど違った。私の母親からの電話だった。


「しまった、今日遅くなるって言ってなかった。急いで帰ろう!」


 電話にも出ずに、私は駆け出した。走りながらふと気づいたことがある。


「そういえば、私って奥城さんのケータイの番号も知らないな」


 そんなことを考えながら私は自宅へと急いだ。

 

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