世間とのギャップ

 最近、作品の中に私の体験談といいますか、こんな人がいるんだよ、という意味でキャラクターを登場させています。

 話の通じない人間だったり、我が儘娘さんだったり……。


 そのどれもが私にとっては普通のことで、数年単位で現れる、厄介な人たちなんです。

 あと、身内にいることもしばしば……。


 有り難いことにいただく感想は、凄いですね、という内容ばかり。実は私の中では、世間とのギャップを感じて、逆に驚かされています。

 先ほども書いたように、私にとっては普通のこと。

 幼い頃から、母から身内の話を聞き、祖父母の過干渉と過保護に悩まされ、世間様には恵まれていると揶揄され……。

 いかにそれが違うんだ、と声を大にして言ってきました。

 あまりにも話を理解してもらえないために。


 それは私の言葉が悪かったんだと、今では思っています。

 気持ちの整理ができないために主張するだけして、ひたすら「私は被害者だ」と訴えていては、相手も理解できません。


 作品を通して、順序良く説明をすれば、こんなにも分かってもらえるんだと言うことに気がつきました。あと、私の心の整理にも、効果があって良かったと思っています。


 着実に、私が一番書きたかったものへ、近づいているところも含めて。


 本来私は、シリアスものが得意なのですが、昨今はコメディ色の強い作品が人気なんですよね。

 流行りものの中でも、上位の作品を見ると、つよつよの主人公が物理で解決する系。

 言葉よりもバトル。


 ……暴力を振るうのは、動物のやることなのよ。アレは人間じゃないの。お猿さんなのよ。

 と母に教えられてきた私からすると、とても難しい案件でした。


 実際、戦争でもそうですよね。

「アレは人間のやることじゃない」と、よく聞きます。


 そのせいか、我が家は言葉社会。

 屁理屈なんて日常茶飯事。

 小学生の時、先生に怒られるまで、屁理屈を言っていた自覚すらないほどでした。

 後に母に言ったら「そんなの、散々言われてたわよ。それくらいないと社会では生きていけないんだから」と一蹴。

 一応、気をつけるか、程度に収めました。


 とまぁ、そんな感じでバトルものは難しいという話です。

 舌戦や言葉だけで戦う作品の方が性に合っているのかな、と改めて思いました。


 最近は、後宮ものも流行っていますね。

 中華ファンタジーはまだまだ勉強が足りないので、平安時代を舞台にした後宮のものなんて書いてみたいです。

 あと、シンデレラストーリーも。

 こちらは、なかなかうまくいかないので、再チャレンジしてみます。

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