見た光景と表現した光景

 何のこと? と思うようなサブタイトルですよね。

 様々な作品を閲覧していると、色々な感想を見かけます。

 その中に、綺麗な描写、美しい描写、目に浮かぶようだ。そんな感想を読むんですが、私にはピンとこなかったんです。

 いえ、これはアンチというわけではありません。ただ単に、認識の違いなのかな、というお話です。


 私にとって美しくて綺麗な文章とは、三島由紀夫先生の『潮騒』なんです。

 大学生の時に、私も結構読んだから、そろそろ三島先生の作品に挑んでみたい! そう思って母に相談しました。

 その時に薦められたのが『潮騒』です。


 三島先生というフィルターもあったんだと思います。けれど、それがなくても衝撃でした。

 日本語ってこんなに綺麗なものだったの? そう思えるような文章でした。

 けれど当時の私は、語彙力と理解が足りず、何故そう思うのか分かりませんでした。


 薦めてくれた母にも、「何これ。何でこんなに綺麗なの? 上手く言えないんだけど、とにかく綺麗!」という訳も分からないことを連呼していました。


 そこから数十年。謎は解明されず、時は流れたわけですが……。最近、ある作品を読んで分かったんです。

 周りが綺麗だと言っているのは、その情景を表現している文章。つまり、映像。


 私が感じた三島先生の文章は、その光景を見て、自分が感じた感情をそのまま文章にしているんです。

 何が言いたいのかというと、説明というより感想に近いのかなっと。

 目の前に広がる光景を一旦自分の中に入れて、言葉を選び、たとえる。その言葉選びが凄すぎて。


 さらにその文章は、一切飾り立てません。美しい言葉や表現は使わず、純粋に表現するんです。

 文法がなっていない私には、そこら辺の説明はできませんが、それもあるのでしょう。

 やはりうまく説明できていない気がします。


 私はこのイメージを壊したくないので、『潮騒』以外の作品は読んでいません。

 母の本棚に『豊穣の海』がありますが、残念ながら……薦められないといわれました。

 それに近い作品がありましたら、教えていただけると嬉しいです。他にも読みたいんですが、ちょっと怖くて。

 母もすべて読んでいるわけはありませんし、家にもその二作品しかないんです。

 母の実家に『金閣寺』があるんですが……祖父とは縁を切ったので……。


 私は着飾らなくてもいい、そんな綺麗な文章を書けるようになりたいです。未だ成長できず、目標は遠いまま。

 恐らく一生辿り着けないのだろう、と思っています。

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