<ID/ntify- アイデンティファイ>

未定

第1話




 第一章




 ぼくは自分のことをいたって普通の人間だと自認しているのだけれども、どうやら、ぼくの感覚は狂っていて、もしかしたら普通の人間ではないのかもしれないと初めて自覚したのは小学生のころだった。

 ぼくという人間はいわゆるマセガキで幼いころから大人を困らせる質問をたくさんしてきた。どうして地球は丸いの? どうして宇宙は暗いの? どうしてモノは落ちるの? どうして空を飛べるの? だが、なかでも強烈だったのは、どうして、ぼくたちは生きているの? だったらしい。

 どうして、ぼくらは生きてるのか? ぼくも、いまだに自分の質問に答えることができずにいる。いや、ぼくが幼いころなら、心臓が動いているから、とか、モノを考えているから、とかそういったことをいっていた記憶があるのだけれども、成長して大人になってからは大人たちと同じく答えることができなくなってしまったのだ。たぶん、大人になってしまったせいで、たくさんものがみえるようになってしまったからだと思う。

 どうして、ぼくらは生きているのか? その問いに、ぼくは、いまでも答えることができずにいる。だから、ぼくは人生ではじめてぶち当たった疑問を人生の命題と銘打って頭蓋骨のなかに、ときどき浮かんでくる人生の命題について、ぼくは考えることにした。

 その命題はシャワーを浴びているときやベッドに入ったときなどに浮かんできて、ふたたび答えがみつからずに沈んでいく。たまにいいところまで思考が伸びることもあるけれども、そんなときは決まって、どこかに矛盾が生まれて深淵の底に滑落してしまうから途中であきらめることになるのだ。

 だから、ぼくは今まで自分の答えをみつけることができずにいたのである。だが、しかし人生の命題は一つのみではない。当然、ほかにもあって、もう一つの人生の命題は人生の選択肢といった問題だった。すなわち、ぼくが人生のなかで具体的に、なにをするのかといったことである。

 その答えは意外なほど簡単に出た。なぜなら、ぼくは大学を卒業し人生の選択として警察官になったからだ。どうして警察官なのか? といった問いに対する答えも意外とシンプルに出た。ぼくに犯罪の才能があったからである。なぜなら、ぼくは犯罪がみえたからだ。

 ――ぼくの経験からいって、「犯罪がみえる」なんていったら不思議な人間だと思われ煙たがれるオチを知っているし、ぼくはいたって普通の人間であると自認しているから口には出さないけれども、「犯罪がみえる」とは、ぼくにとって犯罪が視覚的にみえる訳ではない――

 ぼくは犯罪者の思考がわかったのである。ぼくなら、こうする。ぼくだったら、こうやる。そんなことがわかってしまう。きっと人生のあれやこれや、そんな難問について考えてきたことが、ほかの人間の思考を読み取れる方向に作用したのではないかなと思っている。本当のところは自分でもわからないが……

 だから、そんな風に、ぼくは犯罪者の思考を読むことができたので警察官として、たくさんの犯罪者を捕まえることができた。だいたいはパトロールで『たまたま』出会った自転車泥棒とか空き巣など。でも、ときどき指名手配されている凶悪犯とも偶然、遭遇することがあったから(本当にたまたまだ)、運は良かったと思う。

 そして、それから、ぼくが警察官として歩んできた人生のなかで転機が訪れたのは警察官人生三年目の春だった。もっと詳しくいえば、ぼくが巡査部長になるための昇進試験に向かって受験勉強をしていたときである。ぼくの上司である地域課長が肩を叩いたのだった。刑事にならないか? ってね。

 どうやら、ぼくのことを見込んでくれた刑事課の何某がいたらしい。そして、そんな刑事課の何某が、ぼくのことを引っぱってくれることになったらしいのだ。その何某が誰かはわからない。だけれども、ぼくにとって刑事になるという決断は確実に人生を変える決断になったと思わずにはいられなかった。

 ぼくは思った以上にマジメに試験を受けて合格し捜査講習に参加した。ぼくの成績は程ほどで、いい訳でもなくわるいい訳でもなく目立たない中間くらいだったけれども落第せずに卒業することができた。もしかしたら自分でも思った以上に刑事という職に憧れがあったのかもしれない。

 そして転属である。辞令が下ったのは、すぐ後だった。それは捜査講習から戻った翌日の午後のことで、ぼくは課長に呼び出され、そこで初めて新しい職場への転属を命令されたのだ。警視庁東京新島警察署刑事課強行犯係。それが、ぼくの新しい職場の名前だった。

『坂上正義巡査長。新島警察署刑事課へ転属を命ずる。以上』

 ぼくの門出にみせた課長の誇らしい表情が、いまでも頭の片隅に浮かんでは消えていく。

『警視庁 巡査長巡査 坂上正義 識別番号WA三〇八』ぼくの新しい身分であって、ぼくの新しい番号だった。ぼくらは警察官としてだけではなくとも個人番号を割り振られ日常的にナンバリングされた規格品としてあつかわれる。識別番号を調べれば製造元も製造過程もスペックも全てわかるアンドロイドみたいに、ぼくは生きている。

 それから、ぼくは新島警察署について調べた。シティ東京新島市新島区三丁目三番地一号、警視庁東京新島警察署二階刑事課強行犯係。警視庁のネットから検索しなくてもプライベートアカウントのAIが答えを出してくれた。

 警察署があるシティ東京は東京湾を開拓し埋め立て作った島、または陸地のことだ。木更津・川崎ラインを南端にして千葉の幕張それから旧江戸川や、副都心まで広がる東京湾の洋上に巨大なメガフロートを浮かべるウルトラプロジェクト、それによって完成した巨大人工島のことだった。そして新島署というのはシティ東京の北西部に位置する旧江戸川沖人工島に設置された警察署らしい。らしい、というのは新島署が二日前に完成し開署したからだった。すなわち情報がないのである。

 ただシティ東京といった単語は、ぼくらにとってなじみ深いものだった。なぜなら生まれたこの方、ぼくらはシティ東京といった単語に囲まれて生きてきたからだった。大人たちがたくさん話しているのを聞いていたし当然学校でも習ったし高校受験や大学受験で必ず出題されるし、いろいろなところでシティ東京の存在意義や用途について議論がなされてきたからだった。

 なぜならシティ東京が、ある種の特区だったからだった。それは治安特区、いわゆる大企業の本社やこじゃれたセレブ、オオモノ政治家なんかのために犯罪が起こらない都市をつくるべく過激な流入制限や治安維持、そして所得によって居住許可なんかを設定した日本のマンハッタンと呼ばれる都市だったからだ。

 だから、ぼくは自分の天才を活かす機会がないと思った。数年間はヒマな生活になりそうだと思った。たくさんの犯罪に囲まれた生活はできないと思った。でも、だからといって、ぼくの天才が平和な街で錆びつくとは思えなかった。なぜなら、ぼくの犯罪に対する嗅覚は天性のもので、たかだか数年のぬるま湯生活にひたっただけでバカになるものではないと思ったからだ。もしも、ぼくの天才がバカになることがあるならば、きっと、ぼくが警察官ではなくなったときに違いない。

 そういうわけで、ぼくはいく。混沌ではなく整然が支配する街へ。混乱が渦巻く世界から平和な世界へ。でも数年したら、ぼくは混乱のなかに戻るのだ。明確な根拠はないけれども、ぼくらの街の混沌や混乱が、ぼくを呼んでいる気がしたからだ。だから、ぼくは次に古巣へ戻ることが楽しみになってくる。

 そして、ぼくが新しい街に入ったのは、その日のうち――十二月十八日の夕方のことだった。だから、ぼくは転属の辞令が下ってから残っていた業務を早急に終わらせながら簡単な挨拶を済ませて送迎会もなしに引っ越しの準備にかからなければならなかったのである。

 ただ、そうはいっても夜になってしまったら引っ越し業者なんかあいてないから、大きな段ボールの類いは明日以降に取りにくるほかはなかった。それに年がら年中家をあけている仕事柄、ほとんど私物もなかったので、明日から必要になるほどの荷物を大きめのバックパックとキャリーケースに詰め込んで電車にのった。そのキャリーケースにはユニフォームになる私服が入っている。ただ、ぼくの制服は収める余裕がなかったから制服を着たまま移動することになった。

 だから、ぼくは警察官というIDをさらしながら防御の武装もなく電車にのっていた。

 こんな服装なら、いつ襲われても文句はいえない。しかしながら、現在、ぼくの身を守る武器といえば自分の拳くらいで拳銃もなくテーザーもない。いつも下げている警棒もカンピンであるから返してきた。よって本当に一般人と変わらないステータスで、ぼくは電車にのっていた。

 ぼくのほかに車両には数名の人間と数名のアンドロイドがのっている。まるで人間みたいなツラをして人工知能で活動し人間のマネをする機械たちだ。どこまでも人間のマネしかできないのに、その辺の人間より頭のいい機械たちだ。そんな彼らや彼女らも人間と同じ権利を認められて人間と同じ生活を送っている。

 ぼくは古典映画で、そんな光景をみたことがあった。いや実際には映画のなかで出たアンドロイドたちは、いかにも機械っぽくて人工皮革や超小型スパコンなんて搭載していないシロモノだったけれども人間と共存しているみたいにみえた。しかし、いまは、どうだろう?

 たいしかに一見すれば共存している。だが、それは、どこか不健全で共依存な関係にみえた。なぜかはわからない。どうしてかっていわれても日常過ぎて気がつけないからだ。

 だから、ぼくはじっと目を凝らして風景をみた。車両のなかにではなく車両の外に答えがあると思ったからだ。ぼくの表情がガラスに反射しているのがみえる。ぼくの顔を通した先には湾岸アクアブリッジの境界線が光っていた。東京本土とシティ東京との間にある境界線である。

 本土もシティ東京も、どちらもきらびやかなLEDやネオンの光で満ちている。でも、その間にあるのは暗い東京湾の水底だった。本土の湾岸線といえば八十年代から入国してきた戦争移民や地方の貧困者がつくった劣悪なスラムが形成されているが、しかしシティ東京の方は湾岸エリアでも高いビルが立ちならんでいて最新の都市といった様相を堂々みせている。そして島の中央には高い塔がみえた。街のランドマーク、東京シティスカイである。世界最大の高さを誇示する電波塔で建設途中の電波塔だ。

 こうして東京湾を挟んで数十メートル離れるだけで明確な差が出るような現実が待っていた。いまでは教科書にのっていた『平和な日本』は遠い昔に消滅していて、ぼくの後ろの廃退の空気や、ぼくの前の前衛の空気が渦巻いているのを現実に直視した瞬間だった。

 そして、ぼくが警視庁第十一方面の独身寮に到着したのは二十二時を回ったくらいだった。門前にはバイクが置いてあった。どうやら、ぼくの愛車の方が、いくぶんか早かったらしい。

 コイツは、ぼくが学生だったころから相棒をしてもらっているリッターSSである。ずいぶん同じ時間を過ごして、なんとしても離したくない相棒だから前にいた署の交通機動隊に無理いって持ってきてもらったものだ。つや消しボディが夜露でぬれていて冷たく光っている。そんなこんなで、ぼくの移動は終わった。前の街に比べて空気が澄んでいるのがわかる。新しい街で新しい事件が待っていた。



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