1章 魔に踏み入る3

「っ、ああっくぅぅ」


大きく伸びをすると身体の芯に詰まった疲労が溶け出して皮膚から空へと溶けている気がする。


ククナは公園備え付けの長椅子にどっかりと腰を据えると背にもたれて宙を仰いだ。


 雲一つない快晴だ。公園は広く、また周囲の建物も景観を意識してか背が低い。遮ることのない陽光はかといって張り切ることもなく、温い風がほどよく身体を撫でる。拡がる芝に季節の花が香りを散らし、目を閉じると遠乗りにでも出かけたような爽やかな気分に浸れる。心地のいい陽気に釣られてか他にも公園を歩く姿は多い。


趣味のない人間としては余暇や隙間の時間をどう潰すかは命題といってもいいが、ククナの過ごし方と言えばもっぱら散歩か昼寝だ。趣味と言えるほど前向きに取り組んでいるわけではなく、ただなんとなくそうしているだけだ。生まれついてから各地を転々としていることを併せると前世では猫だったのかもしれない。


「待ち合わせ?」


 昼も迎えぬ内から寝てしまおうかと船をこぎ始めた頃、耳朶を打つ凜とした声。


 下がっていた瞼を開けると昨日の少女。都市伝説が目の前で憮然とした顔を向けていた。


「あー、いや……。散歩してたら、うとうとしてな……」


 ガノの白い髪は日に当てられ輝いており、眠気眼には眩しくて目を細める。


「働いてないの?」


 正面から訊かれると微妙な立場だ。収入こそ多いが賭け試合の拳闘士は職業とは言い難い。胴元と繋がって賭け金の相場操作の為に勝ち星を売っているが正式に雇われた訳でもない。向こうにしても都合の良い駒の一つ程度にしか思ってはいないだろう。


「まあ、いいけど」


 それほど興味もないのかあっさりとした態度でガノは隣に腰掛けた。


 肩が触れ合いそうな距離感で座る姿に一切の物怖じはない。上背が高く目付きも悪いククナは初対面の人間から大抵警戒される。特に子供のように幼く正直な存在からは目に見えて怯えられる。裏路地でたむろするような連中もククナへ絡むことはそうそうしないくらいだ。その点ガノはやはり魔術師としての実力の高さがあるからだろうか、小さな身体に力みはなさそうだった。


「俺に用か?」


「ええ、勧誘よ」


「俺は宗教に興味はない」


「私もよ」


 足を組み、昨日と同様容姿にそぐわぬ尊大な態度で告げた。


 十歳は離れているだろう少女の物言いに一々目くじらを立てることもないが、二度寝を邪魔されるのはおもしろくない。


「昨日の件を改めて話したいと思って来たの」


「断っただろ。呪いだとか言われても俺にはやりようがない。他をあたってくれ」


 手に入らなかった金貨は惜しいが、これが誠意だろう。いくら自分の利益のためとはいえ下手な期待をさせることはしたくない。


「ここは大陸でも一番栄えた街だ。いくら女神の魔術師とやらが珍しいとはいえ、他に一人もいないってことはないだろ?」


「調べた限りだと他には三人いるわ。けど、一人は教会所属で現在は巡礼の旅に出てる。残りはどちらも有力貴族が個人的に雇っていたわ。囲い込みが凄くて接触さえできなかった」


 そこで才能がありながらも市井に放逐される男へ会いに来た訳か。だが、その才能も芽吹いていないのだからどうしようもないだろう。


「だからって俺か? お前は世界でも指折りの魔術師だって聞いたが自分じゃどうにもできないのか?」


「女神の魔術は他の魔術と違って望んで得られるものや学べるものじゃないの。完全に才能へ依存する。あるかないかの世界。残念ながら私がどれほどの使い手だろうとまったく関係ないのよ」


 そんなことを聞かされてもな。とククナは押し黙った。


「だから改めて勧誘に来たのよ」


 口調は力強いが結局はあてがなくて会いに来たのか。


 腕を組んで正面を見据える。子供が芝の上を走って転び、親が駆け寄っている。子供は笑って起き上がり心配そうな親を余所にまた駆けていく。


 そこでなんとなく頭にひっかかった言葉が口から漏れた。


「ちょっと待て、勧誘って?」


 昨日は金銭と引き換えの依頼だったはずだが勧誘とはどういうことだろう。


 ところによっては二つの意味が似通うことはあるだろうが、この場合は即していない気がする。外見的特徴から言ってガノは遙か遠くの言語圏からやってきたとも考えられる。その場合異国の言葉の機微がわからずに使用しているのかもしれない。そんなククナの懸念は次の一言で瓦解した。


「私の弟子になりなさい」


「弟子って……」


 思わず半笑い。ガノの提案を馬鹿にしたわけではないが、大の大人が歳も上背も遙かに小さい少女からぶつけられた言葉の突拍子のなさに困惑するしかなかった。


「悪い話じゃないでしょ。私があなたを魔術師として鍛えて、女神の魔術が十全に扱えるようにしてあげる」


「その上で解呪をさせるってことか……」


 曖昧に頷くが、たしかに悪い話ではないのかもしれない。


 女神の魔術の希少性とさきほどの貴族に直接雇われているという言葉を加味すれば、これは過去に失った大きく稼ぐ機会だ。


「その後はどうする?」


「どうもなにもないわ。解呪が終わったならあなたは用済み」


「殺すってことか?」


「ないわよ。二流小説に出てくる三流悪党じゃあるまいし」


 半分冗談なのだが、思い切り呆れた顔を向けられた。


「危険性のない魔術なのだし好きに利用して生きればいいってだけ」


 細められた紫色の視線を躱して頭を掻く。


ガノの言葉通り女神の魔術を自由自在にまで操れるならこれほどの武器はない。元手も道具も必要なく人を癒やせる魔術だ。どこへ行こうと必要とされるし、幾ら出しても雇いたい人間は多い。汗臭い男どもと地下で殴り合いをする何倍も安全に、そして何十倍も稼げるはずだ。


「確かに悪くないかもな」


「そうでしょ」


 脈がありそうな返事にガノは不敵に笑った。やはり少女らしからぬ笑みだが、なんとなく堂に入っている。産まれた時からこの少女はこういった笑いをしていたのかもしれないと感じさせる笑い方だ。


「あなたの今までの生き方を大きく変える決断になるはずよ。この場ですぐに返事を欲しいとは言わないわ」


 そう言ってガノは立ち上がり、見せつけるかのようにして白い巻き毛を払った。


「明日までに考えておいて」


 それも性急なのではと口を挟もうかと思ったが、ガノはもはや用はないとばかりにさっさと公園内を歩いていった。ククナはなんとなくその小さな背中を見送りながら、力のある魔術師でも歩いて移動するのかとどうでもいい感想が湧いていた。


「すごーい。やっぱり本物だ!」


 ガノが完全に公園から姿を消すのを待ってから腰を浮かせたところで肩を掴まれた。


「ダフネ?」


「ねぇねぇ何話してたの?」


 どうやら離れたところから観察していたらしいダフネがいた。憧れの劇俳優にでもあった乙女のように感激している。


「待ち合わせ? 昨日の続き? 依頼を受けるの? 別の話? まさか告白じゃないよね?」


 ダフネの口が止まらない。言葉の猛打と圧に仰け反るも逃がさないと言わんばかりに顔が寄せられる。


「関係ないだろ」


「そんなこと言わないで教えてよー」


 突き放すも五歳児のような口調で身体を揺すられる。


 絡みつく手を振り切って公園から脱するもダフネは当然のようにくっ付いてきた。


「なんだよ。お前仕事はどうしたんだよ」


「早めのお昼休憩だよ。せっかくだから一緒に食べようよ」


 わざとらしくしなだれかかり、上目遣いをしてくるダフネに呆れながらも振りほどくことはしない。


「近くに美味しい麺料理屋があるんだ。仕方ないから奢ってあげる」


「話を訊きたいだけだろ……」


 溜息を一つ溢す。それを了解と取ったのかダフネは笑顔を咲かせて腕を組んできた。


 本当に人懐っこい女だと思う。明るく笑い簡単に身体を寄せてくる。生来の気質なのか他人との距離感が随分と近い。顔立ちもなかなか可愛らしいことを鑑みると、おそらく多くの男に無駄な希望を抱かせたことだろう。経験の薄い子供などは特に勘違いを生みそうだ。魔術師としては凡庸の域にすら達しないそうだが、女としては恐ろしい能力をもっているのかもしれない。


「そういえばこうして二人きりでお昼を食べるのってなかったねー」


 ダフネに引き摺られた店は目抜き通りから外れた小道にあった。昼食には早いがそれでも席の半数は埋まっている。昼時になれば満席になるだろう。どうやらダフネの言うとおり評判がいいらしい。


「そういえばそうだな」


 注文を終えて頬杖をつくダフネを振り返る。


 確かにこうしたことは初めてかもしれない。いつも決まった店に飲みに行き顔を合わせたら一緒の時間を過ごすことが多い。それ以外ではほとんど時間を共有した覚えがなかった。示し合わせてどこかで遊んだり出かけたこともない。偶然、街中で遭遇しても大概はどちらかが用事の最中で簡単に言葉を交わして終わることがほとんど。数年来の友人ではあるが酒のない普通の昼食に妙な新鮮さを覚える。


「んーん」


「どうした?」


「思い返せば今までククナ君が見てきた私って大部分が酔っ払ってたってことだよね……」


「お互い酒場でしか顔を見ないしな」


「なんかちょっと自己嫌悪。そして緊張してます」


 初対面で吐かれたことを思えば素面程度でいまさら何をという気持ちだが口にしない。沈黙が花だ。


「ククナ君って意外と綺麗な眼をしてるんだね。なんだかどきどきしてきた。吸い込まれそう……」


 まさか本当に緊張しているのか、それとも笑わせようとしているのかダフネが目を見開いて顔を寄せてきたので額を叩く。


「冗談じゃんかー」


「話を聞きたいんだろ」


「うん!」


 赤くなった額をさするダフネの顔が輝く。何がそんなに楽しいのかと思うが、同業の中でも伝説と唱われる魔術師とやらが身近にやってくれば興味も湧くかと納得する。


 別に隠す必要もないので端的に公園内のことを話す。極めて簡潔で味気ない報告のような語り口だったがダフネは黙って聞いていた。


「弟子かー……」


 最後まで話すとどこか力なさげにダフネは呟いた。先程まで喜色満面だったのが嘘のように真面目な顔をしている。


「ククナ君はその話を受けるつもり?」


「そりゃ受けるだろ」


 即答する。ガノは時間をくれたが、すでに心は決めていた。


「弟子になって魔術を習得すれば今よりもずっと稼げるようになる」


 今の仕事は金払いがいいが先がない。肉体的な限界や違法賭博の摘発。理由がどれになるかはわからないがいずれはできなくなる。そう考えていた中これは降って湧いた大きな機会だ。断る理由がない。


「具体的な条件は訊いていないが、弟子となると一日中修行でもさせられんのかね? お前らと飲む時間も減っちまうな」


 背もたれに体重をかけて無精髭を撫でる。これから始まる弟子生活がどうなるかはわからない。やはり心の内では舞い上がっていたらしい。詳しい条件を話すこともなく心では決定事項となっていた。まあ、将来へのことを考えるなら多少無茶な条件も呑むつもりではいるが。


「その内、魔術連盟とやらにも世話になるかもな」


 予想だにしなかった未来への希望からにやつきを抑えきれずに口の端を曲げる。


 そんなククナの回答が気に入らないのかダフネは不服そうに「ふーん」と一言。


「なんだよ?」


「べっつにー」


 妙な態度を突っ込むと素気なく躱され、さっきのお返しとばかりに額を叩かれた。


「なんだよ……?」


いつも饒舌なダフネにしては珍しく、そこから料理が運ばれてくるまで黙っていた。どうも何かが気に障ったらしい。


「拳闘試合って儲からないの?」


 皿の上が半分なくなる頃になってダフネがようやく口を開いた。


「微妙だな。基本的に勝者には金貨一枚。負けたやつがもらえるのは罵声くらいだ。高額の賞金がかかった大会もたまに開かれてるが拳闘だけで食えていけるやつはほんの一握りだ」


「じゃあ、生活できてるククナ君も強いんだ?」


 ククナの勝ち星は多くも少なくもない常連客からすれば中堅どころといった評価をされている。だが勝敗の大部分は胴元に指示された台本の結果なので、実際にククナの実力を測れている人物がいるかは疑問だ。


「ま、そこそこだな」


適当な謙遜をするがククナからすれば相手の強さを意識することは極めて稀だ。


昔から頑丈で力も強く怪我の治りも人一倍早い。自分以外の拳闘士は参加するにあたって身体を鍛えるがククナは必要性を感じたことがなかった。どうやら自分は野生の獅子のように最初から強者として産まれついたらしい。血筋に特別なものはなく父母はともにどこにでもいる普通の人間。そこから偶然か奇跡か神の寵愛もしくは依怙贔屓によって形作られた肉体。超人といえるほど大げさなものではない。けれど真面目くさった顔で一流の戦士を自称する男の拳を躱すのも、分厚く膨らんだ筋肉の鎧を打ち崩すのもククナにとっては苦もなく出来る。


だからこそ勝敗を自由に作れる八百長拳闘士として重宝されているのだ。


「どのぐらい儲かるの?」


「素面で生々しい金の話をしたいのか?」


「いいじゃん。教えてよ」


 皿の中身をいじりながらダフネはにこやか。どうやら機嫌は直ったらしい。金の話で機嫌を直すのもどうかと思うが、また黙りこくられても調子が狂うので素直に言うことにする。


「去年は金貨七六二枚に銀貨が九七枚だ。確かな」


「私の倍は稼いでるじゃん!」


 脳天から抜けるような甲高い声がダフネから飛び出す。他の客の視線が集まって実に居心地が悪い。


「去年は臨時収入も多かったから……」


「それなのにまだ稼ぎ足りないの?」


「まあな」


「なにか欲しいものでもあるの?」


 当然の疑問に少し硬直する。


けれど答えは決まっていた。


「別にねえよ」


 上手い返答ではなかったと言ってから後悔する。


 当然ダフネは納得していないようだったが、ククナが醸す触れて欲しくないという雰囲気を嗅ぎ分けて踏み込むことはしなかった。こういった聡い部分は一緒にいて楽な理由の一つだ。


「ごめんね、ククナ君。結局ご馳走してもらっちゃって」


「ま、昨日は出してもらったからな」


 その後は金の話から仕事の話に変わり、最後はどうでもいい噂話が盛り上がり始めた頃に客入りが増え、店を後にした。


 店先で手を振るダフネを置いて石畳を鳴らす。街中は昼時だけに人が多く行き交っていた。それぞれがそれぞれの目的で動き回る様は、蟻の行列に水滴を落としたかのような乱雑さと無秩序さでどこか鬱陶しい。身勝手な感想を抱きながらククナもまた蟻の一匹として道の隅で歩みを進める。


「……」


欲しいものはない。


嘘偽りない言葉だった。


一等地に建つ豪邸にも贅をこらした美食にも国宝級と囁かれる芸術品の蒐集にも興味はない。貴族しか相手にしない高級娼婦や一生を夢の世界で過ごせるらしい違法薬物も関心の外だ。


いわゆる大金がかかる暮らしや趣味がククナの心を惹くことはなかった。


それでも金庫に金を貯め込むのはもっと原始的で単純な理由でしかない。もっともそれをダフネに語るつもりなどないが。

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