第9話

 悠月はつかんでいたドーナッツをお皿の上に戻すと、白い指を絡めていた。目線が少し泳いでいる。

 もしかすると、アイドル活動を休止した理由と同じで話せないのかもしれない。だとしたら私はまた無理に彼女から聞き出そうとしてしまったことになる。


「ごめん、言いたくなかったら無理に話さなくていいからね」

「う、ううん……そうじゃなくて実は、ほら、わたしのこと継ちゃんに知られちゃったでしょ?」

「えっと、悠月さんが私のファンで、いつも野球帽被って変装して応援に来てくれてたこと?」

「そ、それ……完全にわたしのこと認識されちゃってるじゃん」


 悠月の顔が、大きな丸いレンズに隠れきれないくらい赤くなった。


「え? ……そりゃ認識はしたけど、でも私ファン少ないし、元々野球帽の人も記憶に残ってたよ?」

「違うのっ!! 記憶にただうっすら残っているのと、あ、この人だって意識して覚えられるのは違うのっ!!」

「それはそうかもだけど?」

「推しに覚えられるなんてっ!! すごく光栄だし嬉しいけど、同時に推しの意識の中にわたしがいるって思ったらすっごく恥ずかしくなっちゃったんだもんっ!!」


 この前の喫茶店と違って、ちらほらお客さんがいるからあまり大きな声をださないでほしい。私は悠月をなだめるように、どうどうと手を出した。


「……よくわからないけど、それって恥ずかしいの?」

「恥ずかしいよっ!! だって……その、継ちゃんがわたしのこと覚えてくれたってことだし」

「ごめん、ずっと前から悠月さんのことは覚えてるよ?」

「でもファンとしてのわたしは別だから」


 よくわからないけど、オタバレとかそういう感覚なんだろうか。


「えっと恥ずかしいのはわかったけど……え、もしかしてそれでいつもと違う変装にしてきたの?」

「これなら、継ちゃんにわたしだって認識されずライブを心置きなく楽しめると思って」

「いやいや、いらないって。いつも通りでいいって。……あ、そりゃ変装なしで来たら、ミニライブなんかより客席のほうがお客さん集まっちゃうけど」

「ふふっ、継ちゃんったら、集まるもなにも最初からお客さんは客席にいるんだよ」


 なんだこいつ。散々おかしなことばかり言っているくせに、細かい指摘してきた。

 自分がどれだけ人気者で、ファンから求められているのかわかっていないんだろうか。


「まあたいした理由じゃないならよかったよ」

「ちょっとっ!! 継ちゃん、深刻なファン心理だからねっ!?」

「ええぇ……うん、でも悠月さんいないんじゃないかって、私もすごく探しちゃったよ」

「う、嘘、継ちゃんがわたしのことを!?」


 わたわたとまた悠月の落ち着きがなくなる。


「そりゃだって……探すよ、悠月さんがいるって思ったら」

「だ、だからわたしのことは普通のファンとして見てって……あ、でも、それでか」


 また面倒な主張を聞かされるかと思うと、悠月が急にうんうんと頷いた。こういう仕草がいちいち大げさで可愛らしいのだから、人気の差を感じてしまう。


「それでって?」

「継ちゃんの今日のライブ良かったから。あっその、いつもね、いつも最高なんだけどっ!! 今日は特にっ!!」

「……ごめん、そういうのいいから、もうちょっと聞いてもいい? 今日のっていつもと違った?」


 他に気が散っていたから、いつもより悪かったと言われるならわかる。もしレッスンのコーチや千歳さんが見に来ていたらダメだしされていただろう。だけど、今日のライブが特によかったって言われると、――いや、悠月がまた変なこと言うだけかも。真に受けて聞き返しちゃったけど。


「んっとね、継ちゃん今日はファンのみんなのこと、すごく見ている感じしたから」

「それは……えっと」

「わたしのこと探してくれてたんだね。でもね、それがいい感じに客席へ視線送れてて、いつもよりね、継ちゃんの魅力がファンのみんなに届いたと思うんだ」

「そう、なのかな」


 予想外にまともなことを言われた気がした。もっとファンを意識しろってのは、何度か千歳さん達にも言われていたことだ。自分なりに色々試していたんだけれど、そうすると今度は「お前、じろじろ見すぎだろ。もっと全体を」とか「あーだから全体って、なんかこう俯瞰した感じじゃなくて、なんかお前偉そうに見下ろすんだよな。茜原、アイドルのセンスないぞ」などとこけおろされてきた。

 結局あきらめて、客席のことはしばらく頭の隅へと追いやっていた。


 でも今日は、悠月を探そうと思って自然と。


「できてたんだ、私」

「うんうんっ! きっと継ちゃんのファン増えるよっ! もっと人気になるって」

「ははは……嬉しいけど、もう少し早くこれができてたらな……」


 ついつい力なく笑ってしまった。せめてクビ宣告される前に、私が成長できていたら。

 今更ちょっとやそっとファンが増えたところで、もう遅い。


「どうしたの継ちゃん? 暗い顔して……あっ、あれだよ、どんなにファンが増えても、わたしが一番の継ちゃんファンだからねっ!? 養成所の主席だから安心してっ!!」

「ごめん、そうじゃなくて……えっと、主席の悠月さんには大変申し訳ないんだけど」


 公式に発表する前だ。ファンに話していい内容ではない。だけど悠月は休止中とはいえグループメンバーで、私のことをこれだけ応援してくれているのだ。

 だったら、先に私の口から伝えたいと思ってしまった。多分、ショックを受けてくれるだろう。こんな人気のない私のクビを。


「……私、アイドルをクビみたいで」


 私は笑って言って見せた。なりたかったアイドルじゃない。だから演技でなくても悲しい顔なんてしないって思ったけれど、なぜだか笑顔が少しつらかった。


「継ちゃんがクビ? え、ウェスタリス、やめるの?」

「うん、やめさせられるっていうか」

「な、なんで!?」

「……人気なくて」


 演技はつらかったけど、笑うしかなかった。できるだけ悠月には、どうってことないことのように思ってほしい。もっと彼女が応援するにふさわしいアイドルが見つかるだろう。いや、アイドル推してないで、アイドルとして復帰してくれるのが一番なんだけどね。


「わ、わたしのせいだ」

「え? いや、それは……」


 悠月の復帰が交換条件になっていたことは、言っていないはずだ。千歳さんから聞いた? でもそれならクビのことも前もって知っているはずだし。


「わたしがもっと、継ちゃんの応援を頑張れなかったからだっ!!」


 さも当然のように悠月が嘆いた。


「違うって、違う違う。悠月さん、すごく応援してくれてたって。一緒のステージに立っているとき以外だいたい来てくれたし……私より多忙なはずなのにあれどうやってたの? 時間旅行とかしてない?」

「でもでもっ!! もっと握手券集めて、いっぱいいっぱい継ちゃんと握手してっ!! イベントだって友達とか誘って布教活動とか頑張ればっ!!」

「悠月さん、ありがとう。だけど、違うよ。私の力不足なだけで」


 気持ちはありがたいけれど、誰か一人に買い支えられても人気になったとは言えないし、そもそも現実的に無理がある。

 私にはやっぱりアイドルは向いていなかった。それだけの話だ。


 気持ちを切り替えていくしかない。


 これからの私は女優への道へ一直線に進んでいく。アイドルとして失敗したことは忘れよう。だけど私が数年後に女優として売れたとき、『茜原継の不人気アイドル時代』みたいなのがSNSとかで度々ネタにされて笑われるんだろうな。私の黒歴史って勝手に言われてさ。そりゃ百パーセントやりたくてやっていたわけじゃない。人気もない。一番のファンは、自分より人気なアイドル仲間。


 だけど、黒歴史なんて私は全然思わない。だって私なりに、みんなに見てもらいたい私を全力で見せてきた結果だ。

 だいたい黒歴史になりそうなことは、意地でも拒否してきたし。でもそれで人気にならなかったって思うと、後悔は少しだけある。


「……もうちょっとだけ、続けたかったなぁ」


 思わず出てきた言葉は、多分本音だった。直ぐにでも女優になりたいはずの私からしたら、自分でも驚くけれど、やっぱり悔しいんだ。それに悠月から褒められて、もしかしたらもっと頑張れたんじゃないかって気持ちが出てきたのかもしれない。


 本当にもう少し早く、そう思えていたら。


「続けようよっ!! 続けてよっ!!」

「私がその気あっても、もうどうにもならないって」

「まだ間に合うよ継ちゃんっ!!」


 ファンとしてなのか、同じグループのメンバーとしてなのか。

 悠月は私をまっすぐ見つめている。


「わたしが、継ちゃんのこと人気にする! 今からでも継ちゃんのファンが増えたらきっとちーさんも会社も考え直してくれるよっ!!」

「……千歳さんが考え直してくれるくらいファン増やすのなんて無理だって。そんなに長いこと待ってくれないだろうし」

「そんなことない! だって継ちゃんにはわたしがついてるからっ」


 力強く悠月が拳を握る。確かに人気アイドルの悠月からアドバイスをもらったら私でも人気になれるかもしれないけれど――。


「わたし、ファン養成所の主席だからねっ!! ファン代表として、絶対継ちゃんを人気アイドルにしてみせるからっ!!」

「ええぇ、ファンとしてじゃなくて人気アイドルとしてアドバイスしてほしいんだけど」


 たまにいるってのは聞く。ファンだけど、『もっとこうしたほうが人気出ますよ!』みたいに勝手なアドバイスをしてくる人。私はもらったことないから良いも悪いもわからないが、的外れな内容も多くて面倒だとウェスタリスメンバーがぼやいていた。

 だからファンのアドバイスよりも、アイドル仲間からのアドバイスがほしい。


「アイドルにはわたしより上がいるけど、継ちゃんのファンでわたしより上はいないからっ!!」

「……いや、そうかもだけど」


 どっちにしても、アドバイスしてくれる側は同じ悠月だ。

 だけど無駄な努力で、結局あっさりとクビになる可能性も高い。そんなことに悠月を巻き込んで良いのか。悠月のアドバイスがすごく良くても、私の才能のなさが原因でダメかもしれない。やり手プロデューサーの千歳さんもさじを投げた私だぞ。


「ね、お願い。全力でサポートするから。わたし、継ちゃんがアイドルじゃなくなっちゃったら……」

「なくなったら?」

「アイドルじゃなくなった継ちゃんを応援することになる」

「え?」


 アイドルじゃなくなった私を応援する。どういうことだ。てっきり生きがいがなくなるとか、そういう感じのことを言ってくれるかと思ったのに。


「だってだって! 合法的に継ちゃんを応援できないなら、ちょっとは法に触れる可能性があってもわたしは継ちゃん成分を補給しなきゃだから……そしたら継ちゃんが外出るときは絶対隠れてついてくし、近くの家にも当然引っ越すし、ポストとかもちょっと調べるくらいはするし」

「えええぇ!? ちょっとそれストーカーだよっ!?」


 怖い怖い。急に悠月が真顔になって怖いことを言い出した。美人って無表情だと迫力あるよね。普通に怖い。


「そうだよっ!! 継ちゃんはわたしをストーカーにしないためにも、アイドル続けてよっ!!」

「えぇぇ……まあ、私も悠月さんをストーカーにはしたくないけど」

「じゃあ決定ねっ!! 明日からわたし、継ちゃんを人気アイドルにするための全力サポート始めるからっ!!」

「えっちょっと、サポートって具体的になにか教えてよっ」


 勢いよく立ち上がる悠月を止めようとするが、「明日からのために準備があるからっ!!」とそのままドーナッツとコーヒーを一気に口へ放り込んで、そのままお店を出て行ってしまう。

 悠月は私に何をする気なのか。私は悠月のアドバイスで人気になれるのか。そして、もしやっぱりクビになったら悠月はストーカーになってしまうのか。


 前途多難だ。私はため息をついて、人気アイドルを見習って綺麗に完食してお店を出た。

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