とある聖女の華麗なる嫁入り物語 その五

 ――ゴンゴンゴン! ゴンゴンゴン!


 扉を叩く乱暴なノックの音によって私は飛び起きた。


「聖女様。どうか……どうか、お力をお貸し下さい!!」


「一体、何事ですか!」


 尋常ではない気配を感じ、急いで身なりを整えて外へ出てみると、メイドさんが酷く慌てた様子で立っていた。


「状況は道すがらご説明致しまので、とにかく医療棟までお越し下さい」


 そう言って早足で先導し始めるメイドさん。

 私は、その背中を追いながら状況を確認していく。


 メイドさんの話によると、再び多くの患者が医療棟に押し寄せてきているようで、急いで私を呼びに来たらしい。

 その話を聞いて、私は自分の調子を確かめてみた。


 ……大丈夫、問題無く奇跡は使える。


 外の様子を見ると、日はとうに沈んでおり、今が真夜中である事が分かる。

 あれから結構な時間寝ていたようだが、そのおかげで、いつも通り奇跡が行使できるのは幸いだ。

 こんなにも多くの奇跡を連日行使したのは初めてなので、正直どこまでやれるかは未知数であるが、私の目の前でこれ以上誰かを死なせるつもりはない。


 入り組んだ屋敷の中を右へ左へと曲がっていき、私は再び医療棟へと足を踏み入れた。


「……何よ、これ?」


 そこに広がる光景を前に、思わず言葉が漏れてしまった。

 視界一杯に広がる患者の山。

 まるで、日中の努力が無駄だったと言わんばかりの無情な光景。


 恐る恐る数えてみると、36人もの赤兎族がベッドに横たわっている。

 しかも、その内の2人は、私が『治癒ヒーリング』無しの処置をした人間ではないか。


「どうして、何で増えているの!?」


 思わず口を突いて出た言葉に、医療棟の担当者達が困惑したような表情を浮かべる。


 ……しまった、私が動揺を見せたら、周りの人達を不安にさせてしまうわ。


「失礼致しました……」


 私は深呼吸を一つして気を取り直し、まず患者の一人一人を診察していく。

 どうにも調子が悪く、いつもより注意深く診ないといけないので疲れてしまうが、見落としてしまうと大変な事になるため疎かにする訳にはいかない。

 しかし、それで分かったのは、彼らが全員病魔に取り憑かれているという現実だった。

 そして何よりもまずいのは、前よりも人数が多く、前回同様に『治癒ヒーリング』無しの処置では全員に治療が行き渡らないという事だ。


治癒ヒーリング』無しの処置に必要な奇跡の回数は、一人当たり3回分。

 私が使える奇跡の回数は約100回。

 ……つまり、このままでは33人にしか治療が行き渡らず、残りの3人は死んでしまう事になる。


 私は、再び選択を迫られた。

 誰を生かして、誰を見捨てるのか……


「――ここで命を落とすのなら、それが我らの定めだったという事でしょう。むしろ、聖女様に看取ってもらえるなら、迷わず神の御許のに行く事が出来るというものです」


 不意に掛けられた言葉にハッとして顔を上げる。

 すると、とても老成した雰囲気を持った赤兎族の少年が、私に慈しむような目を向けていた。


「……長老」


「ですから、どうかそんな顔をしないで下さい」


 赤兎族の長老に掛けられる優しい言葉。

 私が救うべき人に、今、私は慰められようとしていた。


「そんな事よりも、我らの死が聖女様を苦しめる事になってしまっては、死んでも死に切れません。やれるだけの事をやって、それでも駄目だったのであれば、それは天命という事。聖女様が気に病む事はございません」


 何故か、その言葉を聞いて涙が一つ零れた。

 流れた涙の分だけ、胸にのしかかっていた重さが軽くなったような気がする。


 ――この人達は…………この人達は、絶対に死なせてはいけない!


 赤兎族の長老の優しさが、私に覚悟を決めさせてくれた。


「……長老、お願いです。病人の命を私に預けて下さい!!」


「元よりそのつもりです、どうぞ聖女様の心のままにおやり下さい。そしてもしもの時は、我らが死出の旅路に迷わぬように祈って下されば結構です」


 そう言って、優しく微笑む赤兎族の長老。

 私はそれを見て、もう一度方法を模索し始めた、

 前提条件を洗い出し、変える事の出来る事象と変える事の出来ない事象に分け、私自身が出来る事、出来ない事を整理しながら思考を巡らしていく。


 そして、ある決断を下した。

 赤兎族をために、病魔をという決断を。


 行使される奇跡の中で一番負担が大きいのは、2回分の威力を込めないといけない『復調キュア・コンディション』だ。

 当然これをしないと、病魔に取り憑かれたままなので、根本的解決には至らない。

 しかし、今回はそれを見送る。

 症状を引き起こす直接的な原因は、病魔が吐き出す毒なので、それさえ取り除けば、時間を稼ぐ事が出来るはずだ。

 当然、病魔は毒を吐き出し続けるので、定期的に『解毒キュア・ポイズン』を施さなければならないだろうが、私の見立てでは一日に2回も唱えれば大丈夫であるし、2割の人間は自然治癒するはずなので、徐々に患者の数は減っていくだろう。


治癒ヒーリング』無しの処置でも、ほとんどの患者が復帰できる事が判明している今、『解毒キュア・ポイズン』で時間を稼ぎ、残った余力で出来るだけ多くの患者を治療していく。

 これが今の私に出来る、最大限のだ。


「――ですが、これは初めての試みですので、本当に上手くいくかは保証できません。それでも私に命を預けて下さいますか?」


 他に全員を救う手立てが無い以上、もうこの案にすがるしかない。


「我らの考えは変わりません。聖女様の思う通りにおやり下さいませ」


 長老のその言葉を聞いて、私はすぐに動き始めた。


「えっと、患者が36人で、使える奇跡は全部で100回。『解毒キュア・ポイズン』は一人2回必要だから72回で、余力は28回。それで『治癒ヒーリング』無しの処置に必要な奇跡は一人3回分だから、残りの28回で治療できる人数は、え~っと……9人?」


「――違います、28人です!」


 唐突に横から声が上がった。

 声の主は、医療棟の担当者である。


「えっ、そんなに治療できるの?でも、私の計算では9人しか……」


「ちょっと待ってて下さい。今、分かり易く説明しますから……」


 そう言うと、医療棟の担当者は紙に何やらサラサラと書いていき、それを私に見せてくれた。


 ①8人×2回=16回

 ②28人×3回=84回

 ③16回+84回=100回


「①が『解毒キュア・ポイズン』で延命する人数と必要な奇跡の回数で、②が『治癒ヒーリング』無しの治療を行う人数と回数です」


「本当だ、全部で丁度100回に収まってる。それに人数も……うん、全部で36人に間違いないわ」


 凄い……こんなに難しい計算を、こんなに簡単にしちゃうなんて、流石はファーゼスト家の侍従ね。


「こんな事でしか、お力になれませんから……」


 そう言って、悔しそうに顔を歪める医療棟の担当者。


「いいえ、貴方がいなければ、私は大きな間違いをする所でした」


「……お願いです聖女様。彼らを……彼らを助けてあげて下さい」


 きっとこの方も辛いのでしょう。

 助けたいと思っても、救うだけの力が無い事の辛さ。

 それは、誰よりも私が良く知っている。


「はい、勿論です!!」


 私は力強くそう答え、神に祈りを捧げ始めた。





 ――あれから、どれだけ祈りを捧げただろうか?

 段々と時間の感覚が曖昧になってきており、私はふわふわとした浮遊感に包まれていた。


 一通りの処置が終わり、二度目の『解毒キュア・ポイズン』を唱えるまでは時間が空くため、その間に食事を取って英気を養い、仮眠も取らせてもらう。

 そして、時間がきたら起こしてもらい、再び『解毒キュア・ポイズン』を唱える。

 この頃には『治癒ヒーリング』無しの処置をした28人が、すっかり回復してみせるのでホッと一息。

 気が付けば日は既に昇っていたが、私は疲れのあまり、そのまま医療棟で眠りこけてしまった。


 長距離の旅の疲れ、ファーゼスト・フロントからの強行軍、度重なる奇跡の連続使用、そして不十分な休息。

 それらは確実に私を消耗させ、疲労という名の毒で身体を蝕んでいったのだった。


「――起きて下さい。聖女様、起きて下さい」


 そして、目が覚める。


「申し訳ございません聖女様、新たな患者がやって参りました」


 医療棟の担当者が告げる新たな試練。

 ここがまだ私の戦場である事を理解し、一瞬で意識を切り替えた。


「人数は?」


「36人です。ですが、以前からの患者が11人いますので……」


「全部で47人ね」


「はい」


 医療棟の担当者と会話をしながら、自身の調子を確認していく。

 大丈夫、疲れやだるさは残っているが、奇跡の行使に支障はなさそうだ。

 なら、やる事は変わらない。

解毒キュア・ポイズン』で時間を稼いで自然治癒を期待し、余力で重症者を治していくだけである。


「そうすると、治療できるのは何人になるのかしら?」


「……6人です」


 随分と少なく感じる。

 残る41人は時間を稼ぐだけで精一杯なのだから、全員を治すためにはかなりの時間を要する事になる。

 だが、恐らくこれを乗り越えれば、希望が見えてくるはずだ。

 難民となった赤兎族の人数は160人で、いくらなんでも、その全員が病魔に取り憑かれたという事はあり得ないだろう。

 そして、既に60人以上もの治療が終わっており、この場に47人の患者がいるのだから、これ以上患者が増えるとは考えにくい。


 つまり、今が正念場だという事だ。


 私は疲労に負けそうな身体に喝を入れ、気力を振り絞りながら処置を行っていった。

 一通りの処置を終えると、前回同様に次の処置までの間に休息と仮眠を取り、そして目が覚めると、二度目の『解毒キュア・ポイズン』を唱えて回る。

 そして人心地が付く頃には、すっかり日が暮れてしまっていたのであった。


「……」


 疲労困憊で立っているのも億劫。

 無駄な言葉は、しゃべる気にもなれない。

 ……だが、やり遂げた。

 誰一人死なせる事なく、乗り越える事ができた。


 胸に広がるこの充足感は、何に変える事もできはしない。

 この地で、私は病魔に打ち勝つ事ができたのだ!!


「お疲れ様です聖女様。患者の容態は安定していますので、とにかく休んで下さい。……その、とても酷い顔色をされていらっしゃいます」


「……はい」


 明日もまだ治療が残っているため、医療棟の担当者の言葉に甘えて休ませてもらう事にする。

 というより、ここで休んでおかなければ、明日の治療を行える自信がない。

 私は自身に与えられた部屋まで戻る気になれず、ふらふらとした足取りで、医療棟の宿直室へと向かっていった。


 だが、その時――


「た、大変だよ!みんなが、みんなが燃やされちゃうって!!」


 まるで放たれた矢のような勢いでパンが駆け込んできた。

 その物騒極まりない報せを携えて。


「それは本当なの!?」


 そのあまりに突然な報せに、思わずパンを問い詰める。


「うん、偶然執務室の前を通った時に、聞いちゃったんだ!ゲオルグ様が『火を放て』って言っているのを」


 確かに領主として、あり得ない対応ではない。

 実際に病魔に侵された村々では、家ごと病人を焼いて病魔を退治したという話もよく耳にする。

 ……だがしかし、今現在この地には聖女である私がいるのだ。

 しかも、一通りの処置を終えて、治療の見通しが立った所である。


 ――止めなくては。


 焼却という安易な方法で事態を終息させようとする、に、私が救おうとしている彼らを殺させてなるものですか!!


 疲労で反応の鈍い身体に、使命という名の燃料を注ぎ込み、目に意思と言う名の火を灯す。

 すると、まるでそれを見計らったかのように、男が姿を現した。


 男の名はゲオルグ=ファーゼスト辺境伯。

 無辜の赤兎族に死を宣告する大罪人である。


「……燃やすと言うのですか?」


 私の言葉に、僅かな反応を見せるゲオルグ辺境伯。

 上手く取り繕ってはいるが、微かな口元の動きを私は見逃さなかった。


「何を勘違いしているかは知らんが、別に……」


「しらばっくれないで下さい!!」


 聖女である私に配慮したのだろうか、この場を誤魔化そうとするゲオルグ辺境伯に食ってかかる。


 私を温室育ちの世間知らずだと嘗めないで欲しい。

 で死んだ者を送るのも、跡地を清めるのも、誰がすると思っているのだ!

 私達、聖職者だ!!


「……もし、その通りだと言ったら?」


 こちらを値踏みするかのような視線。

 ゲオルグ辺境伯は、私の追及に重く響く声で答えた。

 ここで気圧されてはいけない。

 私は、この男の考えを変えさせなければならないのだから。


「させません!」


「…………」


 私の不退転の決意を前に、黙りこくるゲオルグ辺境伯。

 一体何を考えているのだろうか?

 風の噂では名領主と名高いそうだが、先日のパンへの暴行や、今回の安易な対応を見ると、考えを改めた方がいいのかもしれない。

 だが、この尋常ではない迫力と圧力は、並みの貴族の比ではない。

 しかも私が聖女だろうが何だろうが、おかまいなしである。

 歯向かう者には容赦をしない、目的の為には手段を選ばない、そんな危うさがこの男にはあった。


 ――ゴクリ。


 これが、最果ての辺境と噂されるファーゼストを治める領主か。

 改めてその力強さを実感させられる。

 ……だが、救える命を前にして、この程度の圧力に膝を屈する私ではない!


「赤兎族を救いたいか?」


 ふと、言葉が通り過ぎていった。


 私の聞き間違いだろうか?

 いや、今のは間違いなくゲオルグ辺境伯の声であった。

 心なしか身にかかる圧力の種類が変わったようにも感じられる。


「彼らには、生きる権利があるわ!」


 私は、赤兎族達の生の望みがある事を告げた。


「ならば良かろう、神の力とやらが、どれだけ救いをもたらすか見せるがいい!」


 ゲオルグ辺境伯は、それだけ言うと笑みを浮かべて踵を返していった。


 ……これは、認められたという事なのだろうか?

 恐らく、そういう事だろう。

 先程のゲオルグ辺境伯の言葉は「神の奇跡で救えるのならやってみろ」と、そうとしか聞き取れなかった。


 だが、もし救えないとなれば、あの男は容赦なく病人を火にくべるだろう。

 あれはそういう男だ。


「……いいわ、誰も死なせないもの」


 私は決意を胸に、ゲオルグ辺境伯の背中を見送った。



































 ――そして翌日、私の決意を嘲笑うかのように、40人もの患者が新たに現れたのだった。

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