第二話 〈フェシット〉の世話係

「どういうことだ、これは!」

 入学式の、すべての予定が終了した後。

 流人は教室を出るや否や、通りすがりの先生に尋ね、別棟にある理事長室に駆け込んだ。

 彼の後ろではりおが、「やは~」と手を振っている。相手は当然ながらこの部屋の主で、『私立FDG高等学校』の理事長──すなわち二人の母親だ。名前を「れい」と言う。

 ウェーブのかかった髪に、幼い顔立ちは下手すれば二十代どころか学生でも通じる。つややかな唇を開き、麗は面白そうな顔をして流人を見てきた。

「どしたの、流人。いきなり部屋に飛び込んできて。そんなにママに会いたかった?」

「ざけんな! そんなことより、これはどういうことか説明しろって言ってるんだ!」

「これってどれ?」

「だーかーらー、りおのことだよ! 〈フェシット〉だったなんて聞いてねぇぞ! 親友の娘じゃなかったのか!?」

「あははは、その嘘まだ信じてくれてたんだ。ウケる~」

「んがっ」

 無慈悲な回答に、流人は言葉も出なくなった。

 今まで割と本気で信じて、本当の両親に返す時に恥ずかしくない淑女にしようと頑張ってきたのに──効果はなかったが──それが嘘?

「……何でそんな嘘をついたんだ」

「当時のあんた子供だったでしょ。〈フェシット〉って正直に話したら、色々と身構えてしまうかなと思ったの。あたしはりおに、ちゃんと兄として接して欲しかったのよね……それに」

「それに?」

「真っ正直に嘘を信じるあんた、見ていて面白可愛かったし☆」

「おい!」

 てへぺろと舌を出す母親に、思わず叫ぶ流人。

 と、りおが後ろから脳天気な声を上げた。

「お兄ちゃん、純真だからねー」

「からかうなよ、りお。大体、お前もお前でおかしいじゃねぇか」

「へ、何が?」

「だってお前、昔は小さかっただろ。でも、今は歳相応に大きくなってる」

「うん、胸とか特にね。揉んでみる?」

「だから、からかうなって! そうじゃなくて、何で〈フェシット〉が人間みたいに成長してるんだよ。それじゃ人間だと思い込むのも当たり前だ。嘘だって気づけないって!」

 りおが成長していなければ、〈フェシット〉と見破れたかもしれない。

 その意図を含んでの流人の指摘だったが、この疑問には麗が真面目な顔で答えた。

「まぁ、そうね。りおは特殊な〈フェシット〉だから」

「特殊な〈フェシット〉?」

「そ。りおはね、〈特一級人造人間エクストラ・フェシット〉計画で造られたのよ」

「エクス……何だ、そりゃ」

「簡単に言うと、超高性能かつ人間に近い〈フェシット〉を造ろうという計画。性能の方は、まあぶっちゃけ予算つぎ込めばいくらでも高められるんだけど、人間に近いっていうのはこれがなかなか難しくてね」

「何でだよ」

「〈フェシット〉に使っている情報処理結晶体〈イデア〉は、人間の感情に近いものを生み出せるけど完全ではないの。大半がプログラムによる情報データだからね。経験から導かれる情緒を得るには、人間と同じように生活してもらうしかない」

「えっと、それってつまり……」

「そう、より人間に近い個体を造るには、人間とほとんど変わらない人生を送ってもらうしかないわけ。そこで、その実験台としてりおが造られて、我が家で育てることにしたの……ちなみにボディは定期的に取り替えてたのよ。体にも変化を及ぼさないと、人間と同じような経験を得られるとは思えないからね」

 そういえば、時々りおは入院していたと流人は思い出す。

 あれって、その時にボディを替えてたのか。

「確かに、退院ごとにちょっと体が大きくなってるなぁ、とか思ってたけど」

「……欺いてた立場で言うのも何だけど、流人、ちょっとは変と思わなかったの?」

「しょうがないだろう、そうかなぁって思う程度だったし。大体、女性に体のこと聞くのってセクハラだし」

「お兄ちゃんってば、そこまで配慮してくれてたんだ。紳士的~」

 嬉しそうに笑うりお。どうも素直に褒められた気がせず、流人はふてくされた。

 ふてくされながら、つい最近もりおは入院していたな、と思い出す。あれでまた体を大きくしたのだろう。そういえば、胸が極端に大きくなったような。

「まぁ、とりあえずりおが〈フェシット〉であるってのは納得した。正直早く言ってくれよって気分だけどな……それで、何で飛び級させてまで、この学校に入れたんだ?」

「そりゃ、なるべく早い感じで実験進めたいし。だったらいっそ、あんたと一緒にこの学校に入れた方が、色々と環境変わるから刺激になると思ったのよ。ここには数十人も〈フェシット〉がいるという実績もあるから、いざという時トラブルにも対応しやすいしね」

 どこか軽い口調で言ってから、麗はにんまりと笑って流人を見た。

「そういうわけで、家だけでなくこの学園内でも流人がりおの面倒見なさい」

「はぁ!? 何で俺が!」

「お兄ちゃんでしょ。そのために理事長権限でわざわざクラスも同じにしたんだから」

「そんな……俺に四六時中りおを見張ってろって言うのかよ」

 自分だって、やりたいことがあるのに。

 流人はふと、ルイの顔を思い出す。彼女にはハンカチを返すだけでなく、色々と話もしてみたかった。りおにばかりかまけていられない。

 そうは思ったが、一度事情を知ったからには知らんぷりすることもできなかった。

 何しろ、自分はりおの──血は繋がってなくても──兄なのだ。

「わかった、できるだけ目をかける」

「やったぁ、じゃあお兄ちゃんとずっと一緒だね! 後でデート行こ、お兄ちゃん!」

「そこまでべったりする気はねぇよ! お前も少しは自立してくれ!」

 腕に抱きついてくるりおに、流人は白い目を向けて言う。

 ふと、麗がくすりと笑ってから言った。

「それじゃ、後はよろしくね。お二人さん」

「「はーい」」

 片や元気に、片やふてくされて答える二人は、母の目が何かを見極めるかのように光ったことに気づいていなかった。


    ○


 翌日。

 流人は寝ぼけた頭を抱えながら、昨日と同じように食パンをもそもそと囓っていた。

 昨夜、色々と思案した。りおの面倒の見方である。

 よくよく考えれば、流人は〈フェシット〉のことなど知らない。どう面倒見ればいいのかわからないが、それなりに気を遣う必要はあるだろう。そのことに頭を悩ました結果、ほとんど寝ずに一夜を明かしたのだ。

 そのおかげで、ある程度の方針は固まったが。

 ばんっ!

「お兄ちゃん……あれ、何で身構えてるの?」

「いや、今日はちゃんと制服着てるんだな。安心した」

「んもう、あれはママが仕舞ったからだもん。そうそう無くしものなんかしないよ!」

「そりゃ結構なこった。で、慌ててどうしたんだ?」

「あたしのぬいぐるみ知らない!?」

「知るわけあるかぁ!」

 というか、そうそう無くしものなんてしないんじゃなかったのか。

 あと、ぬいぐるみなんか見つけてどうするつもりだ。まさか学校に持っていくのか。

 色々な疑問が流人の頭をかすめたが、りおは大真面目に困ってるようで、頭を掻きながらつぶやいた。

「うーん、確かにどこかに置いたんだけどなぁ。お兄ちゃん見なかった? ハリネズミの形していて、スマホぐらいのサイズのやつ」

「いや、見てねぇよ……というか結構大きいな!?」

 てっきりキーホルダーについてるピンポン球ぐらいのサイズのかと思ってたので、流人は呆れてしまった。そんな大きなもの、鞄にでもつけて持っていくつもりだろうか。

 りおは周囲をきょろきょろと見回し、やがて「うーん、うーん」とうなりながらリビングを出て行った。

 再び、ばんっ、とドアが閉まる。またもや静かな朝が壊されたわけだ。

 流人はため息を吐くと、

「しばらく時間かかりそうだし、俺は先に行くか」

 昨日と同じように、さっさと身支度を整えた。


 教室棟についてから、流人はトイレに立ち寄ると、ふと鞄からスマホを取り出してメモに目を通した。

 昨夜調べた〈フェシット〉に関する知識を、おさらいしておこうと思ったのだ。ちゃんと教えなければ、りおは自分の言うことを聞いてはくれないだろう。

(とりあえず、あいつには注意しておかないとな。自分が〈フェシット〉であることはあまりオープンにはするなって)

 色々とネット情報を仕入れて、まず思い至ったのがそこだった。

 意外にというか、当然というか、世間では〈フェシット〉のことを奇異の目でじろじろ見る者が多い──らしい。何でも、いじめに遭う〈フェシット〉もいるのだとか。

 人間そっくりなのに、人間とは異なる存在。それにある種の好奇心と、恐怖を感じる者が多いのは当然とも言える。だから学校に通ってる〈フェシット〉のほとんどが、自分の素性は隠しているのだという。

『〈フェシット〉に素性を伏せさせて、通学させている家庭も多いから。学校側も、その希望に添う形で〈フェシット〉の生徒を扱っているしね』

 ふと、ルイの言葉が、頭に蘇った。あれは、こういう事情があったからなのだ。

(ま、この辺のことを説明して、いじめの可能性があると言い聞かせれば、りおも自分から〈フェシット〉を名乗ることはないだろ)

 後は、名字が自分と同じなのは従姉妹とでもごまかそう──そう決めて一つうなずき、流人は改めて教室へと向かった。

 ガラッ。

「へー、りおちゃんって〈フェシット〉なんだ! すごーい!」

「えへへー!」

 教室の扉を開いた流人は、その場でコケそうになった。

 見ればクラスメートの女子が数人たむろして、その真ん中でりおが笑っている。右手を掲げると、「ワイヤードパンチ!」と昨日流人に見せてくれた機能を披露した。

 女子たちに限らず、教室のいたるところからパチパチと拍手が鳴る。すっかり注目の的だ。もちろん、流人にすればとんでもなかった。

「り、りり、りお! 何やってるんだ!?」

「あ、遅いよお兄ちゃん。どこ行ってたの? 見て見て、あたし友達できたんだよ!」

「そりゃ結構なことだけどさ……お前、〈フェシット〉であることがバレたらいじめに遭うかもしれないんだぞ」

 そう言ってさっきまでおさらいしていたことを説明する。

 だが、りおは平然と首を傾げるだけだった。

「でも、ママはバラしてもいいって言ってたけど」

「へ、そうなのか?」

「うん。この学校、〈フェシット〉の技術者の縁故者がほとんどだから、〈フェシット〉にも理解あるし、いじめとかはないんだって。だから、結構正体バラしてる〈フェシット〉もいるみたいだよ」

「マジか」

「うむ。おれの把握している限りでも、一Aと一Cにも一人ずつ〈フェシット〉の女の子がいて、自分が〈フェシット〉であることをカミングアウトしてるみたいだな」

 いつの間にか会話に参加してきたのは修司だった。

 流人はジト目でそちらを見る。

「お前、いつの間にそんな情報仕入れたんだ? 学校始まったの今日だぞ」

「さっきから聞き込みして、色々な可愛い女の子のデータは揃えたんだよ。ほら、善は急げって言うだろう? 俺はこの学校でビッグになる男だしな!」

「何が善で、どうビッグになるつもりだ」

 だが、その話が本当なら、〈フェシット〉であることはそこまで秘密にしなくていいのかもしれない。少なくともこの学校では。

「でも、秘密にしている家庭だってあるって聞いたけどな」

「それは、家庭によっては〈フェシット〉を通わせていることを秘匿したいところもあるからです。世間体などが絡んでくるので」

「ふぅん……って、あれ。えっと、君は?」

「すみません、口を挟んでしまって。私、かみって言います。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたのは、可憐な少女だった。

 綺麗に整った顔立ちに、少し気が弱そうだが柔和な表情を浮かべている。背まで届く絹糸のような髪は陽光を受けて輝き、ルイとはタイプは違うがかなりの美少女だ。

 すでに彼女に目をつけていたのだろう、生徒の何人かが「ほう」と感嘆の息を吐いた。それも気にせず、美奈は言葉を続ける。

「学校に通ってる〈フェシット〉は、つまり事情があって通わされていることも多いんです。主に購入した家庭が、自分の思い通りに人格が育てられない場合、〈フェシット〉に情操教育を受けさせるために通わせるんです」

「なるほど。つまり学校に通ってる〈フェシット〉は問題児の可能性もあるのか」

「ちょっと、お兄ちゃん、何でこっち見ながら言うの!」

 りおが口を尖らせた。が、それを無視すると、流人は首をかしげて言った。

「それにしてもよく知ってるな。上南も、〈フェシット〉関係の家生まれなのか?」

「えっと、私は……」

「おいおい、知らないのか流人。『上南』と言えば、〈フェシット〉製造で有名な『上南財閥』を指すぞ。おれが見たところ、この美奈ちゃんはそこのお嬢様ってところだな」

「え、ええ、まぁ……はい」

 恐縮しながらうなずく美奈に、周囲が再び息を呑んだ。

 流人も、名前だけなら知っている。『上南』はかなり大手の企業だ。国内の〈フェシット〉の七割はこの企業傘下のメーカーが造っているとか。ひょっとしたら、りおのパーツにも上南製のものが使われているかもしれない。

「それだけの名家のお嬢さまがこんな学校に? いや、この学校がすげぇのか」

 素直に感心していると、ふと美奈が顔を伏せる。

「いえ、私なんて……別に、そんなものでは」

「……?」

 自己評価が低いのかな、と思ってると、ふと修司がうなずきながらつぶやいた。

「しかしさぁ、数十人の〈フェシット〉がいるって触れ込みも、伊達じゃないみたいだな。こんなに関係者がいっぱいいるし! りおちゃんも〈フェシット〉だし!」

「ああ」

「ついでに言うと、おれも〈フェシット〉だしな!」

「ああ…………はぁ!?」

 愕然とする流人に、修司はにやりと笑ってみせると、不意に片腕を上げて叫んだ。

「みんな聞いてくれ! おれも〈フェシット〉だ! ただ、普通の〈フェシット〉で終わるつもりはない! この学園でビッグなことを成し遂げる〈フェシット〉になるぞ!」

 その言葉に、教室の至るところから「おお!」「〈フェシット〉!? え、マジで!」「全然見えない!」などとざわめきが聞こえてくる。

 修司はにんまり笑うと、Vサインを掲げてみせた。

「そういうわけで応援よろしく! あと、彼女募集中でーす!」

「……すごいです、こんな自己主張の激しい〈フェシット〉は初めて見たかもしれません」

「え、そうなのか?」

 美奈が唖然としてつぶやいたが、流人にすればりおを見る限りそこまで例外的とは思えない。それとも、この二人が規格外なのだろうか。

「へー、そっちも〈フェシット〉だったんだ! メンテナンス用リモコン持ってる!?」

「あるさ! ただしおれは旧式だから、自分から取り外しできないんだがな……ほら!」

「わー、すごーい! ケーブルついてる! 外せないー! 旅館のマッサージ機みたい!」

「ふふん、色々いじってもいいんだぜ?」

 意気投合したのか、りおと修司はわいわいと〈フェシット〉トークを続けている。修司の背中からのびたケーブル付きリモコンを、りおがきゃっきゃといじっていた。

 それを見て「ああ、修司も本当に〈フェシット〉だったんだ」「というか、〈フェシット〉ってリモコンついてるのか……」などと思いつつ、流人はふと脱力感に苛まれた。

「結局徹夜までして〈フェシット〉について調べたのに、何の役にも立たなかったな……うん?」

 と、視線を感じて振り返る。

 髪がボサボサな少年がこちらを見ていた。クラスメートだが、流人にはまだ面識がない。

 ぷい、とそっぽを向く。そのつり上がった目が自分を──というより、自分の肩越しにりおと修司をにらんでいた気がして、流人はいぶかしげに首をかしげた。


 その晩、流人はりおに招かれ、久しぶりに妹の部屋に入っていた。

 とは言っても、特別変わったものはない。ごく普通の年頃の女の子らしく、勉強机とドレッサー、小さな本棚、針金をぐるぐる巻いたような何かよくわからないインテリアに、大きなクッションがある。それにベッドの上にぬいぐるみなどが鎮座していた。

 そしてりおはベッドの上に腰掛けて、ごそごそとぬいぐるみを探っていた。

「何だよりお、人を呼び出して」

「ああ、待ってお兄ちゃん……あったあった」

 そう言って彼女が取り出したのは、手のひらサイズのハリネズミのぬいぐるみだ。今朝探していたものらしい。それを流人に手渡す。

「はい、これ。お兄ちゃんに持っていてほしいの」

「はぁ? 何で俺がこんなもの……」

「それね、私のリモコンなんだよ」

「何ですと?」

 そういえば、修司も何かリモコンらしきものをつけていたが。りおにもついているのか。

 流人が目をぱちくりさせていると、りおは彼の手の上でハリネズミのおなかの部分に細い指を乗せた。マジックテープを外してめくると、そこにスマホのような画面が現れる。

 すい、すいと操作すると、やがていくつかの文字列が現れた。

「え、何だこれ? 『内部メンテナンスモード』『独立操作モード』……他にもいくつかあるようだが」

「簡単に言うと、それ使ってある程度〈フェシット〉を操作したり、状態を調べたりできるの。まぁ、テレビのリモコンみたいな感じ?」

「感じ? って言われても……」

「お兄ちゃんはあたしの面倒見るんでしょ。だから、それで定期的にあたしをメンテナンスして」

 流人は軽くめまいを起こした。

 

(本当かよ?)

 試しに、『内部メンテナンスモード』と書かれた項目をタップする。

 と、りおが身をよじって笑い始めた。

「ひゃ、ははは、ちょっと、お兄ちゃん、そんないきなり、ダメぇ!」

「お、お?」

「それ、体の人工筋肉とかに、んっ、電気流して、動作テストするやつなんだけど、ああんっ、あたしくすぐったく感じて……あ、やぁ、んんっ!」

 つまり、マッサージみたいなものなのだろう。りおの声にどこか艶っぽいものが混じりはじめて、流人は慌ててもう一度項目をタップした。

 どうやら停止の手順はそれで良かったらしく、りおはぐったりとベッドに横たわる。

「んもう、セクハラだよお兄ちゃん! セ・ク・ハ・ラ! お兄ちゃんじゃなきゃ許してないからね!」

「し、知らなかったんだから勘弁しろよ!」

 動揺しながらも、流人は自分でも想像以上のショックを受けていることに気づいた。

 今まさに、リモコンを使ってりおの体内をいじってしまったのだ。人間が、人間の体を自由にするのには禁忌を感じる──いや、りおは人間ではないのだが。

「何か、やっぱり実感わかねぇな」

「何が?」

「お前が〈フェシット〉だって……だって、どこから見ても人間だし」

「うん……」

 その時、りおが悲しそうな顔をしたと、流人は思った。

 彼女はそのまま流人の手をつかむと、自分の頬に手のひらを当ててみせる。

「りお?」

「ほら、お兄ちゃん。わかる? あたしの体、ちゃんとあったかいでしょ」

「あ、ああ」

「体の中は機械部分も多いけど、皮膚とか髪とかは人工細胞でできているの。あたしたちはね、半分は生きてるんだよ」

「そう、か……」

 つぶやきながら、流人はりおが何を伝えたいのかわからずにいた。

 いや、何となくはわかる。自分たちも人間と同じだと言いたいのだろう。

 ただ──その気持ちを流人は想像できない。彼は人間であり、〈フェシット〉ではないからだ。人間とは違う者の気持ちを、わかると傲慢には言えない。

 だから、彼に言えることといえば、結局は一つだった。

「まぁ、〈フェシット〉だろうが人間だろうが、お前が騒がしい妹であることには代わりねぇからな。今まで通り兄としてちゃんと面倒見てやるぜ」

「えー、今まで通りなのはちょっとどうかなぁ」

「そこ、不満なのかよ!?」

 自分でも割とパーフェクトの回答だと思ったのだが。

 だが、りおはうっとりと目を閉じると、夢見る少女の顔でつぶやいた。

「あのね、〈フェシット〉は人間そっくりに造ってあるの……だからね、やろうと思えばできるんだよ」

「何を?」

「エッチなこと」

「ぶふっ!」

「お兄ちゃんもお年頃じゃん。色々と体験してみたいでしょ……ほら、あたしなら実の妹どころか人間でもないし、心おきなく手を出せるよぉ?」

「や、ややや、やめろや!」

 からかわれてると思った流人は、慌てて妹を引き離した。

 と、思いついてリモコンを取り出し、『内部メンテナンスモード』をオンにする。

 先ほどと同じく、りおがくすぐったそうに「ふにゃあああ!?」と声を上げた。

「お、これいいな。今度からお前が何かしでかしたらこれで制止しよう」

「ちょ、ちょっとぉ、お兄ちゃんドS入ってない? にゃ、にゃあああ……」

「ふふふ、これも兄としての務めだ、許せ」

 言いながらも、もだえるりおを見ていると、何となく気分が高揚してくる流人だった。


「それで、そんなもの持ち歩いてるのか」

「ああ、ちょっと恥ずかしいけどな……」

 休み時間、学校の教室にて。

 修司に問われ、流人は手にしたハリネズミのぬいぐるみを見つめた。

 言うまでもなく、昨晩りおから預かった彼女のリモコンである。

 いつでもりおを制止できるようにと常に携帯することにしたのだが、冷静に考えると男がハリネズミの可愛らしいぬいぐるみを持ち歩くのは、少し抵抗があった。

 修司はそんな彼の肩を、楽しそうにバシバシと叩く。

「まぁ、いいじゃないか。リモコン預けてもらえるなんて、りおちゃんによっぽど慕われてるんだよ、流人」

「いや、一応所有者の身内だし、面倒見るために持たされてるだけだと思うぜ」

「それが、そうでもないんだな。〈フェシット〉の間じゃ、リモコンを渡すということはその人間に対する信頼の証でもあるんだ。何しろ自分の体に干渉できるものだから、下手な相手には渡せないだろう?」

「へー、そうなのか?」

 確かに〈フェシット〉である修司が言うならそうなのだろう。彼のリモコンは体に繋がってるので、誰にも渡せそうにないが。

「しかしいいよな、りおちゃんみたいな可愛い子が妹なんて。おれもあんな彼女欲しい……はっ、『お義兄さん』!」

「そんな『いいこと思いついた!』みたいに言われてもなぁ。とりあえずそのつもりがあるなら、りおに告白でもしてこいよ」

「よっしゃぁ!」

 気合いを入れて、修司はクラスメートと談笑しているりおのところへ向かった。

 一言二言と話してから帰ってくる。

「ううっ、ダメでしたぁ!」

「お前のそういうアグレッシブなところ、ちょっと尊敬するよ」

 本心から告げる流人。何しろ自分はまだ、恩を受けた女性にハンカチも返してないのだ。

 と、流人は思いついて尋ねてみる。

「なぁ、修司。生徒会長の常磐ルイ先輩って知ってるか」

「お、お目が高いねぇ。すでに俺のデータベースに入れてあるぜ」

 言いながら、修司は懐からメモ帳を取り出した。そのままページをめくって、書き込んだ文字を調べていく。実にアナログだ。

 ──人造人間とは。流人はつぶやいた。

「……あったあった。『常磐ルイ』、クラス『三A』。この学校には二年生の春に転入してきたが、あっという間に信頼を得て、後期の生徒会長に選ばれた。そしてそのまま、今年度前期も生徒会長に選ばれ就任している」

「へー、すごいな。よっぽど優秀なんだろうな」

「ああ、成績は常に学年トップクラス、運動神経も抜群。さらに実家は上南財閥ほどではないが、それなりに実績を収めている常磐グループだ。まさに高嶺の花だな」

「うへぇ、それじゃもう付き合ってる人がいてもおかしくないんじゃないか?」

「それが、そうでもないんだ。彼女スペックは優秀だが、性格に難ありでな……常に周りを寄せ付けない、クールな態度で押し通している。簡単に言えば無愛想なんだ。人に親しく語りかけることもないらしい。冷徹と評する奴もいるそうだ」

「え?」

 それは違うと流人は思った。

 入学式の時、自分を救ってくれたルイは優しい表情をしていた。

 確かに愛想が良かったとは言いがたいが、少なくとも冷徹ではない。

(それに、急に悲しそうな顔をして……)

 彼女は言ったのだ。妹さんを大切にしなさい、と。

 あれはどういう意味なのかと、流人はずっと気になっていた。

 ──やはりもう一度、ルイに会いたい。会って話がしてみたい。

 流人はポケットの中で、あのハンカチに触れながら思った。

 とりあえず教室はわかったんだから、次は──

「ちょっとお兄ちゃん」

「うおっ、何だりお? 突然こっちに来て」

「今、誰か女の人に会おうと考えてたでしょ?」

「心でも読めるのか、お前……俺はただ、返しそびれたものを返そうと思っただけだ」

「ふーん? 本当に? それだけ?」

 頬を膨らませて、じろじろと見てくるりお。

 どうやら、知らない女性に会おうとする流人にやきもちを焼いてるらしい。それはそれで可愛らしいものだが、少しは兄離れして欲しいと流人は思った。

 とりあえずたしなめようと、口を開きかけたその時。

「はっ、〈フェシット〉と人間が兄妹ごっことは。恐れ多いことだなぁ?」

「え?」

 背後から厳しい声が投げられた。

 振り返ると、ボサボサ髪の少年が立っている。

 一体誰だっけ──と考える前に、流人の頭には昨日の映像が浮かんでいた。りおと修司をにらみつけていたクラスメートの一人。その後の自己紹介の時間で聞いた名前は、『鳴滝アキラ』だったか。

 間近で見る顔は、無愛想を通り越して陰気な表情をしている。目線は切れるナイフのように鋭い。そしてその鋭さは、今は流人に向けられていた。

「おい、貴様」

「何だよ?」

「〈フェシット〉は人間が造った人形だろう。そんなものと仲良くしてどうする」

「いや、でも……こいつは俺の妹だし」

「だから、わざわざ『お兄ちゃん』してやってるのか。感動的だな」

 明らかに馬鹿にしたように肩をすくめる。

 これにはさすがに流人もむっとしたが、りおが動くのが先だった。

 流人をかばうように立つと、少年をにらみつける。

「ちょっと、いきなり何なのよ! 喧嘩売る気なら……」

 そして、何かに気づいたかのように、目を瞬かせる。

「あれ、あなたひょっとして……」

「いいか、俺は貴様らみたいな脳天気な奴らを見てると虫唾が走るんだ! 人間と〈フェシット〉がつるむな!」

 一方的に言うと、アキラは自分の席へと戻っていった。

 唖然とした表情で流人はそれを見送った。この学園の生徒は〈フェシット〉への理解があるとりおは言っていたし、クラスメートもりおや修司と仲良くしているようだったから安心していたが、何ごとにも例外はあるらしい。

 修司も同じことを考えたのか、顔をしかめながらつぶやいた。

「あいつ、きっと〈フェシット〉が嫌いなんだな。それにしても嫌な奴だ」

「う、うん」

 りおもうなずいたが、その声にはどこか疑問が含まれているようだった。

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