第13話 家令マルニード

 そろそろだろうなと思っていれば、案の定シュビラウツ家の扉を叩く音がした。


「ようこそいらっしゃいました、ハイネ様」


 玄関先にはゴシップ誌の記者であるハイネが、腹の前で両手をぎゅっと握りしめて立っていた。視線は中途半端にマルニードの胸辺りを泳ぎ、妙な緊張を負っている。

 マルニードは用件など聞かず「どうぞ」とだけ言うと、ハイネをいつかの部屋へと通した。

 メイドのフィスに頼んで、温かい紅茶をハイネに出してもらう。

 ハイネはテーブルに置かれた紅茶の赤い水面を覗き込むようにして、顔を俯けていた。


「ご当主様のことが気になりますか?」


 ハッとしたように、ハイネの顔が上がった。

 今日初めて、彼と視線が合った瞬間だった。しかし、すぐに再び顔が俯いていく。ハイネは、ミルクも砂糖も入っていないストレートの紅茶を、添えられたスプーンで混ぜはじめた。


「……どうして、分かったんですか」

「遺言状関連の一連の記事は全てハイネ様が書かれたのでしょう?」

「はい」

「あの記事にはシュビラウツ家のことも、人々の噂のことも、ルーイン子爵家のことも、ナディウス殿下のことも全て書かれているのに、なぜかご当主様のことだけはすっぽりと抜け落ちていたので」


 カチンという甲高い音を最後に、紅茶を無意味に混ぜていたハイネの手が止まった。


「マルニードさん……僕は取材を進めていくうちに、誰の言葉を信じればいいのか分からなくなってしまったんです……っ」

「だから、わたくしの所へ?」

「一番近い人が一番知っている――それが、僕がこの件の取材で唯一学んだことです」

「人間は嘘を吐く生き物ですから」

「マルニードさんも嘘を吐くんですか?」


 マルニードはその問いには答えず席を立つと、窓辺へと歩を進めた。

 窓の外は木々に覆われ、すっかり色づいたガーネット色の世界が広がっている。


「ご当主様……いえ、ここから先は、わたくしが呼び慣れた『お嬢様』と言わせてもらいましょう」

「リエリア様はどのような方だったんでしょうか」

「お嬢様は、よく笑われる愛らし方でした」



 

 リエリア・シュビラウツは、シュビラウツ家がファルザス王国に来てから迎える六代目の跡継ぎだった。

 それはつまり、自由を約束された娘であるということ。

 彼女は両親にこよなく愛され育った。

 多少恥ずかしがり屋なところもあったが、それでも両親や使用人の前では無邪気にはしゃぎ、踊り、歌い、庭師と共に花を摘んでは、こっそりと母親にプレゼントするような心優しい少女だった。

 しかし、彼女の本質を知るのは、このシュビラウツ領に住まう者達だけ。




「やっぱり、今まで聞いた話とまったく違います。噂では悪役令嬢って言われるくらいだし、取材で聞いた人達は彼女はとても静かな人だって……そういえば、彼女は社交界にも顔を出さないと。それはどうしてです?」

「ハイネ様は弟妹はいらっしゃいますか?」

「いえ、一人っ子で」

「では、子供を持ちたいという思いは?」

「こっ!? こ、子供はそりゃ持ちたいですけど……なかなか相手が……その……」


 もじもじと肩をすぼめると一緒に口先を尖らせていくハイネに、マルニードは眉を垂らして微苦笑した。

 本当に分かりやすい者だ。感受性豊かなのだろう。


 ――だからこそ、イース様はこの青年を選んだのでしょうね。



「もしハイネ様が家族を持たれた時、いわれの無い悪口や嘲笑がはびこる中へ、我が子や妻を入れたいと思いますか?」

「そんなの絶対嫌ですよ! ――っあ」


 どうやら彼は、なぜシュビラウツ家が他の貴族と交流してこなかったのか理解してくれたようだ。

 ハイネは端から見てもはっきり分かるくらいに肩を落とし、一緒に眉尻も口角も落としていた。


「僕……なんだか……恥ずかしいです」

「あなたが恥じることは何もありませんよ」

「そんなことないです! だって、僕もこうやって取材してなきゃ、シュビラウツ家だから悪く言われて当然って未だに思ってましたもん!」


 正直者だな、とマルニードはほほと、口元にあてた手の下で柔らかく笑った。


「皆、ハイネ様のようであれば良かったのですが……」


 語尾に込められた反語を敏感に拾い、ハイネはさらに憂色を濃くした。

 こればかりは彼に言ったところで、どうしようもないことだ。彼一人が理解してくれたところで、何も変わらない。


 今はまだ。


「話が逸れてしまいましたね。お嬢様は、ご両親を亡くされてからはしばらく部屋に籠もられておいででした」

「確か火事……でしたよね。結構酷かったと聞いています」

「真夜中でした。わたくし達使用人もすっかり寝静まった後です」

「火元は? どうしてご夫妻だけ逃げ遅れたのでしょうか」

「火元は先代当主様の執務室です。最初に火に気付いたのはお嬢様でした。ドタドタという大きな足音で目を覚まされ、そして様子を見に部屋を出たら、階下の執務室が燃えていたと。わたくし共は情けないことにお嬢様の悲鳴で事態に気付きまして……とにかくお嬢様を避難させることを第一に動きました。もちろん先代当主様方も探したのですが残念ながら……」

「ご夫妻は寝室で寝ていて間に合わず……ということで?」

「いいえ。お二人は寝室ではなく、火元の執務室で発見されました」

「……ど、どうして……」

「さあ?」


 マルニードは肩をすくめ、目を丸くしているハイネに「冷めますよ」と紅茶を勧めた。

 ハイネは言われたとおり、大人しくカップに口をつける。しかし視点は紅茶に向けられず、カップを手に取った瞬間からちっとも動いていない。

 思考をぶらさぬようにしているのだろう。

 しかし、彼に考えてほしいのはここではない。


「また逸れてしまいましたね。それで、長らく部屋に籠もっていたお嬢様でしたが、次に部屋より出てこられた時、手には例の遺言状が握られていました」


 遺言状という単語に、やっとハイネの意識がこちらへと戻ってきた。


「そんなすぐに書かれたものだったんですか……両親を亡くしたばかりの、まだ十七の少女が……」

「お嬢様は本来とても強いお方なのですよ。ええ、ええ……とても賢く、それでいてとても大胆で」

「そんなようには……だって、殿下にフラれたからって首を吊るような……か弱い女性だとばかり……」


 マルニードはようやく窓辺からハイネの元へと戻る。


「あ、そうそうハイネ様。カウフ様が停戦条件を全て五代までと定められたことは、覚えてらっしゃいますか?」

「え、あ……確か五代条項って言うんですよね」


 よく覚えていたとばかりに、マルニードは指先だけの小さな拍手をハイネに送った。


「ここまでシュビラウツ家と向き合ってくださったのは、ハイネ様が初めてですよ。最初の動機がどうであれ……」


 ははは、とハイネは固い声で下手な愛想笑いをする。

 しかし、彼はもうシュビラウツ家に偏見は持っていない。

 むしろ……。


「そんなハイネ様に、何故カウフ様が五代で区切られたか、特別にお教えいたしましょう」


 さすがは記者。

 目の輝きが一瞬にして取り戻された。


「五代……それが人々の心から、憎しみが消え去るまでに必要な時間だと、カウフ様は見積もられたからです」

「憎しみ?」

「ファルザスの民が、先祖を殺したロードデールに――将であったシュビラウツに向ける憎しみです」


 あ、とハイネは今気付いたとばかりに、口元に手を近づけた。

 それもそうだろう。ファルザス王国の民の中で、先祖を殺されたからという理由でシュビラウツを憎んでいる者など、とっくにいないのだから。

 皆『裏切りの』などと枕詞をつけてシュビラウツを呼ぶが、そう言って怒るべきはロードデールの民でファルザスではない。


「な……なんで……いつから僕たちは……」

「ご存知ですか? 多くの人をまとめる一番手っ取り早く簡単な方法を」


 え、とハイネは瞼を震わせている。


「それは……偉い人が命令をすれば……」


 マルニードは首を横に振った。


「ひとつ、異分子を置くことですよ。村八分、魔女狩り、生け贄……人々は貶めてもいいものを与えられたとき、いとも簡単に団結するものですから」

「それって……シュビラウツ……」


 ハイネは瞠目して、なんとも言えないような顔をしていた。


「ハイネ様、どうか最後まで取材を続けてください。そして、全てを見届けてください。その後記事にするかしないかは、あなたにお任せします」


 すっかり黙りこんでしまったハイネに、マルニードは「紅茶のおかわりは」と聞いた。

 ハイネは、一口分しか減っていない紅茶を見て「もう大丈夫です」と腰を上げ、シュビラウツ邸を去った。




 玄関まで見送った後、扉を閉めて振り返れば、そこにはイースがニヤニヤした顔で立っていた。


「随分と話してやってたじゃないか、マルニード」

「ふふ、ああいう愚直な青年は好きですからね」


 イースは「甘いよな」と高い天井に向かって息を吐いた。


「それより、イース様は国へ戻られなくてよろしいのですか?」

「知ってるだろ。あっちには今俺より優秀な人がいるって。父親もすっかり気に入ってるようだしな」

「では、イース様はこちらでやるべきことをなされてくださいね。なんですから」

「そうだな、はっきりさせないとな」

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