第12話 王子ナディウス③-2

 すぐにナディウスは、二通の手紙を出した。

 一通はルーイン子爵家である。

 シュビラウツ家の印章を持っていると新聞で読んだが、じつは先日、王宮にシュビラウツ家の偽物の印章を持ってきた者がいたため、本物であるかの確認が必要であるという旨の手紙だ。

 さすがに王子からの手紙は無視できまい。


「――印章が本物かの確認と言うことですが、間違いなく私が持っているものは本物ですよ」

「わざわざすまないね、ハルバート卿。だが、それを確かめるためだ。本物であれば、多少婚姻書の提出が遅くなるくらい、なんの不都合もないはずだろう?」

「ま、まあ……」


 ナディウスは王宮にやって来たハルバートを、にこやかな顔で迎えた。

 婚約書を出された後では、少々面倒なことになると思っていたところだ。この様子なら、まだ婚姻書は出していないようだ。


「で、そちらの君は誰かな?」


 ナディウスはハルバートと少し離れた所に立つ男を見遣った。ハルバートと共にやって来たのだが、彼の侍従には見えない。

 身なりは、貴族ほどではないが平民よりもは金が掛かっているのが分かるもの。貴族や王子を前にしてもまったく物怖じせず、背を曲げることなく堂々と立っている。おそらく、そこそこに大きな商人か何かだろう。


「ご挨拶遅れまして申し訳ございません。私はロードデール王国の商人でイースという者。ハルバート様が本日こちらで、印章の確認をされるという話を小耳に挟みましてね。関係者である自分も是非同席させていただければと思った次第です」

「ロードデールの商人のイース……って、三人目の候補者か!」


「ええ」と、イースは笑った。

 どうせただの野次馬勢だとまったく眼中に入れていなかったが、なるほど。


 ――金と貿易権目当てか。


 シュビラウツ家は貿易商としても有名だ。そこの市場を一気に手に入れようということだろう。

 商人であれば、シュビラウツ家とも取引があったはずだ。

 契約書を交わす上で印影を手に入れた可能性が高い。とすると、彼も偽造印を作っている可能性が高い。まだ手元にないのか、それとも他の出方を窺っているのか。


 ――何はともあれ、監視は必要だな。



「確かに部外者というわけでなさそうだ。いいだろう、同席を許そう」

「感謝申し上げます」


 商人のくせに、実に美しいお辞儀ボウアンドスクレープをする男だと思った。





 ナディウスはいつかの貴族院の部屋へと、二人を連れて入った。

 そこには貴族院の二人ともう一人――。


「あ、どうも!」


「え、き、君は!?」とハルバートが驚きの声を上げる。

 もう一人――記者のハイネが待っていたとばかりに、トレードマークであるメモとペンを構えて立っていた。

 ナディウスが手紙を送った二通のうち、もう一通の宛先はローゲンマイム社だ。


「ああ、私が呼んだんだよ。印章を手に入れたと大々的に国民にも知れ渡ったんだ。であれば、その先も国民は気になるだろうと思って、あの新聞社の記者を呼んだんだ」

「おめでとうございます! この後教会へ行くときも是非密着させてください」


 ハルバートは顔を強張らせていたが、一度深呼吸をすると、にこやかな笑みを浮かべ「ああ、よろしく頼むよ」と言っていた。


 飴色の机の上には、今回も一冊の本が用意されている。

 壁際には貴族達とイース、ハイネがならび、当事者であるナディウスとハルバートだけが机に置いてある本の前に立つ。

 イースは余裕に腕を組み、ハイネは興奮に鼻息を荒くしている。一方、貴族達はいささか困惑気味であった。

 それもそうだろう。

 彼らは、この間ナディウスが本物の印章を持っていると思っているのだから。

 間違いなくハルバートとナディウスのどちらかが、この時点で偽物となってしまう。


 ――まあ、もう答えは決まっているがな。



「それじゃあ、印章を押印した紙は持ってきてくれたかい?」


 ナディウスが掌を差し出す。


「ええ。印章を持ってこいと言われず安心しました」

「はは、ハルバート卿が印章を持っていることは皆知っているからね。万が一、持ち歩いている時に襲われて奪われてしまっては大変だ。照合など印影さえあれば充分だし」

「賢明なご判断恐れ入ります、殿下」


 ハルバートは懐から折りたたまれた紙を取り出し、ナディウスへと渡した。そこには確かに、シュビラウツ家の印影が記されている。


「悪いが、私が確認させてもらうよ。他家の印章を、他の貴族に見せるわけにはいかないものでね」


 これについては既に貴族院の者達とも話は済んでおり、やはり王子であるナディウスに見られるのと、同じ貴族にみられるのとでは忌避感が違うようだ。

 採用された方法は、本の中からシュビラウツ家の登録証のみを抜き取り、皆の前で照合してみせるというもの。

 というか、元々それしか方法はない。

 シュビラウツ家の登録証は、既にナディウスが破りとってしまっているのだから。

 では、とナディウスは本の陰で登録証を取り出し、あたかも今抜き取ったかのように見せた。

 これ見よがしに登録証を机の上に置き、印影のある紙を重ねる。

 誰かの唾をのむ音が聞こえた。


「――ハルバート卿」

「はい、いかがでしょうか。寸分の狂いなくぴったりで――」

「君にはがっかりだよ」


 誇らしげに答えたハルバートの声を、ナディウスの落胆した声が遮った。


「偽物を作ったようだな」


 ナディウスが貴族達に目線をやれば、分かったように二人はハルバートを両側から拘束する。


「なっ!? 何をするんだ! 偽物!? そんなはずはないだろう!!」

「確かにシュビラウツ家の家紋だがな……よく見てみろ。こうして重ねてもまったく合わないじゃないか」


 ナディウスは全員に見えるように、登録証と印影のある紙を顔の前に掲げて重ねて見せた。

 全員の目が今やたった二枚の紙に釘付けだった。


「そんなはずは――! 待て!! それは私が用意したものじゃない! 偽物だ!」

「ああ、偽物だ。ハルバート卿の持つ印章はな」

「違うっ! 私の印章は本物だ! その紙が――」

「これ以上騒ぐな、見苦しい。二人とも、今すぐその者を王宮から追い出してくれ。リエリアの死を利用して金を得ようなどと……おこがましすぎるわ」


 まだハルバートは叫んでいたが、貴族の二人にがっちりと拘束され、引きずられるようにして部屋を追い出されたのだった。

 残るは壁際で、見てはいけないものを見てしまったと呆然としているハイネと、相変わらず意図の掴めない微笑を浮かべているイースだ。


「え、あの……え? に、偽物?」

「ああ、残念なことにな。だが、はじめからこういう輩も出て来るだろうことは予想できた。だから、今回婚姻書を出される前に確認させてもらったんだ」


 なるほど、と言いながらメモにペンを走らせるハイネだが、その顔はまだ混乱に満ちている。あれだけ記事でハルバートは自信満々に印章があると言っていたのだ。まさか、という思いでいっぱいなのだろう。


「ハイネ。今回のことは同じ事を考える馬鹿が出ないよう、大々的に報じてくれ。許されることではないと。貴族からこのような者が出てしまうとは、実に残念だ」


 ナディウスは傷心を眉間に表し、俯くようにして首を横に振った。


「それでイース殿はこれで満足かな」

「ええとても。これで私と殿下の一騎打ちになりましたしね。どちらがリエリア様と結婚できるのか、楽しみですね。ああ、そうそう……ハイネが何やら殿下に聞きたいことがあるみたいですよ――」


 イースは長い足を動かし颯爽と目の前を横切って、ドアに手を掛ける。


「――先日王宮を訪ねた少年について、ですよ」


 そしてイースは声を出さずに、ナディウスに向けて口だけ動かした。


「は?」


 ナディウスの声に応えたのはパタン、というドアが閉まった音だけ。

 その音を合図に、ハイネが自分の役目を思い出したとばかりにペンを握り直す。


「ああ、そうでした! このまま殿下にインタビューさせてほしいんですが、その前にひとつ確認したいことがありまして」


 しかし、ナディウスはハイネの言葉より、今し方イースが残した言葉の方に全てを持って行かれていた。

 少年が王宮を訪ねたのは衛兵も知っていることだし、耳の良い商人が知っていてもおかしくはない。

 しかし、どうしてあの男が少年が『盗掘』したと知っているのか。


「それで実は、その少年と同一人物と思われる者が、ルベル川に遺体として浮いていたのですが、何かご存知でしょうか」

「………………は?」



 ――あの少年が……死んだ?


 自分は、何も、知らない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る