第35話 繰り手はだれか

「──秋良。一花の親父さんの名前ですね」

「────」


 霧崎秋良。

 森谷も、その名は知っている。面識はないが千歳がずいぶん可愛がり、景一が兄弟のように慕っていたことはよく話に聞いていた。愛妻家であり子煩悩であったことも、──ある日を境にその姿を消したことも。

 あの日から、黒須を取り巻く環境は一変した。

 森谷は首を振って将臣に微笑みかける。

「それで。まークンはなにが聞きたい?」

「ええ、……森谷さんが黒須の人間だということを踏まえると、すこし聞きたいことが変わってきました。初めは黒須景一という人について聞こうと思っていましたが、いまは──そうですね。どこまでが偶然で、どこからが必然だったのか。おれはそこが気になっています」

「────」

 やはり聡い子だ、と森谷は苦笑した。

 将臣のとなりに座る博臣も、すこし苦虫を噛み潰したような顔で、自身の前に置かれたポテトに手をつけた。はてさて、何から話せばよいのか──。

「偶然と必然ね。──オレが分かる範囲で言えば、この世に偶然なんてものはないんちゃうやろか?」

「というと?」

「たとえばオレたちの出会い。あの日、あの場に居合わせたことかて偶然の産物なんかでなく、仕組まれていたことやとしたら? それだけやない。キミとイッカの出会い──いや、再会も計算されたものやったとしたら? イッカがあの街に移り住んで、キミとおなじ高校に入って、キミたちが友だちになったことも、オレが捜査一課で沢井の龍クンといちばんのマブダチになったんも、全部全部」

「────」

 将臣はゆっくりと博臣を見る。

 視線を浴びる本人は、食べる手を止めない。ふたたび将臣が森谷に顔を向けたとき、彼の顔はわずかに青ざめていた。

「え?」

「すべての事象の先に伸びた糸を、操る人間がいてるかもしれんっちゅーこっちゃ。ねえ、和尚」

 と、森谷に話を振られてようやく、博臣は視線をちらと息子に投げて「ああ」と無感情につぶやいた。

 森谷は肩をすくめてつづける。

「オレが分かるのはそのくらいやで。オレかて所詮は、糸繰り人形のひとりにすぎひんのやさかい」

「その糸の先にいるのはいったいどなたです?」

 将臣の声がわずかに尖った。

 森谷はやさしく微笑む。

「はて、誰やろな。オレについとる糸の先には黒須家がいてるかもしれんけど、さらにその先、黒須から伸びる糸の繰り手は分からへん。というかここ十数年、黒須はその繰り手が誰なのかを躍起になって探しとんねん」

「黒須家すらも操られていると?」

「そうや。今回景一が巻き込まれた事件かて、もともとはその黒幕が仕組んだモンやろうと見てる。でも、千歳姉やんも黙ってへんかった。いろいろ防衛張って、景一を助けようとしたんやろな。結果、ふたりの犠牲と実行犯の尻尾切りが起きたわけやけど──景一は無事やった」

「実行犯、そういえば港から遺体があがった、とニュースでやっていましたね」

「ああ」

 ここで森谷は声をひそめた。

「六曜会っちゅー組織や。黒須家は、この六曜会をまとめる元締めがいてると睨んどる」

「元締め──」

「ほんでもってその元締めを知る鍵、それを古賀一花──もとい、霧崎一花が握っとる。千歳姉やんや景一はそう見とんねん」

「一花が?」

 いよいよ将臣は珍妙な顔をした。突然、場違いな名を聞いて動揺している。しかし森谷はサンドウィッチをぱくりと食べて、しっかり呑み込んでから声量をもとに戻した。

「っと、まあオレが知っとるんはこんくらいや。どうせオレは黒須の、というか千歳姉やんの下僕にすぎひんさかいな」

「────」

「でもなまークン」

「?」

「キミらの出会いが偶然にせよ必然にせよ──重ねた歳月から生まれたもんは、何者も邪魔できひんはずや。いまのお前らはお前らが作り上げた。せやからオレは、お前ら三人がだいすきやねん」

 ホンマやで、と森谷がわらう。

 将臣はその言葉の意味こそ図りかねたが、此度の問答にて生まれた心のしこりは、彼の笑みによって不思議と綺麗さっぱり消えた。


 あとは惰性に思い出話をつらつらと並べる時間だった。

 話すうちに胃袋の憂鬱さも消えうせたので、頼んだサンドウィッチだけでは物足りず、話をしながら新たにメニューを手に取った。

「そうそう。せやから千歳姉やんと景一は霧崎はんも誘って、よう心霊スポットとか行ってたみたいやで。ほら、ああいうヤンキー気質の奴らはやたらと度胸を試すのが好きやんか。オレには理解でけへん趣味やけどな──」

「霧崎さんは霊感とか、あったんですか?」

 と、将臣が父を見る。

 博臣は「ぜーんぜん」とめずらしくくだけた口調で、首を横に振った。

「ゼロ感だった」

「じゃあ、奥さまが?」

「んン。そうだなァ、彼女は名前を絢世あやせといったが、なんとなく勘が良いところはあった。それでもイッカちゃんのような霊感はなかったとおもうがね。第一あの子だって、まだお前といっしょに遊んでいたころは霊のれの字も出なかったんだ。古賀に連れられて帰って来てから、急にそういうことを言い出した」

「霊感とかは遺伝によるものとよく聞きますけど」

「だったらお前のゼロ感はどう説明すりゃいいんだ」

「おれのは、母さん似です」

 と、将臣は目元に笑みを浮かべながら視線を森谷に戻した。

 親子の対話を聞きながらウェイトレスに追加注文をしていた森谷は、自身の秘密を話したことで背負っていた重責も離すことができたからか、自然に湧き上がる笑みを隠しもせず、さらに思い出話をつづけようとしたときだった。

 話は変わりますけど、と唐突に将臣がつぶやいた。

「景一さんの事件は被疑者死亡で片付いたんですよね。森谷さんの方の事件は、まだ捕まらないんですか。あっちもプロの犯行だとかなんとか」

「いやに詳しいな。せやねん。あの被害者の宮内少年。ニュースでもやってるやろ、えらいエエ子が両脚切断でころされたっちゅうて」

「ええ。このあいだ、朝のワイドショーで軽く特集組まれていたのを見ましたよ。熱の入れようが違いましたね。バラバラの部位はまだ発見されていないんですか」

「ああ。まったく、一件目は腕、二件目は脚──いったいなにに使うつもりなんか知らんが、勘弁してほしいわ」

「────」

 ドリンクバーの珈琲をひと口飲んだ将臣が、はたと動きを止めた。

「腕と、脚か──」

「もうホンマ、腕と脚の使い道が分かるんやったら教えてくれへん? 妊婦やら闇バイトやら、いろんな風呂敷広がって収集つかへんねん」

「妊婦?」

 と。

 いよいよ将臣が顔をあげた。

 となりに座る博臣がちらと息子を見た。その視線が(なにを言うつもりだこいつ)と言いたげに歪んでいる。しかし森谷は来た、とおもった。大きな声では言えないが、これまでも妙な事件が発生した際には幾度かこの少年に助言をもらったことがあった。正直なところ、今回もまたなにか手がかりになる話が聞けるかもしれない──と期待してここに来た節もあったからだ。

「なんか気になることある?」

 と、森谷が身を乗り出す。

 ああいや、と将臣は苦笑した。

「事件に関係あるような話とかじゃないです。このあいだ、講義で聞いた話を思い出しただけで」

「講義っちゅうたら、歴史とか民俗学とかそっち系の話やろ。ええやん、聞かせてや」

「はあ。そんなおもしろい話じゃないとおもいますが──文化人類学の講義で担当の准教授から教えてもらったんです」

 といって、将臣は実父を気遣うように横目で見てから、博臣がちいさくうなずいたのを見て滔々と語り始めた。その語り口にはいっさいの無駄がなく、その語り手が発掘した出土遺物についての説明が端的に語られ、その遺物がつくられた背景となる風習についてなども含めて、ものの三分ほどで話し終えた。

「呪詛──?」

「ええ。だから、あまり事件解決には役に立たないとおもいますよ。人体の部位とか、妊婦とかって単語からちょっと連想してしまっただけです」

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