第四夜
第20話 面会ふたたび
面会だ、と。
牢の鍵を開けられた。
身元も明かさぬ男相手に、いったい誰が会いに来るというのか。重い腰をあげる。ふと、先日とおなじ刑務官が同伴することに気が付いた。彼は興味深げにこちらを一瞥した。じろじろ見られるのは好きじゃない。そっけなく視線をそらすと、刑務官は一言、
「不思議な青年だな」
とつぶやいた。
なんの話か。慣れた沈黙でやり過ごす。が、刑務官は気にせず面会室の扉に手をかける。
「今日は沈黙で終わらなさそうだぞ。お友だちを連れてきたみたいだから」
友達?
それは──。
面会室への扉がひらく。無造作に伸びた髪の隙間から、アクリル板の奥に座る姿を確認する。そこにいたのは先日突如やってきた見知らぬ青年がひとり。ほかに姿はない。
刑務官を見た。彼は面会室の向こう側を示すように指をさす。外にいると言いたいらしい。
前回、青年は対面に座るや、挨拶も自己紹介もなくただじっとこちらを見つめ続けた。今日もあの沈黙がつづくのだろうか。ぶるり、と背筋が冷えた。
「失礼します」
刑務官がひと声かけた。
そのまま身を扉に寄せて、先に入れとうながす。ゆっくりと部屋に入る。青年は大きな瞳をかっぴらいてこちらを凝視していた。なんという眼力か。
いや。関係ない。
とかく自分に求められるは沈黙ひとつである。
沈黙を、
「やあ。また来ちゃいました!」
前回と打って変わり、青年は満面の笑みでそう言った。
*
「前回また来るって言ったから、また来ました。こんにちは」
という恭太郎の声に、男はアクリル板の向こうでうつむく。表の無音とは裏腹に音がよく聞こえる男だ。話を聞く限りは勾留時からほぼ沈黙を貫いているとのことだが、恭太郎の見立てではこの男、本来はものすごく言葉豊かではなかろうかとおもう。
意図的に黙しているワケがある。
それがなにかはまだ明確には分からない。しかしそこに不協和音は聞こえない。恭太郎は、まだ対面して二回目であるこの男の本質に、自身とおなじ陽の気を感じている。三橋に言ったとおり「罪がない」かは分からない。だが少なくともこの男は、わるいだけのヤツではない──。
面会室には、男と恭太郎、刑務官の三人のみ。
拘留中の人間と面会する際、当該事件に関する会話は禁じられている。もとより恭太郎ははなからそんな話をする気はない。アクリル板の向こう側でうつむく男をじっくり見て、声を聞いた。
──黙秘。
──黙秘。
──黙秘。
彼は、呪文のようにそればかり。
逆を言えばそれほど言い聞かせないと、この二十分足らずのわずかな面会時間においても、沈黙を貫くのが容易ではないということ。現に恭太郎には聞こえている。彼の声の裏で同時に鳴りひびく苦悩の音が。
またも五分ほどの沈黙。
しかしほどなく、恭太郎は口火を切った。
「前回はあなたの話ばっかり聞きましたから、今日は僕の話を聞いてもらいます」
──俺の話?
前髪の奥から覗く男の瞳に、動揺が走る。
とうぜんである。前回の面会時、彼はひと言だって声を発してはいない。
恭太郎はアクリル板に顔を近づけた。
「僕には友人がいるんです。ふたり。今日はそいつらについてお話ししたくて」
「────」
「高校の時に仲良くなった寺の息子がいます。母親似のとんでもない大食い野郎で、一度見聞きしたものは意地でもわすれない執念深い男なんですが、なんでか頭の羅針盤は狂っているのか極度の方向音痴なんです」
「────」
男の喉がごくりと鳴る。となりの刑務官は、会話内容を書き留めるためにひたすらペンを滑らせる。
恭太郎はつづけた。
「そいつとは大学に入ったいまでもいっしょにいます。この土日も結局ヤツの家に泊まったんですよ、あの寺は静かでいい」
「────」
「そう。僕は耳が良くて、いろいろと余計な音を聞いてしまうんです。それは声や物音だけじゃなくっていろんな──雑音も含まれます。もう慣れましたけど。でもね、中学時代の僕はまだそれほど音に対して寛容じゃなかった」
「────」
「僕が聞こえる音のなかで、いっとう嫌いな音があるのです。いまここで表現するのは難しいんですが、これがまあひどい不協和音なんだ。僕はこれまでにふたり、あの音を響かせる人間と出会ったことがあります。ひとりはこのあいだここに座っていた少女です。知ってますよね、小宮山灯里」
わずかに男が身じろぐ。強張る肩からは緊張感が伝わってくる。
恭太郎はつづけた。
「僕はあの音を聴くとどうも、居てもたってもいられなくなってしまう。だからあの日も、柄でもないのにああやって手を焼いてしまった。まったく、僕らしくないったら。でもあの音を初めて僕に聴かせたのは──僕のもうひとりの友人です」
「──…………」
男の目が、ぎょろりと恭太郎に向けられた。
恭太郎はつづけた。
「あの日はぽつぽつと雨が降り始めたころだった。雨はいろんな音をかき消してくれるから好きなんですが、どうしてかひとつだけちっとも消えない音があった。そう、あの音です。いったいどこから聞こえているんだとおもったら、アイツが雨のなかに立っていた」
「────」
「彼女トロいんですよ。屋根のあるとこに入りゃあいいのにざあざあ降る雨の中でひとりつっ立って、なのに濡れた服を絞ってた。おまけにあの音がうるさいもんだから、僕は我慢できずに話しかけました。こんなところで何やってるんだって。そしたら」
ここまで言って、恭太郎は閉口した。
つい今まで穴が開くほど男を見つめていた目を伏せる。反対に、俯く男はいつの間にかまっすぐ顔をあげて恭太郎を見返す。刑務官の手のひらがじとりと汗に濡れた。この面会室には異様な緊張感が漂っている。
「迎えを待ってるんだ、って言った」
「────」
「でも、親が来るのかと聞けば違うというんだ。だれが来るんだと聞けば『わかんない』だと。こいつはきっと頭がおかしいのだとおもって、僕の家に連れて行きました。さいわいうちには姉が三人もいるので、女物の服には困らなかったからです」
「────」
「それに話を聞いたら僕とおなじ中学に通っているという。お互いちがうクラスだったから知らなかったけど──その日から今日まで、僕はあの音を消したくて彼女のそばにいるようになりました。あの音がどういうものか彼女と過ごすなかで分かってきたからです。そんな僕の多大な貢献によってか、いまではあの音もずいぶん小さくなった。でもまだ聞こえてる。僕はね、おじさん」
伏せた瞼を持ち上げて、ふたたび男を見据えた。
「彼女のあの音は──迎えが来ない限り、鳴りやむことはないと思っているんだ」
男の目が見開かれる。
恭太郎は、つづけた。
「僕は、藤宮恭太郎といいます。貴方はだれですか?」
────あ。
男の喉がひくりと動く。
第三者たる刑務官にはおよそ理解できぬだろうこの脈絡のない話で、しかしたしかに、この沈黙者の心は動かされたようだった。これまで一筋の光も射さない暗渠の色を浮かべていた瞳に、ぼんやりと生気がもどっている。刑務官はその変化に気が付いた。
現在、経過時刻は十五分。
あと五分か──と自身の腕時計を確認する刑務官をよそに、恭太郎はがたりと立ち上がった。
「あかりは元気にやっています。この土日に僕らも会いに行って、折り紙やら鬼ごっこやらで遊んできました。まだ事件の記憶と戦っているようだけど、でも同時に、アンタがベッドの下から見つけてくれたことが──とっても支えになったみたいだ」
「────」
「アンタが何者なのか、どうしてそこにいるのか。正直僕にはどうでもいいんです。でもひとつだけ教えてやるとするなら、アンタがすべきはそうやって逃げることじゃない。直接会えばその意味も分かるはずだよ」
と言って、恭太郎は身を翻し、面会室から外へ通ずるドアノブに手をかけた。
刑務官が「あっ」と腰を浮かせる。しかし同時に、となりの男もがたりと立ち上がっていた。虚無だけだった瞳が、恭太郎の背中に追いすがるような目線を向けて。
恭太郎は振り向かず、扉を開ける。
外からちいさな話し声が漏れ聞こえた。
「────の?」
「ああ、僕はもういい。言いたいことは言ったから。あと三分くらいだけど、お前なんか喋ってきたら?」
「なアにそれ。なんであたし、知ンない人と話さなくっちゃいけないのオ」
と、言いながら恭太郎の腕越しに面会室の中を覗く少女がひとり。──古賀一花。
一花はとろりと垂れた瞳を胡乱にさまよわせ、部屋内をじっくり物色してから、ゆっくりとアクリル板の向こう側で立ち尽くす男に気が付いた。
「────」
「────あ」
男の声帯がふるえたのを、となりの刑務官は耳ざとく聞き取った。
そのまま出ていこうとする恭太郎を引き留めながら、控えめに部屋へ入る一花。アクリル板からはすこし距離をとって、立ったまま一花が男と対峙する。
あと一分。
なにを喋ろう──と一花は視線を彷徨わせた。そもそも、会えと言ったのは恭太郎であって、一花が会いたいと声をあげたわけではない。なぜ知りもしない囚人と自分が話をせねばならぬのか。困った一花は恭太郎を見上げたが、彼は我関せずとそっぽを向いたまま動かない。
が、つぎの瞬間。
「────イッカ」
長き沈黙者の口からこぼれたのは、彼女が心を許した人間にのみ呼ぶのをゆるされる愛称であった。
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