第19話 キーワード

 萩原の聴取をもとに、病院から品川区にあたる各警察署へ問い合わせたものの、該当する性被害に関する被害届は受理していないと回答があった。

 性犯罪について被害届を出す割合はひじょうに少ない。

 たとえば強盗や暴行などの届出率が四十パーセント台であるのに対し、性犯罪は十五パーセント未満。軽微なものから重罪に至るまで、女性たちは被害者でありながら『恥ずかしくて』や『重大じゃない』という理由で届出を見送るケースが多い。

 以前瞳に聞いたことがある。

 なぜ被害を受けたのは女性なのに恥ずかしいのか、恥ずかしいのは犯人ではないか、と。

 しかし彼女はさも当然のごとく、

「自分がゲスな男の性的対象に見られたってことでしょ。挙句そんなゲスに身体触られるなんて屈辱以外の何物でもないよ。恥じらいじゃなくて、辱めなの」

 と言った。おまけに、

「お兄、警察官なのにそんなことも察せられないの。ちょっとは人の心持とうよ」

 などと追加で罵倒まで食らった。

 なるほど、とおもった。おまけに、既婚者やパートナーのいる女性が仮にレイプ被害に遭ってしまえば、相手を想って多少のうしろめたさを感じる人もいるだろう。女性に非がなくても、だ。

 もちろん性被害に遭うのは女性だけではない。少年期ならば男でも男女双方から性的虐待を受ける事例もある。しかし、性被害に遭う成人男性は一割にも満たない。それとて加害者は成人男性が主である。

 ──おろか。

 と、三國は内心で嘆いた。

 いつぞやどこかで『なぶる』という漢字を、他国の人間に読ませてみたという記事を見た。女を男で挟んでいるのだ──と説明をしたら、その人間は「守る」と答えたという。

 そうあるべきだ。

 性被害の事件に当たるたび、三國はまほろばに住む愛妹たちの将来を憂う。どうか未来、彼女たちを守ってくれるパートナーがとなりにいますように、と。

 明日にでも有栖川病院へ聞き込みに向かおう──と森谷と合意し、三國は仮眠室に入った。

 が、翌朝。

 バタバタと忙しない捜査本部、仮眠明けの三國と森谷を待っていたのは信じられない凶報であった。所轄刑事の難波があわただしく駆け寄るなりひきつった顔でこう言ったのである。


「萩原哲夫が──遺体で発見されました」

 と。


 ────。

 遺体発見場所は昨日訪ねたばかりの、彼のアパート付近にある公園内。

 茂みのなかに素っ裸で倒れているところを散歩中の老婦人によって発見されたという。現場に急行した森谷と三國は、規制線をくぐり、ブルーシートで隠された向こう側へ足を踏み入れた。すでに臨場した鑑識課の者たちがせっせと鑑識活動を開始している。

 遺体はうつぶせの状態で倒れていた。

 森谷はムッと顔をしかめ、そばにしゃがみこむ。

「つい昨夜まで生きとったのに──くやしいなぁ」

「死因は頸動脈からの失血死ですかねィ。うちとは別件かな」

「どうかな。ここ見てみ」

 と、森谷は遺体の首元にある裂傷を指した。

 三國がとなりに腰をかがめる。

「この切り口のほかはとくに外傷なし。深さは確実に命を仕留められる傷や。なんか臭うわ」

「バラバラじゃねえけど同一犯によるものってことですかィ」

「可能性はあるやろ。藤井隆文を知る数少ない人間が、たまたま通り魔に遭うてこない一瞬で仕留められるもんか? オレの勘がちがう言うとるわ」

「言いたいことは分かりますがね。しかしだとすりゃァ三人目。──うかうかしてらんねえっすよ」

「分かっとる。萩原が言うてはった闇バイトの件。あれ、追っかける価値はありそうやな」

「被害女性を特定して闇バイトの依頼人をあぶり出す?」

「まあ、そのためにはまず萩原んちの家探しからやな。行くぞ」

 森谷は立ち上がる。

 

 昨日訪ねたばかりの萩原家にゆく。

 大家に声をかけ、部屋を開けてもらった。つい半日前はここから寝ぼけ眼の萩原が顔を出したというのに。家主をうしなったこの部屋は不気味なほどの静けさに包まれている。

「意外と綺麗にしてますねェ」

「アイツ、ホンマはめっちゃ小心者やったんやろなァ。そのせいで借金もつくってもうて──でも上司に恵まれてやり直す機会ももろて、ここからっちゅうところやったんにな」

 部屋を物色しながら、背後で憂い気につぶやく森谷の声を聞く。

 六畳一間の1Kという間取りゆえ捜索範囲は広くはない。三國の目はほどなく、気になるものを発見した。

「あ。パソコンありました」

「中身見れるか」

「ピンコードがあらァ。生意気な──あ、でも付箋貼ってある。よし」

「どうや」

 白手越しにノートパソコンをいじる三國の背後から、森谷が画面を覗き込む。

 無事に立ち上がったデスクトップ画面にはいくつかフォルダがあるものの、事件に関係がありそうなものはとくにない。四つのうち三つが夜のお供コレクションである。いずれも女性優位のモノらしく、ソフトなものから少々ハードまで。フォルダナンバーが一、二、三とあがるにつれて、格納された動画の質も上振れしていくあたり、萩原の内なる願望が見てとれた。

「萩原が強姦バイトを降りた理由がなんとなく分かりやした」

「同感や」

 三國は最後のフォルダを開く。入っていたのはひとつのファイルのみ。

「こっちは──テキストファイルがひとつ」

「メモか?」

「ええっと」

 開いた。中には、二言三言ていどの文字がちらほらある。内容はそれぞれ『病院→家 定期チャージ五千円』『覆面マスク確認』など、おそらくは藤井と話しながら走り書き代わりに残したものだろう。

「『妊婦』、『事前に路地確認』、『自分は基本目付け役で有段者のタカが仕掛けて押さえつける』──」

「段取りか」

「ええ。あと──リップ」

「リップ?」

「ほらここ」

 三國が指をさす。

 不自然に送られた改行の先、森谷が目を凝らして画面を見た。


『R.I.P』


「!」

 ガタン、と森谷が姿勢を崩した。

 後ずさった拍子に家具にぶつかったようだ。明らかに動揺している。三國は眉をひそめた。

「森谷さん?」

「いや、すまん。ちとよろけた。お前これ、アールアイピーやろ。『Rest in peace』──安らかに眠れって意味の」

「はあ。なんか知ってるんですかィ」

「何かって?」

「アンタ、自分が思うより隠し事出来ねえっての知らねえんスか。明らかにようすがおかしいんですが」

 というと、森谷はムッとして三國を見下ろした。

「なに言うてんねん。おまえ失礼やぞ、仮にも先輩に向かって様子がおかしいとか。禁煙のせいでイライラしとんねん。ほっとけ」

「いや──」

 ──そういうのじゃない。

 とは思ったが、ここまで本気で不機嫌になる森谷もめずらしく、三國はつづく軽口を呑み込んだ。それにしてもこのR.I.Pという単語、直近どこかで聞いたことがある。なんだっけ──。

「あっ」

「なんや今度は」

「いや、なんか直近聞いたことあんなぁとおもったら、こないだホテルの事件で使用された弾丸が判明した、って三橋さんが沢井さんと電話で話してて──その弾丸が、R.I.P弾だったってんですよ。それを三橋さんがリップリップって呼ぶんで、移っちまって」

「R.I.P弾?」

 森谷の顔色がいよいよ沈んだ。

 明らかにいつもと様子がちがう。シリアス担当は、少なくとも彼ではないはずなのだが。

「あの事件、R.I.P弾が使われとったんか」

「らしいすよ。少なくとも一般的な日本人が簡単に入手できるわけもねえ、ってことで沢井さんたちは絞りにかかるみたいです。とりあえず拘束中の男は放免なのが決まりそうで良かったですがねィ」

「そ────」

 そうか、と。

 森谷は顔色をもどした。しかし、三國はもうここで問い詰めることはやめた。どうせ聞いたところで下手なウソをつかれるのがオチである。

「いや、向こうの件はいまどうでもいいんでさァ。このR.I.Pってどういう意図で書いたんスかね。藤井とのやり取りのなかで、この単語が出てきたってことなのか」

「そこは調べてみんことには分からへんな。ほか、メールの履歴があるはずや。藤井とのやり取りか、あるいは依頼人とのやり取りメールがありゃあええんやけどな」

 すっかり調子がもどった森谷の声をバックに、三國は手早くメールアカウントを探し、立ち上げる。

 萩原が闇バイトに応募したのはおよそひと月前のこと。その辺りのメールを探すと、ほどなく見つかった。タカとのやり取りが二件。その前には応募当選メールもある。

「あった。タカとはほとんどしてねえっすね、ああほら、会って打合せしようって話してまさァ。あとは依頼人のやつですが──チッ、これは捨て垢だろうな」

「まて」

 と、森谷はスクロールする三國の手を止めた。

 その目が依頼人のメールに注がれる。やがて彼はゆっくりと画面を指さした。

 依頼人からの応募当選の知らせ文面の最後。


「『R.I.Pより愛を込めて』──なんだこりゃ。まさかR.I.Pって、依頼人のハンネ(ハンドルネーム)か? ……」


 言いながら森谷を見る。

 彼は、いまにも倒れそうなほど蒼白な顔で、画面を見つめていた。

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