第11話 聞き込み捜査へ
和尚、と一花が跳ね起きた。
ふだんは仏頂面ばかりの父だが、一花が来るといつもとびきり優しい顔になる。それに対して不満を持ったことはないが疑問は浮かぶ。おもえば初対面のときからそうだった。父も母も、一花を見るなり好々爺のような顔をして迎え入れていた。
一花もその情は感じているのだろう。
ここに来るたび、まるで実親のように彼らを慕い、甘える。これまでは一花の実親が哀れとおもったこともあったが、先ほどの顔合わせでなんとなく一花の気持ちも分かった。たしかに──あのふたりは少々、なんというか、不気味だ。
父はいつもの定位置に腰を下ろした。
「司から聞いたよ。イッカちゃん、ずいぶん不機嫌だっていうじゃないか。どうした」
「────」
「イッカの親が来たんだ。家に」
恭太郎が代わりに答えた。
「なに?」
と、父の顔が一気に険しくなった。
おなじタイミングで茶請けを持ってきた母も、めずらしくムッとした顔で「あらア」とつぶやく。将臣は首をかしげた。
「ふたりとも、一花の親御さんを知っているんですか」
「えエ? 知らないわよう。お会いしたことないもの。でもほら、あなたとイッカちゃんが仲良くなってから一度もお会いしたことないでしょ。なんだか子どもに無関心な方たちなんだわっておもってたから──つい。ねえお父さん」
「ああ」
父は無表情につぶやいた。
──嘘だ。
と思った。
父ではない。母の言葉が、である。父が嘘をついていたとしても将臣には覚ることはできぬ。しかし母の嘘はわかる。彼女は嘘をついている。
こういうときは人間嘘発見器に聴くのが一番だ。恭太郎を見た。
しかしこちらの期待もむなしく、彼は身を起こして司が淹れてきた茶を啜ると、湯呑の水面を見つめながらつぶやいた。
「聞こえなかったんだ」
「ん?」
「音が。なんにも聞こえなかった。お前とか、和尚みたいにさ。お前ら以外で初めて会ったよ僕」
「──一花の親が?」
「うん。でもお前らみたいに隠しているっていうよりは、本当になにも音がないみたいな──静かでよかったけどちょっと不気味だったな」
「そうなの。気味がわるいのっ」
と、一花も同調する。
これまで彼女から、自身の親に対しての愚痴も印象もいっさい聞いたことがなかった。唯一聞いていたのは「親とは長らく会っていない」という事実だけ。しかしどうやら彼女はずっと両親に違和感を覚えていたのだそうである。
それは、彼女の心もとない海馬がかろうじて留めていた小学生の記憶から、ずっと。
「ずーっとあたしのこと、監視しているみたいに。ああやって笑顔貼っつけてさ。なにやっても怒んないし優しいし。まるで娘じゃなくってモルモットを見てるみたいよ。そんなのもう親子じゃないじゃんね」
「────」
それきり、一花は黙りこくった。
※
さて、三國である。
三橋一行を警察署へ送り届けたのち、自身は担当事件の捜査へともどった。まず急務は事件現場周辺の防犯カメラのチェック及び被害者と犯人のつながりとなる人間関係を洗い出すことにある。本件は所轄との合同捜査ということもあり、所轄の方では一件目の殺人を、こちら側で宮内少年の事件を追っている状況だが、依然として決定的な情報は掴めていない。
きっとまだ何かある。
三國は本庁の相棒たる森谷茂樹警部補とともに、事件発生から再三通った宮内家へと再度赴くことにした。
道中、森谷はしきりに胸や尻のポケットを漁る。
運転しながら左目の端がちらちらとうるさいので、すこしつっけんどんに
「タバコですかィ」
とつぶやいた。
彼はイライラしたようすで「おん」と言った。
東京警視庁には長いと聞くが、彼はいまだに関西訛りが抜けない。おまけに警察の人間にしてはすこし襟足の長い髪型と、色の濃いワイシャツを着用しているせいで、黙っていればホスト、口を開けば田舎のヤンキーのような印象を持たれがちである。
「アカン、せやった。オレこないだっから禁煙しとんねやった」
「エ。森谷さんが」
「もうええ歳やしな、身体のこと考えて」
「へえ。槍が降らァ」
「なんでやねん。ヘビースモーカーってほどちゃうかったやんけ!」
「まあどっちかというと、沢井さんのがヘビーっすかね」
「せや。あれでスナック行ったら龍クンのがモテるねん。だれや、喫煙者はモテへん言うたんは」
と言って、どこから取り出したかボトルガムを口に放り込む。
よほど口寂しいらしい。非喫煙者である三國には分からない感覚だ。
「ははァ。つまり森谷さんはモテるために禁煙したいと」
「や。ちが、そういうことちゃうやろ。なんや急に──」
「いやモテる云々言い出したのそっちですぜ」
「ええいうるさい」
しばらく車内には沈黙がつづく。
目的地はまもなくである。住宅街に入ったところで、森谷が手帳を取り出した。
「せや、ガイシャの死因についてやけどな」
「はい」
「一人目の藤井隆文も、二人目の宮内颯人も──死因は毒殺やて。こないだ藤宮先生が言うてた」
「毒? なんの」
「パラコート」
とは、除草剤の一種である。
かつてこの日本でも、パラコートを使用した無差別殺人事件が発生したことがある。時は一九八〇年代。およそ半年間のあいだ、日本各地の自動販売機周囲および受け取り口に毒物が混入された清涼飲料水が置かれ、第三者がやれ幸運だと手に取り、飲んでしまったことにより命を落とした事件である。
物的証拠や監視カメラ等の少なさもあって、犯人特定は困難を極め、結局迷宮入りした。
当事件を受けてパラコート原体の生産は中止されたが、現在でも薄めたパラコートに他成分を混合した除草剤として一般販売されていることは変わらず、パラコートによる農薬中毒死亡事故は四十パーセントを占めている。
「除草剤飲ませたってことですかィ」
「アレの致死率えぐいで。薄まった液剤やとしても十ミリ身体に入ったらもうアウトや。仮に助かっても後遺症もひどいやろうしな、人の心ないわホンマに」
森谷はめずらしく声に怒りを乗せた。
見かけはヤンキー風でも、捜査一課の四人組──沢井、森谷、三橋、三國──のなかでは一番穏やかで理性的な彼が、こうも事件の犯人に対して怒りをあらわにするのは珍しい。これも禁煙効果だろうか。
車は住宅街の奥、広い敷地の駐車場に入る。
目的地の宮内家だ。
「まあ、さすがに自分も今回ばかりはやるせねえや。妹とそう変わらねえ年齢の子が殺されたんだから──」
「ああ。ぜったい見つけたらな、な」
と、森谷はシートベルトにかけた手に力を込めた。
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