第10話 避難
「なにしに来たの?」
母親と対峙する一花の顔が不快に歪んだ。
ものすごい温度差である。親子の再会が為されたのは何年振りか。少なくとも将臣はこれまで会ったことはない。中学からともにいる恭太郎すら、一花の親とは初めて会うようで目を見開いて母親らしき女性を見つめている。
娘のようすもなんのその、母親はにこにことうしろを振り仰ぎ、
「一花が帰ってきたよ、お父さん」
家の奥へ声をかけた。
本当か、という弾んだ声。バタバタという足音とともに、玄関からひょこりと顔を出した恰幅の良い壮年男性。丸眼鏡を装着した見るからに温厚そうな父親である。一花の顔はさらに歪む。
「おかえり一花。久しぶりだね」
「ホントね。もう一生会いに来ないもんだとばっかりおもってたけど」
「研究が忙しくて──でも、ひと段落したんでこうして会いに来たんだよ。ああ、かわいい子だ」
父親が一花の顔に手を添えた。
「触ンないでッ」
それを払った。一花の顔には、見たことないほど嫌悪の表情が浮かんでいる。
父親はすこし寂しそうにわらって手を引っ込めた。代わりに母親がずいと一花のそばに寄る。
「明日は土曜日だし、久しぶりの家族水入らずでどこかに行きましょうよ。あなたも旅行したいと思っていたんでしょ、おばあちゃんから聞いたよ」
「はア?」
一花はいよいよ怒った。
両親から距離をとるべく後ずさると、すこし離れた場所で傍観する恭太郎と将臣のもとへと駆けてきた。
「今日から日曜まで、三人で将臣ンちにお泊りするの。家族旅行がしたいなら、おばあちゃん連れて三人で行ってきたらどーオ」
「将臣──ああ。一花のお友達? どうも、いつも一花がお世話になっております」
と、母親はにっこりわらって将臣に向かって頭を下げる。
物腰は柔らかいが言葉尻には妙な圧がある。将臣は「浅利将臣と申します」と控えめに頭を下げた。しかし恭太郎はビー玉のような瞳で母親を見下ろしたまま、ぴくりとも動かない。表情からして、彼が一花の両親に対して良い感情を抱いていないのは一目瞭然だった。
将臣は一花の耳元に顔を寄せた。
「うちには当分来ないんじゃなかったのか」
「そんなこと言ってない。あたし──お泊り会の荷物取りに来ただけだからッ」
といって一花は両親の合間をすり抜くと、家のなかへと駆けこむ。
父親は「一花」とそのあとを追う。
母親はスクエア型の眼鏡の奥から、切れ長の瞳を覗かせて、恭太郎へと視線を移した。
「あなたが──藤宮恭太郎くんね。一花の祖母から話だけは聞いていたんですよ。あの子と仲良くしてくださっているとかで」
「────」
「中学生の頃からなんだって? ほんと、なかなかそばにいられなくてお恥ずかしい限りですけれど。これからも一花のことどうぞよろしくね」
母親はまたわらった。
──能面のようだ。
と、将臣はおもった。
まるで人間味を感じない。機械のような笑顔である。あまりの居心地のわるさにさすがの将臣もちらと恭太郎を見た。彼は見開いた目で母親を凝視したまま、きびしく唇を結んでいる。
「恭──」
「ついてこないで!」
「一花、話を」
玄関から飛び出してきたのは、ボストンバッグを抱えた一花だった。あとからつづくは父親である。機械的な母親とは対照的に、ひどく人情味あふれる男だ。
「今さらなんの話があるのっ。あたし、こんだけほっとかれてもアンタたちの仕事に口出したことないのよ。そっちもあたしのことには口出さないで!」
いったいどこに行くのかというほどの大荷物。彼女はこちらに駆け来るなり、
「行こう」
といって足早に家から離れた。
一花の姿を見てようやく我に返ったのか、恭太郎はくるりと踵を返して彼女のあとにつづいた。娘から怒声を浴びてもなおうすら笑みを崩さぬ母親に、将臣は浅くお辞儀をしたのちゆっくりと彼らのあとを追った。向こうから「将臣はやくっ」という怒号が聞こえる。
所詮子どもに毛が生えた程度の将臣にはこの問題は重すぎる。
いまいちど振り返ると、一花の両親は肩を並べて立ち尽くし、じっとこちらを見つめていた。
※
「あらあアら!」
将臣の母であり、宝泉寺名物方丈夫人でもある
連絡もなしに突如数日泊まらせろ、と息子の友人がやってきたわけだが、彼女は満面の笑みを浮かべてそれを迎え入れた。そもそも実の息子である将臣すら、この母が声を荒げたところを見たことがない。
性格的に夫婦喧嘩も起こりようがない両親ゆえ、納得ではある。
「いらっしゃいイッカちゃん、恭太郎くん! いつまでお泊りするの?」
「僕は泊まらないよ、司ちゃん」
「ええェどうしてエ。いいじゃない恭太郎くん。いっしょにお泊り会しましょうよう、うちがいいって言ってるんだから」
「母さん。いいから、ちょっとお茶を淹れてくれないかな」
「んもー。この子ったらすぐ私のこと追い出そうとするんだから」
と、ぶつぶつ文句を言いながら居間を出てゆく。
しかしその顔は相変わらず緩んでいるのだから、我が母ながらおもしろい人である。恭太郎は薄ら笑いを浮かべて、母が去っていったあとを見つめた。
「おもしろいよなア。あれからこれが生まれるなんてちょっと信じられないよ。生命の神秘」
「ウルサイ」
「いいな──あたしも司ちゃんの子どもだったらよかったのに」
と、一花は畳にころがった。
人の家だというのに遠慮のない娘である。恭太郎はエッと彼女を見下ろした。
「そうすると将臣と兄妹になるわけだけど、それでいいのか?」
「あーん。それはイヤー」
「なんなんだお前ら──押し掛けといて勝手なことばかり」
将臣は居住まいを正して、一花を見た。
「気持ちはわかるけど、いつまでも逃げるわけにもいかないだろう。どうするんだ」
「逃げるもん。恭ちゃんちと将臣んちに迷惑かけまくって、逃げ続けてやるもん」
「いっそ清々しいな」
おもわず遠い目になる将臣。
だったら、と恭太郎が一花のとなりにごろりと身を投げた。
「ひとり暮らしすればいいじゃないか。僕の親に言ったら一件くらい物件貸してくれるよ」
「あたしのお世話はだれがすんのよ。自慢じゃないけどあたし、洗濯機で服ダメにしちゃってから自分で洗濯しないって決めてんのよ!」
「ホントに自慢じゃないなア」
恭太郎はケタケタわらう。
笑いごとじゃない、と将臣がふたりを咎めた。
「一花も本当は分かっているだろ、このままじゃだめだって」
「じゃあどうしたらいいのオ。あの人たちとひと言だって話すンのなんかごめんだよオ」
「でも、いまお前の生活費や学費を払っているのはだれなんだ。あの人たちじゃないのか? それとも同居してるお祖母さんか」
「それは──たぶん、あの人たちだけど」
「────」
ここからは難しい問題である。
少なくとも、彼女を諭すのは何事にも恵まれた自分の役目ではない。まして恭太郎など言わずもがなであろう。かといって親に対する反抗心に固持する彼女の姿勢は、良好とも言えまい。
廊下の奥から足音が聞こえる。母の音にしては重量感がある。ああ、これは──。
「だったらうちの子になるかね」
廊下からひょっこり顔を出したのは、将臣の父であり当寺住職でもある浅利博臣である。
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