第6話 面会
帝都中央医科大学を出たところで、沢井の携帯が鳴った。
着信相手は相方の三橋である。彼女はいま当該事件の被害者夫婦のひとり娘を訪れて恭太郎と引き合わせるという任務のため、朝から別行動をしていた。なにか進展でもあったか──と胸に期待を込めて着信に出る。
「沢井」
『お疲れ様です三橋です。いままほろばですが、恭太郎くんと灯里ちゃんお話しできました。やっぱり先日の意思表示のとおり例の男、コロシに関してはシロのようです』
「──関しては?」
『罪がないかどうかは会ってみなくちゃわからないって。まあ、いまでも強引にいけば銃刀法違反で逮捕できると思うんですけど』
「恭は、会うつもりで言ってんのか」
『灯里ちゃんといっしょなら、会ってもいいそうですよ。たぶんあの乗り気のようすじゃ、彼もなにか気になることがあるんじゃないかと』
「────」
願ってもない申し出だ。
法医学教室を辞する直前、神来にも提案されたことである。
賭けてみよう、とおもった。
藤宮恭太郎は一見するとただのヒネたガキである。しかし彼の特異体質は、幾度かの経験から信用できる。参考人の口が割れないならば、その奥から引きずり出すしかない。
「面会人は三人までだ。俺はちょっと調べることができたから、引き続きお前が付き添ってあの男から一言でも引き出せ」
言いながら、車のロックを解除して運転席に乗り込んだ。電話口では三橋が沢井の動向を気にしている。弾丸の話を手短にすると、聡い彼女はその先の沢井の動きを察したらしい。通話を終えた携帯電話をハンドフリー設定に変えて、大学駐車場を出発した。
警視庁九階──目当ては、組織犯罪対策部。
エレベーターを降りた瞬間から四方八方から視線を受ける。部内の人間は一様にしてヤクザ顔負けの人相のわるさでこちらをにらみつけている。癖なのだろう。ひとしきり観察したのち刑事課の者と分かると、みなすぐに興味をなくしたように自身の仕事にもどってゆく。
そのなかのひとり、
「芹沢さん」
「おう。沢井か、どうした」
椅子をくるりと回転させて、ぎょろりとした出目を上目に見つめた。沢井よりひと回りほど上のこの男、組織犯罪対策部暴力団対策課の課長である。沢井が所轄の刑事だったころに組ませてもらったことがある。当時から風格と威厳は別格だったが、この部署に来たことでその厳つさは増したようだ。
よく怒られた。が、理不尽な叱責はひとつもなかったため、それを疎ましくおもったことはない。もちろん当時はチビリそうなほど怖かったが。
いまでも沢井が尊敬する数少ない先輩警官である。
「ちょっといま追ってる事件でご相談がありまして。あの、ホテルの」
「ああ。あれこっち絡んでくるんか」
「そこまでは。ただ、凶器がS&W、使用弾丸がR.I.Pだそうで」
「そいつァ──くせえな」
と、芹沢の顔から笑みが消える。
このドスの効いた声がなつかしい。怒られてもいないのに恐縮してしまう。沢井とて刑事課のなかでは厳つい刑事として通っているが、芹沢のとなりに来れば赤子のようなものだ。
芹沢は机上のファイルを抜き出し、パラパラとめくる。
「R.I.P弾を使用する組なんざ覚えがねえなァ。アメリカじゃ一般人にもかなり人気の弾丸らしいがよ、ちょっと高値なんだよ。どこもかしこも昔に比べりゃ不況だからなァ。わざわざそんなもん仕入れるものかな」
「しかし個人じゃ手に入れるのも難しいでしょう」
「ああ、よほどの金持ちか──金持ちから支援を得ている何かか。男捕まえたんだろ? なんかゲロってねえのか」
「ヤツはシロです。ただ、何か知ってるかもしれないんでこの後ちょっと強引に吐かせます」
「手荒なことすんなよ」
「芹沢さんがそれ、言います?」
茶化すようにつぶやく。
言うようになったな、と芹沢は沢井の肩を小突いてから、
「四課として知り合いの組員に探りを入れてみらァ。なんかわかったら連携する」
と宣言した。
組織犯罪対策部は、もともとおなじ刑事部であったものがいつの頃からか部署として独立したものである。刑事部当時は『捜査四課』という名称だったこともあり、四課時代からいまの組対に所属する人間はいまだに自身らを『四課』と呼ぶ。
ある種のプライドだろう。
捜査一課に所属する身として、その気持ちはよく分かる。人生のなかでこれほど長い時間をともにし、幾多の困難をともに乗り越えてきた仲間たちがいるこの場は、家族以上の信頼と絆を感じることもある。異動によって人が変われどおなじことだ。
ゆえにちがう畑にいる今はなんとも居心地がわるい。
沢井は短く礼を伝えると、足早にフロアを立ち去った。
警視庁から車で三十分弱。大井警察署にやってきた。
留置管理課に立ち寄って男への来訪者を確認すると、三橋巡査部長とともにふたりの面会人がやってきたとのこと。来訪時間はいまからおよそ十五分前。面会時間はおおよそ十五分から二十分と決まっている。そろそろ終わるころか──と思いつつ、留置事務室を見渡す。
事務室奥にある面会室の扉に目を向けた。
するとまもなく、扉が開き、中から三橋がひとり出てきた。彼女は沢井を見るなりパッと笑みを浮かべて駆けてくる。
「沢井さん。お疲れ様です」
「中は?」
「ふたりが入ってます。あと三分くらいかな」
「なんかゲロったか」
「いえ──それどころか、沈黙に次ぐ沈黙の嵐で。なんかいたたまれなくて出てきちゃったんですけど」
「沈黙? 恭はなんにも喋らねえのか」
「はあ。男を見るなりずーっと無言になっちゃって。いったいなにを考えているんだか、わたしにはさっぱり分かりません」
といって、三橋がため息をつく。
沢井は面会室の扉をすこし開けた。目だけを動かして中のようすをさぐる。きっとこれら一挙手一投足の音も恭太郎の耳には筒抜けだろうが、構わない。
──居やがるな。
きちんと背筋を伸ばして座る灯里とは対照的に、パイプ椅子の背もたれにふんぞり返って座るは恭太郎。ふんぞり返ってこそいるが、その視線はまっすぐに男を捉えたまま離さない。
アクリル板を挟んだ向こう側──刑務官のとなり、重要参考人の男がだらりと弛緩してパイプ椅子に座る。肩口まで伸びきった無造作な髪の毛から、すっきりと通った鼻筋が垣間見える。伸び放題の口髭も、きっと整えればなかなかの美丈夫になりそうなものだが。
肝心の目は、髪に隠れて見えない。
幾度かの取調べのなかで垣間見た彼の瞳は、おどろくほど昏く、生気がなかった。きっといまもおなじような目をしていることだろう。
──あと二分か。
と、沢井が面会室内の時計をちらと見たときだった。
「聞こえてるよ」
恭太郎が口をひらいた。
ボールペンを握る刑務官の顔がおどろきに変わる。どうやら、これが恭太郎の初めての発言だったらしい。彼は真っ白な用紙にようやくメモをとった。
対する男はぴくりとも動かない。
このまま会話なく終わるか──と、沢井が眉をひそめる。しかし恭太郎はもたれた背中をぐっと起こし、アクリル板に顔を近づけた。
「なんでそいつを知ってる? そう、そいつ。いまアンタが考えていたヤツだよ」
「────」
男が、顔をあげた。
長く伸びた髪の毛の隙間から見えた昏い瞳。──いや、闇のような瞳には驚愕の色が射し込まれ、明らかな動揺が見て取れる。となりに座る刑務官もごくりと息を呑む。
「どうしてそっちにいるんだ。アンタ、会いたいんだろ?」
「────?」
男の喉がひくりと動いた。
これまで、どんな追及にも頑として開かなかった男の口が、青年のたった一言によってその帳を開こうとしている。が、その直後、面会室内に鳴り響いたタイマー音によって一同は我に返った。
刑務官はわずかに残念そうな顔をして、
「じ、時間だ」
と立ち上がる。
しかし男はこれまでにないほど目を見開き、恭太郎を凝視したまま動かない。
恭太郎は、ゆっくりと立ち上がり、アクリル板を強くたたいた。
「逃げるな」
「────な、」
「また来る」
というと恭太郎はさっさと席を立ち、灯里に退出をうながした。
パイプ椅子から立ち上がった灯里はアクリル板の向こう側と恭太郎を見比べて眉を下げた。戸惑っている。不安げにさまよう少女の手をとり、恭太郎は灯里を見下ろした。
「このおっちゃんは違うんだろ?」
「────」
灯里の目が、ふたたび恭太郎から男へ移る。刑務官が男を立たせようと腕を引っ張る。男は体勢を崩しながら少女を見返す。少女は、一生懸命に腕を伸ばし、アクリル板に手を添えた。
やがて、少女はゆっくりとほほ笑んだ。
事件があったあの日から見たことのなかった彼女の笑顔であった。
男の両手は手錠につながれている。が、アクリル板の向こう側から添えられた紅葉のような手のひらを前に、男は両手を持ち上げて指先をそっと合わせた。
灯里の口がぱくぱくと動く。
“あ り が と う”
声は出なかった。
が、男には届いたようだった。
刑務官が男の腕を引き、面会室から退出させるあいだ、男はがくりとうなだれて力なく首を横に振りつづけた。
扉が閉まる。
その瞬間まで、恭太郎はめずらしく険しい顔で男をじっと見つめていた。
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