第3話 沈黙の対話

 児童養護施設まほろば。

 都内ながら、敷地裏には森があるほど緑豊かなこの場所に、檜造りの戸建てはある。

 二十数年前に創設されたここは、三國にとって実家のようなもの。親代わりの施設長も高齢者目前となった。長男的立場の三國は、幾度か次代の施設長はどうかと打診されたことがある。もちろん断った。理由は簡単だ。向いていない、この一言に尽きる。

 三國の、合理的でロジカルな思考は幸いに警察官向きだった。ゆえに、仕事ではノンキャリアながら同期より期待されていると感じることも多い。しかし複雑な背景を持つ子どもたちと触れ合う環境では、こういう資質は不利になる。子どもは往々にして道理は通らず、感情とともに生きているからだ。

 施設長にはなれない。が、今後もみなの長男として支援は欠かさないつもりでもある。それこそが自分を育ててくれた施設長への恩返しになると、三國は柄にもないことをおもっている。


「ようこそ、まほろばへ!」


 おめかしした瞳が出迎えた。

 恭太郎に協力要請をしてから一夜明けた今日、三國は三橋とともに恭太郎を連れてやって来た。

 彼は昨日にひきつづき不機嫌の色はそのままに、まほろばの建物を見上げている。とはいえその目にはほとんど映っていない。異常聴覚の影響か、彼はひどい弱視なのだという。そのわりに、一切の不自由を見せないのだからおどろきであるが。

 恭太郎の視線が、まほろばの施設から瞳へと注がれた。

 ビー玉のような目に見つめられた瞳がぎくりと動きを止める。ただでさえ端正な顔立ちに加え、彼の目には人を魅了する力がある。瞳もまんまとそのひとりになったらしい。

「ま、松元瞳です。えっと、いらっしゃい綾乃さん。お兄ちゃんもおかえりなさい」

「あれ? お前学校は」

「事件のせいで学校中お通夜でさ。自習時間だっていうから帰って来ちゃった。どうせ部活もないし」

「ああ──」

「こんにちは瞳ちゃん。彼がきのう伝えた、藤宮恭太郎くん。あかりちゃんとお話ししに来てくれたの」

「まだ話すと決めたわけじゃないぞ」

「はいはい。分かってます」

「あ。どうぞ──中へ」

 と、消え入りそうな声でつぶやいてから、瞳はあわてて中へと入っていった。

 玄関を入りすこし進むと、まず交流スペースにたどり着く。今日は平日、みな学校の時間だが、なぜか小学生たちが出迎えた。聞けばたまたま、創立記念日のため小学校がお休みだったらしい。みな緊張した面持ちで恭太郎を見つめている。

 いないのは中学生組と、もうひとりの高校生か。

 この家には、十四名の子どもたちが住む。その中にはつい一週間前にきた、今回の当該女児小宮山灯里こみやまあかり七歳も入っている。

 彼女は、事件のショックからか声を失った。通常のコミュニケーションは筆談で交わせるが、こと事件についての話になると途端に筆が止まり、沈黙の時間がはじまる──というのが三橋の悩み種である。

 口火を切ったのは三橋だった。

「みんなはふつうにしてくれていいのよ。用があるのはひとりなんだから」

「イケメンきた──」

「王子さまみたい──」

「髪の色もきれい──」

 と、次第にざわつくスペース内。

 しかし恭太郎はそれらの雑音には見向きもせず、ゆっくりと部屋を見渡した。彼の目に子どもの判別はつかない。どころか、まだ警察側は写真すら見せてはいない。彼はひと言、

「──あかりちゃん」

 とつぶやいた。

 直後、恭太郎がぐるりと交流スペースのカーテンに目を向けた。淡い水色のカーテンは不自然に膨らみ、中にだれかが包まっているのがわかった。恭太郎はつかつかと歩み寄る。それから思い切りカーテンを引っ張った。

 ソレは声もなく床に崩れ落ちた。

 瞬間、恭太郎が手を伸ばして受け止める。カーテンからすがたを現したのは、目的の小宮山灯里その子だった。やわらかな黒髪を乱して、恭太郎の胸のなかに倒れ込んむと、ゆっくり彼の顔を見上げる。

 齢に見合わぬおとなびた目が、不安の色を見せた。

 恭太郎はぐっと顔を近づける。

「君があかりちゃん?」

「────」

 灯里のくちびるがふるえる。なにを言うにも声が利けない。

 恭太郎は、灯里の脇に手をさし入れて起こしてやった。そのまま膝を折ってしゃがみ、見上げるように見つめる。

「そうだよ。綾さんから話を聞いてた?」

「────」

「そう、僕は君とお話しするためにここに来た。恭太郎だよ」

 よろしく、と。

 彼は笑みを浮かべた。

 どうやら、捜査協力条件は合格のようである。


 ────。

「へえ。戦隊ヒーロー好きなの?」

「ああ、知っているとも。僕がまだキミくらいの頃にやっていたやつだ。わはは、よく見てたよ。僕とイッカは今でもたまにヒーローショーを見に行くくらいだ」

「イッカってのは僕の友人。今度会わせてやろう。おどろくぞ、キミより十歳以上年上なのに精神年齢はたぶんキミより子どもなんだ」

「わっはっはっは!」


 来訪から三十分。

 灯里の部屋に四人が集ってから、恭太郎はずっとひとりで喋っている。もちろん灯里が口を利けないから当然なのだけれど、端から見守る身としては不審のひと言である。

 彼らはいろんな話をした。

 好きなもの。まほろばでの生活。恭太郎の幼少時代──などなど。いまだ事件の核心をつくどころか、彼女の両親の話にすらたどり着かない。しかし灯里の気持ちをおもえば性急は罪である。

 なにより彼女の表情だ。この一週間のなかでもっとも穏やかなようすを見るかぎり、恭太郎の雑談も無駄ではない。

 じゃあ、と彼は自然な流れで話題を変えた。

「キミは小学校二年生になったんだな。ここから通える距離なの?」

「────」

「アァ、やっぱり転校か。でも次のところにはこのまほろばの子どもたちも通ってるんだろ、なぁ貴クン」

「んぁ」

 唐突に話を振られ、三國は動揺する。

 貴クンって──と思いながら慎重に答えた。

「ああ──まほろばイチわんぱく坊主の晃成が灯里と同級生にならァ」

「いいじゃないか。転校初日から、もうお友達もいる!」

「────」

「フン。面白いことを言うなァキミ。声が出なかろうが、意思を伝える術は無限にあるぞ。筆談だろ、手話もある。居場所を報せたいなら音を出せばいいのだ。でもそのコミュニケーションすら面倒くさがって友だちになってくれない奴なら、こっちから願い下げだね」

「────」

「ただ、大切なのは、キミまでそれを面倒くさがらないことだ。声が出るようになるまではすこし辛抱かもしれないけれど、それでも伝えることはやめちゃいけない。思うことが伝わらないというのは──哀しいことだからね」

 と言って、伏し目がちにわらった。

 灯里は七歳と思えぬほど行儀よく彼の話を聞く。きゅっと結ばれた唇と、まっすぐ恭太郎に向けられた力強い瞳が、彼女の労苦と覚悟をあらわしているような気がした。

 恭太郎の目がゆっくりと灯里を見据える。


「そのオジさんの話をしようか」


 突然放たれた言葉に、少女の肩が揺れた。

 途端、これまで凛と伸びていた背筋は折れ、視線が膝上に置かれた自身の拳に注がれる。三橋が問いかけたときとまったくおなじ反応である。

 灯里は、拒否している。

 しかし沈黙という抵抗など、恭太郎の前には無意味なものだった。

「『よかった生きてた』──オジさんがそう言ったの?」

 灯里は悲壮な顔を浮かべ、両手で口元を覆い隠した。

 口を抑えど音は漏れている。

「ははあ。約束をしたんだな、ふたりだけの約束」

「!」

「んン? なんだか──よく分からんヤツだな、その男。……」

 と、恭太郎がさらに詰める。

 しかし灯里は限界だったようだ。

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