第2話 協力要請
警視庁刑事部への配属は三國の方が半年早いが、年齢は彼女の方が五つ上である。だれしも、世の中には無条件に居心地の良い人間がいるだろう。三國にとっては彼女がそうだった。
恋愛感情とはまた違う──と、三國本人はおもっている──が、彼女の芯の強さと、どこから湧き上がるのか分からぬ根拠なき自信は、いつでも気を張って生きてきた三國にとって数少ない拠り所となっている。言ったら調子に乗るだろうから一生言うつもりはないが。
ところで彼女はいま、別件で頭を抱えている。というのも、そのヤマにはふたりの“沈黙者”がいるのである。
半月前、とあるホテルで殺人事件が発生した。事件現場となった部屋には男女ふたりの死体と、部屋の隅で固まる少女がひとり。驚くべきは、拳銃を持った男もひとり、部屋内にいたそうである。男は同日にチェックインした事件現場の部屋主で、匿名の通報を受けて駆けつけた警察官により緊急逮捕、少女は無事に保護された。
しかし。
あれから半月経ったいまも、男は犯行の自供どころかその素性いっさいについて頑なに沈黙を続けており、その少女もまた、両親の殺害現場を目前で見せられたショックにより声を失った上、いまだ事件については筆談にも応じる気配がない。
精神療養のためと数日前にここ“まほろば”に預けられたが、他の子どもとの交流も最小限に、部屋の内でただじっと時が過ぎるのを待っている──らしい。瞳から聞いた話だ。
三橋は、品川区ホテル射殺事件担当唯一の女性刑事として、唯一の目撃者である少女のもとへ毎日こうして通っているのである。
「なんかスミマセンね。うちの妹が」
「いいのよそんなのは。意志疎通が出来ないわけじゃないしさ。ただ──あの子、意図的に隠してる。というかあの男を庇ってる」
「庇ってる?」
「うん。男が殺したところを見たろって、所轄のバカが直球でふっかけやがったんだけどさ。あの子、ものすごい顔して首を横に振るのよ。彼女の意思がこっちに伝わったのはそれだけ。あとはうんともすんとも」
といって三橋は肩をすくめる。
え、と三國がそちらに目を向けた。
「部屋にいた男が殺したんじゃないんスかィ」
「そう思ってたのよ、みんな。だから被疑者としてひっぱったわけだし。でもたしかに──現場検証の結果、そうとも言いきれない可能性は出てきてた」
「というと」
「たとえば、痕跡。あの部屋からは被害者夫婦と娘さん、被疑者のほかにふたりの人間の痕跡が検出された。もちろんホテルマンとか、これまでの宿泊者って可能性もあるから総出で調べたけど、ちがったの」
「うわ──お疲れ様ッスね」
さぞ地道な捜査であったろう。
ならばホテルマンの目撃証言はないのか。と、警察官ならば誰もが思い当たることを問うてみると、彼女はイヤな顔をした。
「それがさ。あのホテルがまた変なホテルなのよ。受付もなんもかも、ぜーんぶロボットがやるの。もちろん防犯カメラとかは残ってるよ、でも人間としての目で見ていないから、ついでの情報も出てこないのよ」
「ははぁ。まあ日本のホテルマンって、気配りのブランドみてえなもんスからねェ──見ていたら心強ェのに。杓子定規な動きのロボットじゃ限度があらァ」
人間は面白い、とおもう。
一見、正確無比なロボットの方が有能に見えるが、しょせんはプログラムに沿って動くにすぎない。その点人間はどうだ。五感から入った情報を瞬時に精査し、これまでの経験則に基づいて現状を判断する能力がある。そのなかで時折おぼえる“違和感”には、警察官として幾度お世話になったことか。
此度の件も、職務につく人間のホテルマンがひとりでもいたなら、また初動も違っていたかもしれない。彼らはとかくよく人を見ている。
そうなの、と三橋は先ほどの三國のように、ソファの背もたれに頭を預けた。
「世の中、便利になりすぎるのも問題って話よ」
「どうするんスか、ここから。起訴まであんまり時間もねえでしょ?」
「あんまりどころか、一週間切ってんのよ。なのにいまだ素性すら知れないんだから困ったもんよね。──ここだけの話、課長は殺害方法から組織的犯行の線もにらんでる。四課が動き出すかもね」
「はぁ?」
四課とは、組織犯罪対策本部──いわゆるマル暴のことである。警視庁のなかでも一際人相のわるい男たちが揃うあの課を見るたび、畑が違うなと思い知る。
しかし四課案件とは。
殺害方法は、と三國が問う。すると彼女は人差し指を伸ばしてピストルの形にし、指先を三國の額に当てた。
「脳天一発」
「ふたりとも?」
「そう。使用弾丸は二発。硝煙反応を見ても部屋のドア前から発砲した可能性がきわめて高い。つまり部屋奥にいた被害者ふたりを、無駄弾一発使わずに数メートルの距離から脳天まっすぐに仕留めたってこと。プロでしょ?」
「プロですねィ」
しかしプロがみな組織絡みということもない。
はーあ、と三橋は眉間にシワを寄せた。
「唯一の目撃者──あの子の声を聞き出せたら、事も進展するんだろうになあ」
「────」
声、か。
三國は下唇を突き出した。
「いますぜ、プロが」
「え?」
「聞くことに関しちゃ右に出る者はいねえ」
「────あ」
「ね。適任」
「いやいや。いや、──有りか」
「有りですよ」
有りだな、と。
言うなり三橋は跳ねるように立ち上がると、三國の腕をひっつかんで猛々しく施設をあとにした。
※
「有りでしょ?」
「無しだろ!」
笑顔の三橋に気圧されつつ、青年が喚いた。
ここ、白泉大学正門前。まほろばから直行で訪れたこの場所で、わざわざ警視庁刑事部の人間が待ち伏せたのは、この青年。
藤宮恭太郎──白泉大学文化史学科の生徒であり、商才に恵まれた父の手で新星財閥御三家の仲間入りを果たした藤宮家の末子。そして聴くことに関して、人と異なる体質を持つ不思議な青年である。
三國は数ヵ月前にこの青年と知り合った。
全体的に血なまぐさい事件だった。聞くところによると、彼は半径数キロ圏内の音を聞き取れるほど聴覚が異常発達しており、さらには人心の声──いや、音か──に対しても知覚してしまうという、生きづらそうな体質を備えているとのこと。
実際、その事件では彼の耳が重要な音を捉えたことで早期解決につながった節も否めない。
とにかく、ふたりの沈黙者を抱える三橋にとっては、彼こそ現状の打開策に相応しい存在であることには違いない。
彼は、連れの友人ふたりを置いてさっさと退散を試みた。
が、三橋はそれをゆるさなかった。
恭太郎の肩に腕をまわして、声をひそめる。
「なんでよ。子ども嫌い?」
「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない。どうして僕がわざわざそんなことに協力しなきゃいけないんだッ。現場検証でも痕跡が出ていて、その子が『男は殺ってない』って意思表明してるのなら、その男は殺ってないんだろ。ただそれだけのことじゃないか。わざわざ僕がでしゃばって声を聴く必要がどこにある!」
「男が殺ってないって証拠がないのよ。殺ってない、って証言だけ聞いて『ハイそうですか』なんて天下の検察が納得するわけないでしょう。じゃあだれが殺ったのか──彼女の口から聞きたいの」
「どうせ僕伝いでの証言なんか、証拠能力はないくせに。無駄なことはしたくない」
正論である。
それにしても、捜査状況を何も伝えていないにも関わらず、相変わらずの筒抜け具合だ。三國は、彼の友人ふたりと顔を見合わせつつ、話のなり行きを見守る。
三橋は退かなかった。
「無駄なことなら頼んでない。証拠能力なんかどうでもいいのよ、とにかく当時の状況さえ分かれば動くことができる。動けば新たな証拠が出てくるかもしれない。なにより──」
彼女の強い瞳が濡れる。
「まだ七歳で両親がころされた。目の前で。──君ならいまのわたしの気持ち、分かるでしょ?」
「────」
しばし見つめ合う。
やがて折れたのは恭太郎の方だった。ぐうう、と唸るようにつぶやいて三橋をにらみつける。
「綾さんにそこまで言われちゃア仕方ない。でもまだ協力するとも言ってないよ。会ってから決める」
「どういうこと?」
「会ってみてとんでもないクソガキだったら、僕はさっさとおうちに帰る。聞き分けのよくない子どもの相手をするのは、イッカだけで十分だからなッ」
イッカとは。
三國のとなりで傍観する友人の女生徒が、ムッと顔をしかめた。そのとなりの男子生徒はクックッと静かに肩を揺らす。
同学科所属、藤宮恭太郎と深い仲にある古賀一花と浅利将臣。彼らはそれぞれ中学、高校からの付き合いだそうで、これまた個性の強いキャラクターである。
「もちろん。会えばすぐに協力したくなるわよ、あかりちゃんイイコだから。──ご協力、感謝します」
といって、三橋は先ほどまでの泣き落としなどなかったかのように、ふたたびにっこりと満面の笑みを浮かべた。
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