第三幕 淡色の無責任

〈一〉旅の行き先

 ズヴェルヴァスキから東へ半日ほどの距離を行ったところ、森の中を抜ける大きな街道で銃声が轟いていた。時折混ざるのは何かを切り裂くような音と打撃音、それから悲鳴。

 音は街道の途中で止まる三台の巨大な幌馬車の方からしていた。数名の男達が幌馬車を守るように立ち回る。彼らが動いた先では厚着に身を包んだ別の集団と思われる男達が次々に倒れ、周囲に血溜まりを作っていった。


 だんだんと小さくなっていく喧騒。最後にガンッと金属の棒で何かを打ち付けるような大きな音が響くと、それは完全に収まった。


「終わったァ!」


 振り回していた棒を肩に担いだイヒカがふうと息を吐く。普段口元を覆っているマフラーはすっかりとずれて首だけを保護しており、それを乱暴にほどきながらイヒカはコートを脱いだ。


「あーあっちィー! ったく、こんな厚着で運動させんじゃねェっつーの」

「脱ぐなら中にしろ。人が通るかもしれないだろ」

「えー、中だと暑いじゃん。ちょっと雪で冷まさせて!」


 苦言を呈すヒューに返しながら、薄い長袖シャツ一枚になったイヒカは道の端に積もった真っ白な雪の中へと飛び込んだ。

 ボフ、という音と共に雪が舞い上がる。それを見ていたヒューは何かに耐えるような顔をしたが、「ッ今だけだからな!」と言ってコートを脱ぎ捨て、自分もイヒカの隣へ体を放り込んだ。


「ちょッ、お前デカいんだからオレの雪が死ぬ!」

「雪が死ぬってなんだよ! そしてお前のじゃねェ!」

「オレのですぅ! 先にオレがやったんだからここは全部俺の雪ですぅ!」


 男二人、雪にまみれながら大声を上げる。その様子を厚着をしたままの仲間達は呆れたように見守っていたが、ふと雪の上に寝転ぶ二人に影がかかった。


「そんなに元気なら、片付けくらいできますよね?」


 影の正体はグレイだった。しっかりと口元を隠し、優しく微笑んだ彼がイヒカとヒューを見下ろすようにして立っているのだ。

「げ」イヒカが顔を強張らせる。「……あー、できます。できますとも」ヒューが視線を逸らしながら言う。だがその先でグレイに引き摺られているものを見つけて、ヒューはサアッと顔を青ざめさせた。


「なら後は全部お願いします。もね」


 そう言ってグレイが持ち上げたのは敵の亡骸だった。相変わらず穏やかな笑みなのに、その表情にあまりにも不釣り合いなそれに「……まかせとけ」とヒューが気まずそうに了承を示す。

 その答えに満足そうに頷いて戻っていったグレイの背中を見送りながら、イヒカとヒューはお互いの顔を見合わせて、乾いた笑みを浮かべた。



 § § §



「――グレイが軍人だったって嘘だと思うんだよな」


 再び動き始めた幌馬車の中、着替えを済ませたイヒカは座りながら思い出したように言った。彼の周りにはヒューとリタ、それからシェイがいて、不思議そうな顔でイヒカを見ている。


「なんで?」


 同じくコートを脱いで薄着になったヒューが問いかけると、イヒカはおどけるように肩を竦めた。


「だってめちゃくちゃおっかないじゃん、グレイ。なんでニコニコしてんのにあんな寒気がすんの? 絶対殺し屋か何かだって」

「それ本人に言えるか?」

「オレに死ねって言ってる?」


 イヒカが顔を引き攣らせる。「なら忘れろ」とヒューに笑われて不満そうな表情をした彼は、話題を変えるように「にしてもさァ」と口を開いた。


「急に盗賊増えすぎじゃね? シェイの街出てからさっきので二回目じゃん、そんな治安悪いの? なんだっけ、ズヴァルヴェー……ヴェ……ヴァ?」

「ズヴェルヴァスキな」


 ヒューに訂正されたイヒカが「そうそれ」とシェイに視線を向ける。しかし昨日から隊商キャラバンに加わった彼は顔色を悪くしてぼうっとしており、イヒカの視線に気付いている様子はない。「シェイ、大丈夫か?」イヒカが心配そうに問えば、シェイははっとしたように「平気だよ」と笑った。


「無理すんな。ああいうの初めてなんだろ? 襲われたり、その……人が死んだり……」

「……うん。でも本当に大丈夫だよ。イヒカ達のは軍の警備と同じなんでしょ?」

「盗賊に関してはな。だから犯罪ってワケじゃねェけど、オレが言いたいのはそういうんじゃなくて……」

「分かってるよ。毎回イヒカ達が隠してくれるからまだ直接見てないし……ただちょっと、音とかが怖かっただけで……」


 そこまで言うと、シェイは「治安の話だっけ」と笑顔を作った。


「他を知らないから何とも言えないけど、特別物騒ってわけでもないと思うよ。子供だけで外に出られるし」


 シェイの答えに、ヒューが「だろうな」と言葉を繋ぐ。


「街の治安は問題ないだろ。ただあそこがあるからこの辺は賊にとっちゃ条件が良いんだよ。デカい街が近けりゃ物資にも困らねェし、俺達みたいな隊商キャラバンもよく立ち寄るからこうして街道で狙える。あんだけ地下道が発達してりゃァ、たまに地上の道をそのまま歩いてても目立たねェしな」


 ヒューの説明にシェイは「そうだったんだ……」と顔を強張らせた。リタはそんな小さな肩に手を置くと、「住民には関係ない話さ」と微笑みかける。それでいくらかほっとしたように力を抜いたシェイだったが、不意に頬を赤らめて顔を背けた。


「でもさ、それにしたって多すぎねェ? いつもこんなんだっけ?」


 イヒカが納得しきれないと言わんばかりに声を上げれば、ヒューは「そうだなァ……」と考えるように零した。


「東に向かってると言ってもいつもより北寄りだからな。イースヘルムにも寄らなきゃならんし、となると当然ヘルグラータ狙いの輩も増えるだろ」

「自分で採りに行けって話だよな。こっちはあの氷の世界をちまちま歩いてるんだぞ? グイも行けたらいいのにな」


 そう言って疲れたように上半身を仰け反らせたイヒカに、シェイが「やっぱりグイも駄目なの?」と首を傾げた。


「無理無理。いくらグイが寒さに強いって言ってもこっちの基準の話だよ。なんとかイースヘルムに着いてもすぐ死んじゃうだろうな」

「そうなんだ……」


 グイの死を想像したのか、シェイが表情を暗くする。それを見たイヒカもまた少し悲しそうな顔をして、「つーかさ」と空気を変えるように声を発した。


「今回なんでこんな北にいるの? そりゃオレらは薬草採りに行かなきゃならないけど、本隊はいつも安全な道しか通らないじゃん。ここ安全じゃなくね?」

「フィーリマーニに行かなきゃならないんだよ。南のいつもの道じゃァあそことは繋がってないんだ。それにその道とも山で隔てられててな、途中で縦断しようにもうちの馬車じゃちとデカすぎる。だからこっち側を通るしかないんだが……ま、新規開拓ってことでいいんじゃね?」


 ヒューが言い終わると、シェイは「フィーリマーニ?」と不思議そうな声を上げた。


「東にある街だよ。確か今は大規模な地下都市を開発しているんだったか。先に周辺の街道を整備してくれればいいのにね」


 答えたのはリタだ。シェイは「へえ」と興味深そうに零したが、隣からイヒカが「地下都市ィ?」と呆れたように言いながら顔を歪めた。


「そりゃ結構な話だけどさ、こんな物騒な道しかないのに他の物資はどうしてるんだよ。みんなこっちを通るにしちゃァあんまり同業者見かけねェし」


 イヒカの疑問に、リタが「ふむ」と口元に手を当てる。


「フィーリマーニは一〇〇年前まではそれなりに栄えていたんだよ。ギョルヴィズに近すぎて大地震以来もぬけの殻になったけどね。でも割合近くで木も鉄鉱石も採れるし、それらを加工するための設備も古いけど使えるはずだよ。大抵のものはあの土地だけでまかなえるんじゃないかな」

「大地震って、氷の女神症候群スカジシンドロームが一気に広まるきっかけになったっていう?」


 考えるような顔でシェイが問えば、横からヒューが「学校でちゃんと習うんだな」と感心したように言った。


「ちゃんとって言っても、かなりざっくりですけどね。だからいまいちよく分かってなくて」

「あァ、そりゃ仕方ねェさ。何せ学者先生達もよく分かってないみたいだしな。地殻変動だかなんだかが原因で、それまでイースヘルムに近い街で稀にしか確認されてなかった氷の女神症候群スカジシンドロームが急に広範囲に出てきたんだと。動物が移動したからって話になってるみたいだけどよ、人間しか罹らない病なのに『んなワケあるか』って感じだよな」


 呆れたようなヒューの物言いに、学者であるリタが困ったように眉根を寄せる。それに気付いたシェイはしまったとでも言いたげな顔をして、「えーっと……そうだ」と話題を変えようと口を開いた。


「もぬけの殻だったってことは、一旦廃れちゃった街を今また開発してるってことですか?」


 リタに向かってシェイが問いかければ、「そうだよ」と穏やかな笑みが返された。


「かつて栄えたならそれだけ魅力的な土地なんだろう。地下開発技術がこれだけ進歩した今、過剰に病を恐れる必要もない。なんだったら回復者スタネイドを集めて雇うかもしれないね。フィーリマーニはギョルヴィズのすぐ隣――更にその向こうはイースヘルムだ。回復者スタネイドさえいれば薬草も手に入れられる」


 リタが言うと、イヒカが「そんな簡単な話じゃないだろ」と眉を顰めた。


「素人じゃ生えてる場所が分かんないじゃん。群生地だってすぐ変わっちまうしさ。どこに生えやすいのかだって分かってないんだろ?」


 イヒカの言葉にヒューが「そうねェ……」と溜息を零す。リタもまた僅かに視線を落としたが、すぐにイヒカの方へと顔を向けた。


「そのあたりはうまくやるだろうさ。何せヒルデルグループが噛んでいるって話だからね」

「ヒルデルって……薬見つけた連中か」


 思い出すように言ったイヒカに、シェイが「製薬会社だっけ?」と問いかける。


「そうそう。つってもいろんな商品にマークついてるからもはや何屋か分からないけどな。んで確かリタの古巣」

「古巣?」

「私はヒルデルの研究員だったんだ。随分昔の話だけどね」

「えっ……ヒルデルグループって凄く頭良い人しか働いてないんじゃ……」


 シェイが驚いたように目を丸くする。「エリートってやつだよ」とイヒカが笑えば、「そんなに良いものでもないけどね」とリタが肩を竦めた。


「私は今の方が楽しいよ。待遇と給料は向こうの方が断然良いけど」

「悪かったですねェ、過酷な労働環境な上に薄給で」


 じっとりとヒューがリタを睨みつける。だが相手が涼しい顔のまま「本当だよ。隊長もむさいしね」と返してきたせいで、ヒューはその顔を引き攣らせた。


「……まァ、なんだ」


 ゴホンと咳払いをして、ヒューがシェイへと顔を向ける。


「フィーリマーニに着くまでは結構かかる。それまでの間にお前さんにとっていい街があるだろうさ。道中で別の隊商キャラバンにも会うはずだから、色々聞いといてやるよ」


 ニッと笑みを浮かべながらヒューが言う。自分のことを考えてくれているのだと分かる相手の雰囲気に、シェイもまた「はい」と頬を綻ばせた。

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