果ての銀花と愚者の杭

新菜いに

第一章 黒塗りの渇望

第一幕 凍える命

〈一〉静かな町

 そこは白く、冷たい世界だった。辺り一面に雪が降り積もり、木々は氷を纏って白に身を隠す。あらゆる物が雪で白く塗り潰され、生き物の気配が感じられない、そんな世界。

 地面を覆い隠すのは広大な雪原。しかしその雪原には一本の線が走っていた。遠目から見ると子供の落書き、もしくは引っかき傷と言ったところ。だが近くに寄ればそれの巨大さがよく分かる。線の幅は約四メートル、子供の落書きにしては大きすぎる。長さは推し量れない。雪原が見える限りその線も続いているからだ。


 線は道だった。両脇は大人の腰の高さほどの雪の壁に覆われ、地面の雪は氷のように踏み固められている。その下に何があるのか見ることはできないが、雪の壁の中から辛うじて顔を覗かせている看板が、そこが街道だということを通行者に教えていた。


〈この先 ポルラスチ〉


 雪を被った木製の看板が小刻みに振動する。揺れで文字を隠しそうなほど積もった雪の塊が一つ落ちた時、一頭の馬によく似た四足獣が看板の横を通り過ぎていった。グイだ。そのすぐ後ろには四頭のグイが続き、彼らの引く大きく頑丈そうな幌馬車ほろばしゃが看板を更に激しく揺らしていく。道幅の広さを忘れてしまうほどに巨大な幌馬車が三台と、それを引く計一二頭のグイが通り過ぎる頃には、看板にかかった雪はすっかり落ちきっていた。

 揺れが収まったのは再び一頭のグイが通り過ぎた後。最初に通ったものとは別の個体で、幌馬車の列を追いかけるように歩いていった。


「もうすぐっぽいな。頑張ろうぜ」


 最後尾のグイに騎乗していた青年が、看板を見て自身を運ぶ相棒に語りかける。首を撫でられたグイは機嫌良さそうに小さく嘶いて、僅かな振動と共にそこから離れていった。



 § § §



 ポルラスチの町は周囲と同じように深い雪に覆われていた。それでも道や屋根は定期的に雪を除去している形跡があることから、それなりの数の働き手がいるのだろう。規模が小さい町だからか、地下道の入り口と見られる建物は見つけられない。

 そんな中を地響きのような振動と共に巨大な幌馬車の列が進んでいけば、当然ながらどの建物の窓にも中から外を見ようとする人影が浮かぶ。それでも屋外にまで出てくる者はおらず、大抵の町では近くまで来て見られるのに珍しいものだ、と少し距離を空けて幌馬車を追う青年は首を傾げた。

 グイの上に跨る彼は頭から腰までをすっぽりと暗い色合いのマントで覆っており、更に顔の下半分も分厚い生地のマフラーで隠している。他者から見えるのは目元だけ。その琥珀色の瞳に怪訝そうな光を浮かべた彼は、そのまま町を進み続けた。


「――よーし、今日はここで一泊だ」


 巨大な幌馬車が停められた馬車用の逗留所とうりゅうじょでは、厚着に身を包んだ大男が周りの者達に声をかけていた。マントこそ羽織っていないものの、彼もまたトラッパーハットを被り、顎から鼻までを帽子と繋がったマスクで覆っているせいで顔立ちが分かりづらい。それは周囲の者達も同じで、似たような格好をしている彼らの中に口や鼻を露出している者は一人もいなかった。


 そんな集団の元に、遅れてやってきた青年がグイに乗って近付いていく。蹄が雪を踏む音に大男は顔を青年の方に向けると、「ご苦労さん」と声をかけた。


「グイは向こうの厩舎に入れてくれ。そして喜べイヒカ、今日は宿を取ったぞ!」

「マジ!?」


 大男の言葉に、イヒカと呼ばれた青年がグイから飛び降りる。


「よっしゃ、久々にヒューのいびきから解放される!」

「何言ってンだ、お前は俺と同室だよ」

「は? なんでだよ。これだけ人数いるのにヒューと同室になるとか確率おかしくね?」


 二人の周りでは一〇人近い男達が幌馬車から自身の荷物を降ろしていた。三台の馬車からバラバラに出てきたものの、彼らは全員イヒカ達の仲間だ。


「文句言うならジルと同じ部屋にするぞ」

「……ヒューでいい、ヒューがいいです。あんなクソ野郎と相部屋だけは無理」

「そうだろう、そうだろう。イヒカは俺が大好きだもんな」

「……ソウデスネ」


 大男――ヒューにマントごと頭をぐしゃぐしゃに撫で回されながらイヒカは顔を引き攣らせた。少し離れたところにはイヒカと同じくらいの背丈の青年がいて、二人の会話が聞こえていたのか、呆れたように溜息を吐いている。彼もまた全身を厚着で覆ってしまっているため表情こそ分からないが、溜息を吐かれたことに気付いたイヒカはムッとしたように目を細め、青年に向かって中指を立てた。


「なんでその距離で喧嘩できるんだよ。お前ら実は仲良いだろ」


 青年とイヒカを見比べてヒューが呆れたように言う。それにイヒカは「は!?」と顔を歪めると、「有り得ないこと言うなよ!」と声を荒らげた。


「ジルと仲良いとか天地がひっくり返ってもない。絶対ない!」

「はいはい、悪かったよ。それよりさっさと自分の荷物出しちまいな。仕事もあるだろ?」

「あ、今やるのグイの世話だけでいい? ちょっと武器屋とか見てきたいんだけど……ここってないかな?」


 目的のものを探すようにイヒカが町へと顔を向ける。逗留所は輓獣ばんじゅうを町外れにある厩舎と行き来させやすいよう、同じように人の住む区画から離れているものだが、それにしてもやけに人気ひとけがない。季節によっては逗留所に停めた自分の馬車で寝泊まりする者が多いため、最低限の店と宿屋は割合近くにはある。それなのにその付近を歩いているのは自分達の仲間しかいなかった。


「あー……武器屋自体はあると思うぞ。やってるかどうかは微妙だけど」

「なんで?」

「さっき宿屋で聞いたんだが、町に氷の女神症候群スカジシンドロームの患者がいるらしい。それでみんな怖がって外に出ないんだと」

「出た、。別に患者がいたって何も変わらないってのに」


 その言葉と共に、町へと向けられたままだったイヒカの視線がぐっと鋭くなった。「こら、やめとけ」、ヒューが静かに窘める。イヒカは視線を和らげつつも不機嫌そうな声で「へーい」と返事をすると、思い出したように幌馬車へと目をやった。


「なァ、ヒュー」

「ねェよ」

「……まだ何も言ってないんだけど?」

「どうせ薬はないかって聞いてくるつもりだったんだろ? ないんだよ、この前全部卸しちまった。それに在庫があったとしてもこの町だ。住民が薬を買える金を持っているようには思えない」


 そう言ってヒューもまた町へと目を向けた。雪に覆われた町並みは至って普通のものだ。慎ましやかに暮らしていれば、裕福とは言えずとも食うに困るほど金銭的に困窮する家はあまりないだろう。このあたりの田舎町では平均的な暮らしぶりだと、いくつか近隣の町を見たことのある大人なら誰もが口を揃えて言うはずだ。


「今日はここで一泊しなきゃならないんだ、面倒事は避けたい。他の奴にはもう言ったけど、お前もこの町にいる間は絶対に屋外で口元晒すなよ。薄着も禁止」


 近くに視線を戻しながらヒューが言うと、イヒカは「げ」と嫌そうに顔を顰めた。


「グイの世話しづらいじゃん」

「それが普通なんだよ。たまには周りに合わせろ」


 ヒューの言葉にイヒカが不服そうに息を漏らす。「普通ねェ……」とぼやきながら、イヒカはグイを引いて厩舎に向かった。

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