第690話 『公方と朝廷と北条』(1581/6/17)
天正十年五月十六日(1581/6/17) 小田原御所
小田原御所とは、逃亡してきた義昭のために氏政が建てた仮初めの御所である。史実でも小弓公方だ古河公方だと、よくわからない関東公方がいたが、義昭は名実ともに小田原公方となってしまったのだ。
小さいながらも義昭の威厳を損なわない程度の規模ではあったが、小田原幕府と呼ばれて元奉公衆や純正、信長に追われた旧臣約100名で成立していた。
もちろん、信長が建てた二条御所には及ぶべくもない。
八年前、信長と純正に追われる形で京を去り、流れ着いた小田原で再起を図ろうとする義昭であったが、すでに大勢は決まりつつあった。
いや、すでに決まったと言っても良かった。
中途半端な包囲網が何度か敷かれたが、その最有力であり黒幕の一人とも言えた本願寺は分離縮小を余儀なくされ、武力をもって政治に関与する力を失った。
武田信玄、上杉謙信もこの世にはない。
武田勝頼は小佐々との同盟の後に新政府側となり、信長と同じ陣営となった。上杉謙信は純正に敗れ、領土を大幅に割譲させられた上、死後は後継者争いで国力を損耗させた。
その争いでは氏政の兄弟であり、上杉家の養子になっていた景虎は敗北したのであった。現在上杉家は敵対勢力であり、協力などは見込めない。
さらに房総の里見は、同じく大同盟を経て新政府の一員となっている。
北の佐竹と宇都宮は勢力を大幅に弱めたとは言え、小佐々に服属して命脈を保っている。氏政は純正の新政府勢力に囲まれる形で、勢力拡大が見込めない状況であった。
もし拡大するならば、上杉景勝が新政府に属していない今が最後のチャンスであったが、私戦を辞めて欲しい(この時点では禁ずるという命令ではない)という新政府の意向に反する事となり、下手をすれば朝敵扱いとなる恐れがあったのだ。
「輝経よ、余はこれから
義昭は御伴衆の細川陸奥守輝経に、溜息混じりに
「まず、越後守殿が
義昭は眉をひそめ、さらに深く考え込んだ。
「如何なる事か?」
義昭の問いに輝経は即座に答える。
「されば、過日の上杉と小佐々の戦の後、謙信公は純正には降りませんでした。所領を大幅に割譲させられたにも拘わらず、残りの所領で家中を治むると共に、上杉のかつての栄華を取り戻すべく、
「何が言いたいのじゃ?」
具体的な策を聞きたい義昭に対して、輝経が前置きから話すものだから、義昭は少しイラついた面持ちである。
「上杉は代替わりを致しました」
「うむ」
「常ならば、家を安んじ定めんとするならば、自らに助力した武田の属する小佐々の新政府とやらに、服してでもその道を見い出すはずにございます。然りながら上杉は服しておりません。そこに何か、服さずとも成せるという矜持があるのではと存じます」
「うむ。つまりは北条と上杉の盟は難しといえども、敵にならねばよい、と?」
「左様にございます」
ふう、と義昭は
「然りとて、余の上洛が能う訳ではなかろう」
もっともな質問だ。
「はい。それについては、上様が如何なるお立場にて京に御座し奉りたくお考えかによりまする」
義昭は輝経の言葉に興味を抱きつつも、眉をひそめて問いかけた。
「如何なるお立場とは、つぶさには何を意味するのか?」
「上様が今、御自身の立場を如何にされたいのかを明らかにすることが肝要にございます。新政府の一員として奴らに助力するふりをしながら、その内なる
義昭は考えている。これまで通り対抗勢力として動くか。それとも恭順し、
氏政がそれを許すか、景勝はどう出るのか、佐竹と宇都宮はどうなるのか。
■京都御所
「主上、内大臣の上奏により新たな幕府、政府と呼ぶそうにございますが、こちらを設け、日ノ本に静
左大臣近衛前久が、新政府成立の勅許について語りかける。
「主上、新政府は小佐々内大臣が主となり営む官府にて、次々と新たな施策を打ち出しているようにございます。この辺りで、(先の)……(先の)幕府の征夷大将軍の処遇を決めなければなりませぬ」
続いて発言したのは、純正の従兄弟にあたる、右大臣二条昭実である。父である晴良と前久は政治的な
「……ゆるりと、ゆるりと、万事に障りのなきよう、構えて(慎重に)致すがよい」
「「はは」」
■小田原城
「さて、八方塞がりではあるが、
板部岡江雪斎は、考えて答えた。
「それにつきましては、一角を崩す策はございますが、殿のお覚悟が要りまする。正直なところ、あまりお勧めはできませぬ」
「なんじゃ?」
江雪斎は意を決して、ゆっくりと語り始めた。
次回 第691話 (仮)『ヌルハチ』
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