第671話 『上洛要請のその後と景勝vs.景虎始まる』(1579/6/15)

 天正八年五月二十一日(1579/6/15)  小田原城


「……! おのれ純正め! このわしに上洛せよだと? なにゆえわしが、成り上がり者の純正に頭を垂れに京まで出向かねばならぬのだ」


 純正からの手紙を読んだ氏政は怒り心頭である。

 

 上杉家の家督争いの事もあり、常陸の佐竹と下野の宇都宮の事もある。ここで自分が離れては付けいる隙を与えてしまうからだ。


「殿、まずは返書をしたためましょう」


「いかなる文言を書くのじゃ?」


「なにも別儀(特別な事)を書かなくても良いのです。いま常陸や下野で起きた事をつぶさに書けば、ひとまずは納得しましょう」


 板部岡江雪斎は、静かに言う。


「されど殿、時勢は動いておりまする。さきの海戦でわが北条の船は一矢も報いることなく敗れたのです。小佐々の勢いを鑑みれば、いたずらに逆らうはお家のためになりませぬ」


「言うでない」


 江雪斎はそれ以上言わなかったが、本当は氏政もわかっていたのかもしれない。


 しかし、譲れぬものもあったのだ。小田原城は越後の龍上杉謙信を撃退し、甲斐の虎武田信玄をも跳ね返したのだ。籠城をすればとたんに敵の士気は下がり、兵糧切れで撤退したのである。


 今回、仮に戦になったとしても、籠城しさえすれば、勝てる。


 そう思った。思いたかったのかもしれない。





 ■天正八年六月一日(1579/6/24) 京都 大使館


「小競り合いが続いておりますな」


 昼休みの休憩時間に将棋をしながら純久に声をかけるのは、次官補佐兼公使の蜷川にながわ新右衛門親長である。


「そのようだな。上杉に外征する力はもはや無いゆえ、越中の備えも一個師団あれば事足りる。この上は景勝だろうが景虎だろうが、いずれでも構わぬ、というのが御屋形様の本音であろうよ」


 純久は考えた末に一手を指した。


「治部大丞様はいかがお考えですか?」


「? 何がだ」


「いずれが勝つと思われますか?」


 将棋に集中したいのに、親長が話しかけてくる。


「さあて、いずれかのう……。今の事の様(状況)では景虎が優れているかもしれぬな。北条を味方につけておるゆえ、奥州をはじめ周りにも味方をするものが多かろう。さて、それよりも我らは北条じゃ。氏政がどうでるかな」





「申し上げます。北条より文が届いております」


「来たか」





 拝啓


 水無月の候、小佐々内大臣様におかれましては、益々ご清祥のことと心よりお慶び申し上げ候。


 ~中略~


 つきましては件の騒動鎮まり次第、上洛いたしたく存じ候。





「(予想通りだな……)御使者どの。それではしばらく京の都を堪能されるがよい。七日ほどで御屋形様の返事が届く故、それを持って帰りなされ」


「な、七日にございますか?」


 使者の驚きは当然である。京都から肥前の諫早まで往復するなど、普通に考えればどう見ても二十日はかかる。風や潮の状況によっては一月はかかるからである。


 通信で諫早の元に内容を送り、純正は返事を送り返してくる。これが七日である。そしてそれを元に祐筆で書面をつくり捺印、純久も連署すれば完了なのだ。



 


 半信半疑の使者ではあったが、七日後に約束通り返事を携え、相模に戻っていった。





 ■六月十六日(1579/7/9) 躑躅ヶ崎館


「御屋形様、事の様(状況)は三郎殿が優れておりますが、北条から援軍として向かうよう矢の催促にございます」


「わかっておる。さて、そろそろ動かねばならぬかの」


 武藤喜兵衛の問いかけに勝頼は答える。


「それにしても間が悪いの。やはり里見への口入れの失(介入失敗)が尾を引いておるのだろう、常陸や下野が気になって兵を動かせぬようだ」


「左様にございます。これが如何ほど続くかはわかりませぬが、我らが勢を率いて越後に向かいたる後に北条が動かねば、これ約定に違えるとして盟を破り棄つも(約束が違うとして同盟を破棄しても)、なんらとがめられる事ではありませぬぞ」


 喜兵衛はそうなるだろうと見越している。佐竹や宇都宮が北条の動きを封じていれば、その分有利に事を進める事ができるのだ。


「然り(その通りだ)。九郎(曽根虎盛)よ、如何ほど動かせるか」


「は。二万は動かせるかと存じます」


「あい分かった。では、出陣じゃ。陣触れをだせ!」


 



 こうして武田軍二万が上杉景虎を支援するために北上を開始したのだった。





 ■六月二十六日(1579/7/19) 春日山城


「申し上げます! 武田軍、武田信豊を先陣として二万が国境に集まりつつあります」


「よし、では手筈てはず通り使者を送るのじゃ」


 景勝は乱が勃発した直後に春日山城の金蔵を押さえ、その資金力を背景に、二万両の支払いと領土割譲を条件に、勝頼に和睦を打診していたのだ。


 もちろん勝頼に断る理由などない。


 甲相同盟はあったものの、破棄の理由はなんとでもつけられるのだ。それに北条と盟を結んでいるとは言え、上杉と結んでいるわけではない。景虎が当主となれば、三日月のように北条勢に囲まれてしまうのだ。


 景虎からも信濃北端の上杉領と、上野の沼田領の割譲を約束されていたが、条件で言えば景勝の方が上である。その上戦略上のメリットも大きい。


 勝頼は、純正が北条戦を視野に入れているなら、これ以上北条に近づくべきではないと判断したのだ。この出兵はあくまでフリであり、北条の動きの鈍さを理由に同盟破棄を考えていた。





  

 次回 第672話 (仮)『勝頼、甲越和睦なるも留まらず、純正、惣無事令構想を打ち立てる』

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