第648話 『嵐の前の静けさ……レイテ沖海戦プロローグ』

 天正七年五月五日 マクタン島 マゼラン湾 砲撃直後


 砲撃の轟音ごうおんが響く中、偵察艦は全速力で退却を開始した。水しぶきを上げながら、急いで安全な距離を保つことを目指す。小佐々艦隊の圧倒的な火力に直面し、フアン艦隊の偵察艦内では怒号が飛びかう。


「退避! 退避! 退避!」


 と艦長は叫び続けた。


 回避行動はしない。急速回頭して一心不乱にその場から逃れる事のみを全乗組員が徹底する。背後からは砲弾が水面を割って飛び、海水が空中に舞い上がった。


 ……30分後、間一髪、隊員たちは命からがらに逃れた。



 


 ■マゼラン湾 小佐々海軍 第一連合艦隊旗艦 穂高


「敵に、発見されましたな」


 勝行が艦隊指揮室で状況を確認している純正に言った。


「なに。想定内よ。敵が我が艦隊より優勢であれば攻めてこよう。劣勢であれば、なんらかの奇策を講じてくるはずだ。まずは織田艦隊の帰りを待とう」


 純正は頭の中でさまざまな想像をしていたが、気取られないように振る舞う。


「申し訳ありません! 取り逃しました!」


 追跡を行った艦の艦長から報告があり、一同が残念がる。

 

「ご苦労。休め」


「さて、どうしたものかな。偵察部隊の報告次第とは言え、ある程度は策を練っておきたいところだが……」


 第一艦隊司令長官の鶴田賢中将が入室し、状況を共有する。

 

「敵に発見された事で、イスパニア軍の動きに変化があるのは確かでしょう。これから追いかけるのは……やはり難しいでしょうか。敵に知られなければ、こちらが優位に事を進められます」


「難しかろう。さきの報告の通り、艦隊で一番足の速い艦を向かわせて逃したのじゃ。これから追っても追いつくまい」


 追撃が可能だとしても、何隻でどの艦を、どこまでやるか考えなければならない。


 第四艦隊の佐々清左衛門加雲中将が戦術提案をする。

 

「敵の反応を探るために、小規模ながらも誘引の偽装作戦を行うのはいかがでござろう。敵の注意を引きつつ、その隙に主力艦隊の位置を特定する」


 純正が考え込んでから応じる。

 

「それも一つの手であるな。本隊と遊撃隊を分けた上でレイテに進軍する。されど無駄な失は避けねばならぬ。やはりまずは、待とう。その後、事の様に応じて、速やかに処せるよう備えを進めてくれ」


 勝行が最後に追加する。

 

「では全艦隊、戦闘準備を整えつつ敵情の収集に努めよ。次に敵がどう出るか、その一手に対応する準備が戦の鍵を握る」


「「「「はっ」」」」





 二日後の五月七日、レイテ島に偵察へ出ていた織田艦隊二隻が戻ってきた。偵察艦隊はまず信長へ報告を行い、ついで信長とともに穂高にやってきたのだ。


「内府殿、敵は四十五隻ほどで、本隊と哨戒しょうかい部隊に分かれておるそうな」


 織田艦隊旗艦から、その報告を聞いた信長が、偵察隊の先任艦長を伴ってやってきた。


「……ふむ。その内訳は、いかなるものにござろうか」


 信長は偵察艦隊の先任艦長に顔で合図を送った。


「は。まずは敵艦十七隻にございますが、こちらは半島の東岸を南北に一隻ずつ布陣しておりました。その意図は分かりかねますが、そのまま北上しましたところ湾内まで続いており、そこで本隊を発見しましてございます」


 偵察隊艦長がそう告げると、おおお、と司令官・幕僚たちが色めきだつ。報告によりその17隻が、単艦で24門ほどの火力という情報ももたらされた。


「小佐々軍でいうところの、軽巡から重巡の火力といったところであろうかな」


 信長が加えた。


「さて、勝行。どう見る?」


「……そう、だな……。まず普通は偵察や哨戒の場合、単艦ないし二、三隻で動く。さきほどの敵艦のようにでござる。それをこのように細長く布陣するとは。左近衛中将(信長)様、敵艦はそれぞれが確認できるほどの道程(距離)であったのでしょうか?」


「そう聞いておる」


 信長の返事を聞き、しばらく考えてから勝行は言った。


「されば、敵は哨戒の線のごとき布陣でござろう」


「哨戒の、線?」


 純正が勝行に問い、全員が勝行の顔をみる。


「左様。全艦が互に見える位置におれば、どの艦が敵、つまり我らを見つけても、知らせを送ること能うでしょう。すなわち本隊に知らせ、各艦備えから即座に迎え撃ち、船戦に入れるという算段ではないでしょうか」


 なるほど。理に適っている。


「されどそれならば、なぜに本隊から哨戒の艦が出ておらぬのでしょう? それが敵の策ならば、サンリカルドの岬からパナオン島の東側全域、そしてカバリアン湾の入り口を覆うようにしてアナハワンまで延びておるべきではありませぬか?」


 第二艦隊司令官の姉川延安中将が、率直な疑問を投げかける。


「ふむ……。それは敵にさらなる策があるのか、または一枚岩ではない、と見るべきか」


 情報が不足しているなか、可能性の論議が続く。

 


  


 ■遡ること五月三日 カバリアン湾 モロポロ


 パナアン海峡へ向かい南下した小佐々軍偵察B分隊は、その直前のタブゴンにてスペイン軍の哨戒部隊に発見され、銃撃を受けるという事態が発生したが、なんとかやり過ごしジャングル内へ退避した。


 1時間弱でカバリアン湾をのぞむ東岸へ辿たどりついたB分隊は、ついに求めていた敵を発見したのだ。スペイン艦隊である。


 しかし、その艦隊は奇妙であった。正面に一隻、そして左右にそれぞれ一隻(北側と南側)、さらに同じくらいの距離をおいて、かすかに一隻ずつ見えたのだ。


「なんだ、これは? これだけ艦の間隔をあけてどうするのだ?」


 正面の艦の砲門数は24。双眼鏡でしっかりと確認できた。左右の(南北側の)艦はそれより不鮮明であったが、おおよそ同規模と推定された。


「隊長、どうしましょうか。このまま南下すれば、またさっきのやつらに遭遇する可能性もあります」


 その通りだ。スペイン軍はパナアン海峡の北側と南側に兵を配置して監視している。近づく船があれば発見されるし、偵察B分隊と同じように陸上部隊にも発見される危険性があったのだ。


「おそらくあれは敵の哨戒部隊であろう。ならば必ず本隊があるはずだ。南はもう良い。北へ向かう。海沿いの砂浜は途切れているゆえ、岸壁の高台に登って行くぞ。山中を行軍しながら湾の奥へ向かう。必ず本隊を見つけるのだ」


「了解!」





 ■五月七日 カバリアン湾 スペイン海軍


「フアン提督! 偵察の船が帰ってきやしたぜ!」


 ゴイチのはっきりと通る大声が偵察隊の帰還を告げた。


「なに! よし、すぐに聞こう! 呼ぶのだ」


 フアンの命令のもと、すぐに偵察部隊の艦長が呼ばれた。


「ご苦労! どうであったか?」


「はい。ご報告いたします。すでに聞いているかと思いますが、タリボン・マハネイ・バナコンの堡塁ほうるいは壊滅、加えてマクタン島南のコルドヴァからラバ島をみるに、すでに陥落。海峡入り口の残り二つも壊滅とみて間違いありません。さらに……」


「さらに?」


「マクタン島北側のマゼラン湾に、敵主力の大艦隊が停泊しておりました。その数59隻。74門艦が16隻。約20~35門艦が……これは正確に数えきれませんでしたが、その数43隻」


 ……!


 一同は絶句した。


 どう見積もっても2,000門以上の火力である。普通に戦えば勝ち目はない。急いで本部に上申し、全体の作戦を練らなければスペイン軍は壊滅の憂き目にあうのだ。





 ■五月八日 レイテ島西岸 バト港


 スペイン艦隊の本隊を発見した小佐々軍偵察A分隊が港へ帰還した。


「よし! 急ぎ戻るぞ! B分隊はまだか? ……船は一隻は残るゆえ問題なかろう。出港の準備を願い出よ」


「了解!」


 偵察小隊の隊長は全員を船にのせ、そう部下に命じた後乗艦後士官待機室へ行き、どっかりと腰を下ろした。







 小佐々・スペイン両軍ともおたがいの情報が集まりつつあった。それをどう活かすかが、この海戦の勝敗を決する事となるのである。


 次回 第645話 (仮)『レイテ沖海戦~壱~情報の取捨選択と活かし方が命運を分ける』

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