第640話 『虚々実々、南海の大戦まで半年か?』(1578/4/18) 

 天正七年三月十二日(1578/4/18) マニラ 小佐々軍駐屯地


「なに? 知らぬだと? ふ、ふふふふふ。喰えぬ男のようだな、玄蘇げんそよ」


「は。なにぶん知らぬ存ぜぬの一点張りでして。されど、やつらは時間稼ぎをするつもりのようです」


 景轍玄蘇けいてつげんそからの報告を聞き、怒るのではなく、そうきたか、とニヤリと笑う純正である。


「なぜそう思う?」


「六年前の船戦ふないくさ。それに加えて壮絶なる城の守りの戦がございました。小舟数隻の小競り合いでもなければ、原住民のいざこざで、鉄砲が二、三発撃たれたのとは訳がちがいます」


「ふむ」


「それを前任だかその前だか解せませぬが、知らぬ訳がございませぬ。互いに多くの失がでたのです。知ってて知らぬふりをしているに相違ありませぬ」


 玄蘇は自分が考えたスペイン側の意図を、純正に語ろうとした。


「それで、やつらの意趣はいかがなものか?」


「は。まずは我らに戦を起こす意趣ありと案じたのでしょう。しかして半年の時をもって本国に後詰めを願い出て、備えを固めるつもりかと存じます」


「それで、辻褄つじつまがあうな」


 話に入ってきたのは海軍総司令長官の深沢義太夫勝行だ。


「セブから北へ向かって船を走らせ、さらに北上して南西の風にのってアカプルコまで三ヶ月ないし四ヶ月。帰りは北東の風にのって、一ヶ月ないし二ヶ月で戻る。アカプルコでゴチャゴチャするだろうから、それに二ヶ月加えれば、ちょうどだ」


 偏西風にのってアカプルコに向かい、貿易風にのって戻るというマニラガレオン貿易の、まさに航路である。


「まあそのような事は些末な事だ。まったくつれもなし(無関係)。我らはイスパニアと戦をすると決めたのだ。さあ御屋形様、戦の下知を! わが海軍はいつでもいけますぞ!」


 勝行は笑っている。この期に及んで一体何を言っているのだ、とも言いたげである。


「お待ちください! それでは外交を行ったそれがしの立つ瀬がありませぬ。いや、肥前国外交官として、肥前国の面目がたちませぬぞ!」


 玄蘇は十ヶ月待つと言い、その間は一切の戦闘行為を行わない、との条約に調印したのだ。


 あの時調印をせずに、問答無用でスペインの言い分を断って攻撃の正当性を訴えていたら、どうなっただろうか?


 おそらくは玄蘇も松浦親も命はなかっただろう。


 どちらにしても戦争になるのなら、外交官二人の命など、どうでもいい。それに二人が帰ってこなければ純正はセブ島を攻めたであろうし、そうでなくても攻める予定だったのだから。


「肥前国? 肥前国ってなんだ?」


「勝行……お主聞いていなかったのか? 以前の閣議で決まって通達しておいただろう。日ノ本以外の国と交渉する際は、小佐々領を『肥前国』として国号を定めるという事を」


「あ、ああ。もちろん。に、ござる。ただ、それはこたびの件とは関わりがありませぬ。国であろうが小佐々の家中であろうが、戦をする事に変わりはない」


 肥前介殿、と玄蘇が反応した。


「それでは道理が通りませぬぞ。約を違えたとなれば、わが国、わが小佐々家中の名は地に落ちまする。以後、誰も信用する事はない」


 玄蘇の言う理屈はもっともである。が、勝行が反論した。


「玄蘇殿。約を違えると仰せだが、そもそも礎となる考えが違うのだ。そのようなもの、なぜ守らねばならぬ? 嘘をついているのは奴らであろう。白々しい。それに十月も待って、奴らの後詰めが来たら何とする? よもや負けるとは思わぬが、かなりの失を被る事になるであろう」


 そう言って勝行は上半身の服を脱ぎ、眼帯を外して二度と開かれる事のない目をあらわにした。


「機を逸してしまえばそれがしのような人間を、そして悲しむ家族を、一人また一人と増やす事になるのですぞ!」


 場が静まる。


 勝行にそう言われ、『それ』を見せられては誰も何も言えない。


「勝行よ、お主の気持ちも十分わかる。まずは衣を着よ。眼帯もつけるのだ」


 純正が静に言った。


「さてみんな。ここで我らは二つの道がある。一つは約を違えてはじめの策の通りに討ち入る道。もう一つは約の通りに十月待ち、イスパニアの出方を見る事。それぞれに起こりうる事を考えるのだ」


 勝行は、はあ? ! という顔をしているが、純正は黙ってそれを制する。


「まず、約を守る道。これはどうなる?」


「悪くなる一方ではないか? イスパニアはマニラ戦役の調査をすると言っているんだろう? 何もなかった、となればいかにする? はいそうですかと認めるのですか? よしんばあったとして、やつらが認めたとして、銭になるのか? 領土を得るのか?」


 勝行だ。至極当然であり、誰もが納得した。


「やつらが信に値する連中だとしよう。まあ、嘘をついているそのかみ(時点)で信には値せんがな。そうして、その後いかがするのだ? 挙げ句(結局)、我らは戦をするのであろう? 戦ありきでここまで来たのではないのか? 十月も何をするのだ?」


 ……。


 ……。


 ……。


「待て、玄蘇が言いたいのは、国際世論の事であろう」


「国さい……よ論……? とは?」


「ああいや、すまぬ。そうではない」


 



 国際世論? 俺はいったい何を言っているんだ?


 そんなものこの時代にあるわけがない。


 日本の国内であれば、それが大義名分であり勅であり慣習だろう。しかし、ここは遠く離れた南洋の地。日本の慣習などない。


 約束を破るものは信用がない、というのは世界共通だろうが、国際世論というのは世界の趨勢すうせいであり風潮だ。国家間の対立はあるものの、気候変動や人権問題などがそれにあたるだろう。


 戦争に関して言えば、シビアな国益の問題があるだろうが、一般的に条約を破棄して戦争をすることは否であり、非難されるべきものとされている。


 しかしそれは現代の話だ。国際連合もなければG7も、なんだかサミットもない。


 この時代の国際秩序ってなんだ? スペインとポルトガルが結んだトリデシリャス条約か、サラゴサ条約か? そんなもん奴らが勝手に決めた論理じゃねえか。


 関係ねえ。


 ヨーロッパには一定のルールというか慣習があるだろうが、それでもカトリックとプロテスタントの宗教的対立がある。ましてやここで戦争を起こしたとして、誰が(どの国が)真剣に考える?


 第三国が関与しない以上、スペインに卑怯ひきょう者呼ばわりされたとしても、全く問題ないじゃないか。


 明? あほらし。スペインと同盟を結んでいるとして、攻めてくるか? それが明の国益になるか? 台湾に? ないだろう。

 

 まかり間違わなくても全面戦争になる。


 明としては、完全に勝って、さらに台湾を維持統治できる軍事力が必要だ。


 ないだろ?


 ポルトガルは問題ない。


 スペインとは中立関係にあるのだろうが、欧州でだいぶスペインに借りを作っているらしい。フィリピンでの交易を認めているのに、さらにスペイン側に寄るなどあり得ない。


 なんの利益にもならないからだ。


 スペインに攻勢をかける事は、マカオの東インド艦隊経由でポルトガル本国に通達してある。





「よし。では我らは、イスパニアに戦闘をしかける。ただし、なんらかのいざこざが発生し、そこから戦闘に発展した事にする。ようするにでっち上げだ」


 純正はそう考えた経緯を全員に伝え、開戦の下知をくだした。


「玄蘇よ。お主の思いはよくわかる。戦をするのは致し方なし。されど始め方を考えねばならぬ、という事なのであろう? されど、約を守った場合とそうでない時の益と害を考えれば、今討ち入る他ないのだ。謀って討ち入るとしても、気に病んではならぬぞ」


「はは」





 ■セブ島


「閣下。敵は十ヶ月待つでしょうか?」


「待たぬであろう。いつ攻めてきてもおかしくはない。いまやらせている防備をさらに固めよ。それから明に使者を送り、状況を伝えて援軍を願うのだ」


「はは」





 次回 第641話 『開戦! パナイ島の戦い』

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